西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

少々と自然

2010-11-13 | 思いつきから仮説へ
今日の『朝日』のb2に磯田道史さん(歴史学者・茨城大准教授)が江戸時代の京都の医学者・江村専斎(1565~1664、100歳まで生きる)を紹介している。後水尾上皇が御所に専斎を呼んで、何故そんなに長生きできるのか、ときくと「食べるのも少々、考えるのも少々、養生も少々するだけです」(意訳)と答え上皇は大きくうなずいた云々という記事があった。

「食を喫する些(いささか)」は、即座にそう思うが、他の「思慮も些、養生も些のみ」は一寸留保し、考えてみようと思う。まあ最近、貝原益軒の『養生訓』(松田道雄訳)を読んでいるからかもしれないが、あれを全部きちんとやれ、というのは些か無理だし、まあ原理は学んで、後は「適当に」というのがいいかな、と思っているが・・・。

食に限らず、物、物欲は少々で構わない。ただ精神を涵養する本などは少々と言わず、ある程度必要では・・・、と思う。

又、今朝、奈良に住む映画監督の河瀬直美さんが最近制作の映画についてラジオで語っていた。自然分娩の映画のようだ。一度見てみたい。ご自身も6年前に家で自然分娩で子どもを産んだとのことだ。私は、男性のため、そういうことは経験できなかったし、妻も病院で出産した。まあ、こういうの、やはり自然がいいのかな。

自然農や自然河川など「自然」がつく行為や形態が元々「自然」に違いない。自然主義復活か、と思われる今日この頃です。

細かい分析的課題から「広く、深い」総合的課題へ

2010-11-12 | 思いつきから仮説へ
昨日のブログで書いたように、職場人間から地域人間に変わると、職場で担っていた細かい分業的専門的課題への挑戦から、地域で幸福に楽しく生きていくための総合的課題に関心が移るのも自然である。

それを、細かい分析的課題から「広く、深い」総合的課題へ、と言ってみた。

6年ほど前に「国立大学」を定年退職してから、何回か国政選挙、地方選挙があったが、興味深く、全部で色々考え研究し全部で投票した。

つまり、今までは「政治的中立」とか言って良く考えてみると自由に「何何党が今のところ相対的に(総体的に)いいのでは・・・」などと言えなかったが、堂々と言えるようになった。政治や外交は総合的問題に継続的に取り組むもので、自分がやっている気分で考えると面白いものなのである。

まあ、今までの分析、考察から、自民党も最近の民主党もはっきり言って「駄目」と思う。その他の党から綱領や政策を慎重に検討して決めるのが良いと思っている。

他の総合的課題としては、政治に続いて経済、教育、宗教、芸術、哲学、科学、技術といったもの、続いて身近な家族(家事)、地域、地方自治の課題がある。更に歴史、地理、健康・医療の課題もある。

これらを自由に学習し、議論し、研究し、私見を述べていきたい(生きたい)と思っているのである。

昨日のブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b15805f9d5eb914ce03f2a345bc0e7de

人生「総合」のため「市民雑学」(あらたな教養)に向かう傾向

2010-11-11 | 思いつきから仮説へ
ひょんなことで、3年余前から、「けいはんな市民雑学大学」を11名の運営委員でやっているが、「市民雑学とは何か?」と時々考えている。

とにかく、前から言っているように、定年退職すると、大局的には、いわば「職場人間」から「地域人間」に転換せざるをえないのである。

職場人間の時は、学校を出て就職し、あれこれ40年ほど(転職も含め)仕事をして来たのだが、それらは社会での分業の細かい一部を受け持つもので、それらを「専門」としてきたのだ。

ところが、地域人間になると、地域人間として「地域デビュー」して活躍したら良いのだが、特に男性は、頭で分かっていても中々地域に溶け込めない場合が多いのだ。地域のように千差万別の人々が生活しているところでは、見栄やプライドを捨てて、先ず、ある程度溶け込むことが必要だ。

それで、考えてみると、定年退職後の主に地域でやることは、前に現役の時にやっていた、社会全体からみると細かい分業仕事と言うより、生活全般にかかわる「総合的」仕事になるのではなかろうか。

それらは、
(1)生活(家事、楽しみ含む)運営や健康維持のこと
(2)家族生活、地域生活、国民生活(国家)とのつながりのこと
(3)自然・環境(動植物含む)とのつながりのこと
(4)旅行(散歩含む)楽しみのことなどーである。

それらを一人で学んで適応することも可能だが、上記を「市民雑学」と考えると、重点の置きどころは個々に違うが、総合的に地域人間になるため皆で学習することもありうる。

それが「市民雑学」と考えたらどうだろう。頭や心、体の使い方の偏りを真っ直ぐに正す学問である。そこに「市民立」で「市民雑学大学」を立ち上げる意味がある。

つまり、若いころに「教養」から「専門」に進んだのを、高齢に進むと逆に社会でやってきた「専門」生活を地域での「総合」生活にソフトランディングさせるための新たな「教養」を「市民雑学」と考えたらよいのではないか。

住居内での身体重心の移動軌跡の研究

2010-11-05 | 思いつきから仮説へ
意義、目的:日本の住宅では、一般に日本人は、起居様式において、畳の上に坐し布団を敷いて寝るという和式と共に椅子に座りベッドに寝るといった洋式とが混在している。

そして実際には洋式の空間割合が大きくなりつつある。それで本当にいいのであろうか。今一度考えてみたい。

方法:(1)身体の重心に上下、前後、左右の動き、ようするに軌跡を記録する機器を装着し、四六時中記録して、のちに縦移動と行動名、横移動と行動名を分析する。
(2)布団など比較的重いものを標準行動を決めて持ち上げて貰う。その際の腰への負荷を明らかにする。

