西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

興福寺・中金堂の再建

2008-12-25 | 住まい・建築と庭
興福寺は、近鉄奈良駅から東の方に、つまり東大寺の方に歩くと右手(南側)にある大寺である。710年(和銅3年)に平城京がスタートするが、4年後の和銅7年(714年)に興福寺は筆頭貴族とも言うべき藤原氏の氏寺として創建されたようだ。

ところが、その後7回も火事等で焼失し、そのつど再建されたが、6回までは創建当時の姿が追求されたが、7回目(1717年)は寺自体が「疲弊」していて、中金堂も少し小ぶりにして北側敷地に再建された。

今回、8回目の再建(七転び八起き)にあたって、創建当時の姿を復元する精神で設計がされた。基本設計に当たったのは鈴木嘉吉さん(元・奈良国立文化財研究所所長)である。鈴木さんは、東大建築学科を出て、奈良に昭和27(1952年)年に赴任されたが、最初は、この興福寺の一角に住んでおられたようだ。そういう因縁もあって、今回の復元設計をされた。総工費は約100億円とのことだ。

今日、奈良市の建築審査会で、私も参加して審査したのだが、事前の現地視察で鈴木さんは「中金堂の基壇は当初のものである、上部構造については、同じく藤原氏の氏神の春日神社とともに描かれた春日曼荼羅図にもとづいた」「後は現存の東金堂とか唐招提寺とかを参考に決めた」とのことだ。しかし、私は模型を見て屋根の「しび」について「これも春日曼荼羅図にありましたか」と聞いたら「それはない。鬼瓦である。」とのことだ。

まあ、厳密な意味での復元ではなく、一部は現代の人々に受け入れやすいデザインとなっている。他に現代の構造的な基準に合わせて強化しなければならない部分もある。それらも含めて広い意味で「復元」であればよい、ということのようだ。

これらの「Authenticity(本物性)」については、今後も議論があるであろう。