西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

なら国際映画祭NARAtive映画2本の感想

2010-08-26 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日から第1回なら国際映画祭が始まった。私の参加している「地域SNSけいはんな」のオフ会でオープニングセレモニーに行った。奈良出身で奈良に住み奈良を舞台とする映画を撮り続け、2007年のカンヌ国際映画祭でグランプリをとった河瀬直美監督の発想から始まり、昨日のスタートにこぎ着けたのだ。28日の土曜日までイベントが続く。

上映される映画は大きくは3つほどに別れるのかな。その中心は「新人監督作品コンペティション」で、今回8本がエントリー、4人の国際的審査員で審査される。どうなるか期待したい。これは、まあ国際的映画界への「新人賞」と言ってよい。長い伝統となるのを期待する。ならまちセンターで上映される。学生監督による作品ジャンルもあり、これは奈良女子大学の「ならまちセミナーハウス」で上映される。

奈良県文化会館でのオープニングセレモニーでは、河瀬直美さんがプロデューサーをした「短編(上映時間1時間)」2本が上映された。河瀬さんはもちろん、監督や俳優も来ていた。この2本は、「NARAtive」と言うらしい。これは、「奈良らしい」という意味と「Narrative(物語)」という意味を兼ね備えた「洒落語」であろう。

2本とも1時間もので、まずまずストーリーは伝えられたと思うが、今一つ「詰め切れていない」感じだった。「びおん」では、主人公の志保が木工作家の誠人に心を寄せていくプロセスが今一つ説得的ではない。母親と志保の確執の歴史が不明である。誠人が志保の母親を自動車で轢いたのかどうかはっきりしない。(多分轢いたのだろう。そうでないと最後のシーンが理解しかねる)

桃井かおりの演技に殆ど依存する「光男の栗」では、光男が末期がん患者の「桃井かおり」演ずる母親を心配し煙草を止めさせようとし、母親の好物の栗の実を食べさせようとして採取に出かけ事故で死んだ。母親は、その光男の遺したカメラの写真から「光男探し」を橿原市で始めるのだが、光男が死んだことまで分かっているのかどうか、まあ最後の栗の実を「桃井かおり」が狂喜して採るシーンは、知っていることを暗示しているが・・・。(まあ更に言えば、光男の小さい頃からの母親、父親などとの関係も前提にあると、母親と光男の「深い」関係、母親の「深い」悲しみが伝わるのに・・・)

まあ、国際映画祭なので、奈良の空間を丹念に、特に庶民の空間を町と田舎について描いているのは良いと思う。例えば、家での引き戸の玄関、田圃でのもみ殻燃やしや山の茶や柿の木風景など。もう少し時間を長くした「1時間半」もので丁寧に詰めていってほしかった。