西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

住まいを舞台として家庭生活を総合的に考える

2008-12-06 | 地域居住学
日本家庭科教育学会近畿地区会で8月に講演した内容概要は以下の如し。

住まいを舞台として家庭生活を総合的に考える
                   西村 一朗(平安女学院大学・教授、
                   奈良女子大学名誉教授、
                   NPO法人地域支援研究フォーラムなら)

はじめに―問題意識―
 家庭科の教科書(例えば高校)を一例としてみてみると、家庭生活―衣食住、家族生活等―を扱ったところでは、家族生活は別扱いで、衣食住に関しては、「食」「衣」「住」の順になっており、かつそれぞれのページ数が、実習のありなしもあるが、やはりこの順である。これだと、日本史で明治以降の近代、現代まで到達しない場合がしばしばなのと同じく住に到達しないうちに家庭科が終わってしまうのでは、と心配になる。
 そこで、住まいを舞台と考え、その上で「衣食住、家族生活」のドラマが展開していると捉える方法がないのかな、と考えてみた。


住まい舞台と食生活
 食の流れを考えると、農山漁村で食材が採れ、それらが流通経路を経て住まいに至る。(食物のことを考える場合、何処でそれらが採れるか―自然農業や有機農業をどう考えるか・・・―、どう身近に到達するか考えさせるのも大事)それらの食材は、住まいでは先ず「貯蔵」される。冷蔵庫・冷凍庫といった貯蔵設備が一般化しているが、「食品庫」、食品置き場という空間も必要と考えられる。例えば、地産地消で、泥付き大根などは何処に置いたらよいか。一度に買いだめるジャガイモや玉葱等は何処におくのか。土間空間が、段々少なくなっている住まいを考え直すいいチャンスではないか。
 次に冷蔵庫や冷凍庫であるが、「貯めて捨てる」のではなく、無駄なく食材を使い切る工夫も必要なのではないか。食材を調理する台所であるが、一人で効率よく台所作業が出来る、といった人間工学的取り組みも大事だが、今後は、親子が肩を並べたり、夫婦が肩を並べたり、友人同士が肩を並べて調理できる台所が必要なのではないか。
 配膳し、食べる場面だが、最近「早寝、早起き、朝ごはん」などと言って朝ごはんを食べようという運動もあるようだが、少なくとも日に一回位は、家族そろって食べる機会を設けるべきだろう。これは、食生活の問題であるとともに家族関係の問題でもある。
 そして、後片付けであるが、これは家族全員で取り組む問題ではないか。これは、家庭生活でも行為の切れ目はきちんとすることでもある。残った食物は、どうするのか、単に捨てるのか、「コンポスト」などに回して有機肥料とするのか、何処でそれをするのか、舞台装置を考えねばなるまい。
(どういう食品を食べたらよいか、栄養学的問題や、どう美味しく調理したらよいか、調理学的問題は、食固有の問題として教育すべきは論をまたない。)


住まい舞台と衣生活
 衣の住まい舞台での流れを考えると、何処に納めてあり、何処で着て、何処で脱いで、洗濯はどうするか。それらの洗濯前後の流れはどうか、などの問題があるだろう。下着を例に、拙宅での考え方を一例として述べてみる。
二階に浴室を設け(寝室隣接型)、洗濯機を脱衣室に置いた。脱衣室に下着収納棚(ドア付)がある。干し場も二階ベランダとした。下着の動きを見てみると、浴室に入る時、下着を脱ぎ洗濯機に入れる。洗濯機での洗濯・脱水のあと二階のベランダに干す。乾いたものは寝室でたたんで、脱衣室の下着収納棚に収める。浴室で入浴の後その下着収納棚から新しい下着を取って着る。これで、下着が脱がれて選択され干され整理され再度着られるのであるが、この下着の一回転・処理は二階のみで行われている。庭付き戸建て二階建では、一般に一階の南側にリビングルームがあり、南側庭空間の一部に洗濯物干し場がある場合が多い。これだとリビングルームからの南側の眺めが必ずしも良いとは言えない。これに対して先に説明した二階のみで洗濯物を処理するやりかたが一つの「解」ではないか。
(繊維の質や、洗濯・洗浄のメカニズムは固有の問題であろう)


住まい舞台と家族生活
 子どもの部屋をどう考えるかは、住まいにおける家族関係の問題でもある。小学校に入ったら自動的に親が子どもに子ども部屋を与えるのは、問題ではないかと考える。その時点では、一般に子どもが子ども部屋を切実に要求している訳ではない。だから、一つの考え方として、子どもが「部屋が欲しい」と切実に要求したら、その理由も良く聞いて与えたらどうなのか、と考える。そうすれば、子どもに「子ども部屋の掃除、整理等の管理」を義務付けることも可能であろう。自動的に親が与えた場合は、子どもは「別に欲しいと言っていないのに・・・」と管理を逃げる場合もある。
 次に、子どもの「子ども部屋引きこもり」の問題について考えてみる。先ず、家族構成員の日々行っている行動が、歴史的に「ばらばら」になってきたことを考える必要がある。昔は、例えば農業にしろ商業にしろ家族で協力してやってきたのに、最近では、言ってみれば「お父さんは仕事の人、お母さんは家事の人、僕や私は勉強の人」となり行動が「ばらばら」になってきた。共同の行動が、それをする人間同士の理解を深める。だから例えば家事等を分担・協力し、全体として共同行動したらどうか。そのためには、台所の空間も変えていく必要があろう。
 他に居間や食堂など家族員が集まる空間にするためには、子どもたちの「匂い」を付けて、例えば自分が選んだ椅子などを置いて、「引力」を働かせて出てきてもらう方法もあるかもしれない。


住まい舞台と福祉・高齢者生活
 住まい舞台での高齢者問題というと、「バリア・フリー化」の問題と思われがちであるが、高齢者が増え、住まいでの生活期間、時間も長くなってくると、住まいは、高齢者の福祉空間、療養空間としても捉える必要が出てきている。
 昔から高齢になり退職などすると、「隠居」となり、住まいにおいても「離れ」等にそれこそ「隠居」するイメージであったが、それは拙くて、むしろ外部との「つながり」を維持する「顕居(けんきょ)」が良いと考える。具体的には、自ら外出しやすいように、又外との交流がしやすいように空間的位置などを考える必要がある。
 また、医療関係者や、福祉関係者が当該高齢者等の居場所にアプローチしやすいように、他の家族成員の生活をディスターブしないよう考慮しなければなるまい。


住まい舞台と「市民サロン」など
 高齢者が、住まいに「居たきり」になるのは「寝たきり」の前段階とも言えよう。やはり、人間は、動物なのであるから、日に一度位は外出することが気晴らし上も大切である。社会的に「デイサービス」施設もあるが、個々人で言わば「市民サロン」を開設している例も出てきている。言ってみれば「地域に開かれた」住まいの一種である。将来の生活の予測と実現、対応する生活舞台のあり方の予測と実現が大切となるだろう。


終わりに
 以上、住まいを生活の基本舞台と考えて、個々の生活の諸側面を動かせて、その舞台がそれらの生活ドラマに適当な方向かどうか、をいくつかの例で検討してきた。今後、共同で知恵を集めて、以上の問題意識に立って生活と舞台との関係を体系化していきたいものだ。先ず、住まいを基本舞台とし、次に地域を発展舞台と考えていこうではないか。(2008年10月15日付けで増補修正)

益川敏英さんらしい発言

2008-12-05 | 時論、雑感
益川敏英さんが、ノーベル賞授賞式のため今日関空を飛び立った。

で、関空で記者会見して「抱負は?」と聞かれて「ありません」少しあって「スピーチは日本語でする。英語が出来ることにこしたことはないが、日本語でも物理は出来る。(英語は読めれば良い)まあ、ノーベル賞が出来たキーワードは平和だと思うが、自然科学は進歩しているとはいえ、世界は平和ではない。21世紀は平和が(更に)大切、そういうことを発信していきたい」と。

うーん、聞いていて益川さんらしいな、と思った。名大の坂田昌一研の「社会活動音痴ではいけない」という伝統と共に京大の湯川秀樹先生の受賞後の平和活動への取り組みにつながっているな、と思った。歴史はつながりくりかえしている。

高槻をざっと見て回るより(1)

2008-12-02 | 地域居住学
高槻ブランド戦略会議(高槻市役所主催)に「暮らし」分野のまとめ役として参加しているので、先日、半日ほどかけて、ざっと高槻市を見て回った。

主に4箇所に行った。

(1)高槻市立埋蔵文化財調査センター、史跡今城塚古墳・・・高槻市立埋蔵文化センターは、昭和50年(1975年)に全国に先駆けて設けられた地方自治体立の「文化財センター」で、後で行った史跡今城塚古墳はじめ市内の埋蔵文化財の発掘整理にあたっている。所長の鐘ヶ江さんに案内されて、発掘・復元された今城塚古墳出土品などを見たが、「一流」のものとわかった。鐘ヶ江さんは、史跡今城塚古墳を継体天皇の御陵と考えているが、出土品を見、説明を聞くと、そのように思われてくる。現在、その御陵と考えられている墳墓は隣の茨木市にあるようだ。
 いづれにしろ、継体天皇の時代、この辺りは、先進地だったようだ。そのご、中臣鎌足(後の藤原鎌足)もこの辺りに住んでいたことがあり、墓所跡といわれるものもある。奈良時代の広大な「村役場跡地」も見つかっている。
 今城塚古墳にもいってみたが、それは史跡公園として整備されつつある。高槻市が、私有の田畑、山林だったのを少しづつ買いまとめて現在にいたっている。平城宮跡が国によって買収されたのと全然違い、自治体の見識で買いまとめられたところが凄い。調査センターでは継体天皇の本当の御陵と考えているが、幸か不幸か現在、宮内庁管轄でないためにかなり自由に整備計画がたてられている。
 内堀と外堀の間に、埴輪祭祀場が設けられるようだ。我が国初の試みだ。内堀の一部を埋め立てて芝生にし、市民憩いの場にするようだ。そこにアプローチするのに外堀の外から堤を掘ったトンネルをつくり内堀芝生に至る。堤に上るのにスロープをつくりバリアフリーを追及している。
 全部が全部、肯定するわけではないが、全国区の「埴輪祭祀史跡公園」が出来るのでは、一つのブランドになるのでは、と思った。

(写真は、史跡・今城塚古墳)
 

心身一如

2008-12-01 | 言語・字・言語遊戯
心と身体は、一つのものだ、というのがこの意味である。

パッと見ると「そうかな」と思うが、それを本当に一つのものとして四六時中実践するのは、これまた難しい。修行であると言っても良い。

昨日、テレビの「ようこそ先輩」で、俳優と言うか声優の久米 明さん(84歳)が、島崎藤村の詩「初恋」を題材にとって、母校の小学校6年生に、どういう気持ちで藤村がこの詩をつくったかを考え、自分の心に刻んでから声に出して読んでみよう、という授業をやられていて興味深く見た。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情けに酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこいしけれ

一寸、6年生には難しいかなと思ったが、皆そこそこ感情を込めて読んでいた。

これは、心の状態が声を通して外に出るということだ。恐らく、仏教における読経も心の状態の表出であろう。一昨日、地域SNSけいはんなの創設1周年記念フェスタで創作紙芝居『けいたくんとはんなちゃん』を上演、6人の数珠つなぎ創作、4人の出演で、私は「読み」を大半やったのだが、登場動物達の喋り分けは難しかった。何回か練習し心の状態を統一しなければなるまい。

逆に身体の状態が心にきっちり反映するとも言える。美しいものを見、美しい音を聞き、健康料理を美味しく頂き、楽しく談論風発の状況ならば、心も清く強くなってくるだろう。良き芸術、良き料理そして良き会話である。