結論のまとめの方向(仮説):洋式一辺倒ではなく和式の割合を高めた方が良い。(方法の(1)と(2)を対照して、洋式が多い人は、腰にくることが明らかになる、ことを前提に)

戦略的研究テーマ

2010-11-01 | 思いつきから仮説へ
海、海洋から資源、エネルギーを得るための研究・・・既にウラニウムを海から得る研究は結構進んでいるらしい。他に海からどういう微量物質を「回収」できるのか、その方法は?
またエネルギーを得る方法として潮汐発電などの可能性など。

大地、土壌からの恵みを得る研究・・・鉱物、微生物等々の発見と活用など。

荒廃した森林、田畑から恵みを得る研究・・・のさばる竹林を有効に利用する方法含む。

「三人寄れば文殊の智恵」の実際的方法論。

健康で文化的生活の具体的イメージに関する研究。

空気、水、食い物の健康に及ぼす効果の研究・・・食い物の消化、血液造りのメカニズムなど。

普遍的都市農村空間のありかたと現状からの移行の方法に関する研究。・・・。

形の抽象ー多様から絞っていくと・・・-

2010-10-25 | 思いつきから仮説へ
夕方、テレビ8チャンネルで京都の東寺の五重塔をやっていた。ご存じ、空海(弘法大師)が平安京で創建の塔で、現在、日本一の高さ(二番目が興福寺の五重塔)で国宝である。

で、五重塔の五重の意味は、下から「地、水、火、風、空(ち・すい・か・ふう・くう)」の意味だ、とのことだ。宇宙を構成する五要素である。

妻と話していると、今日、昼ごろに別のテレビチャンネルで高野山(これも空海の創始)の五輪の塔も「地、水、火、風、空」だと言っていたと言う。私もそれは前から知っている。代表的墓の形である。

五を越える多重の塔の各塔の意味は、はっきり知らない。

逆に五未満の形については、三つは「○、△、□」であり(事例はピラミッド)、二つになると「天円地方」説(天は円く地は方形)のように円と方形(○と□)になり(前方後円墳もそれか)、最後に一つにせよ、となれば○(円、球)にならざるをえまい。○は無限角でもある。

まあ、○が究極の形かな。宇宙も素粒子も○なのかな・・・。

空気の質の重要性

2010-10-18 | 思いつきから仮説へ
我々は、何時でも何処でも空気に接している。生れてから死ぬまで、朝から晩まで空気を呼吸している。だから、環境における空気の質が、一生を通じて健康の質を基本で決めていると言えると遅まきながら気がついた。

それは森の中を歩んでいると、呼吸して気持ちよくなる体験からも明らかと思う。

空気は単に酸素と窒素であるだけでなく、含まれる微量の成分も重要だ。フィトンチッドは聞いたことがあるが、更に未だ分析しきらないものも含んでいると思う。

一生の半分くらい過ごす家の中の空気環境も重要だ。これがまずいと例えば「シックハウス症候群」に陥るのだ。床や天井や壁やからも微量の空気物質が放出されている。

それらの素材はムクの木材、「健康壁材」、自然繊維などが良いのでは、という仮説を持っている。

流れる空気、即ち風も重要だ。風が運ぶ「気」が重要なのだ。

外出すれば、先に指摘した樹木環境、海岸や河岸や湖岸の水環境が重要と思っている。

良い空気を維持し、悪い空気(最悪は汚染空気、公害だ)にならないよう、皆で気をつけていきたい。

考え考え頭のつくりかえ、本生、本史の楽しみ

2010-08-06 | 思いつきから仮説へ
夕べ、愛聴番組の一つ「ラジオ深夜便」で天野祐吉さんが外山滋比古さんと「隠居大学」で対談していた。天野さんが「学長」で聞き手、外山さんが薀蓄を傾ける役だ。

外山さんはお茶の水女子大の名誉教授(英文学)だが、70歳過ぎてからの著作も色々ユニークで面白い。先ず、外山さんは「人生2毛作で、実は2番目が本番、最初のは準備、序走、いわゆる定年退職後を余生というのはおかしい」との論で、賛成だ。それなら余生でなく本生とでも言うのかな、と私は思った。

その伝で言うと、自分史としては定年までが前史、それ以後が本史ということになろう。(確か、マルクスは資本主義までを歴史の前史、それ以後を本史と言っていたのではなかったか。)

外山さんは、定年後、ゴミのような定年前の知識を「忘れて」、頭の中を整理したらしい。まあ、余り自分に関係なさそうな知識は、寝ている間のレム睡眠時に「消去」されると言う。(本当かな)

それで空いてきた頭で色々と自分にとって考えるべきことを毎日考えているようだ。体を動かすのも大事なので散歩もしながら考えていると言う。その中から、日本語の縦書き、英語の横書きと文字との関係(日本語を安易に横書きでも良いようにした―このブログのように―問題点を指摘)、ユーモアや笑いの話と俳句・川柳の盛衰、悲劇と喜劇の話、クラブの効用(面白い話の生産)等のユニークな考え方が出てきたようだ。

私も、過去「頭をつくりかえる楽しみ」を二回書いた。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/d050cbce960ce24f554adaea077878da
これも外山さんに啓発されたものだ。

この中に、もう一編が含まれている。

とにかく、「硬く」なりつつある脳髄から不必要な知識を追い出して、必要なものを自主的・主体的に取り入れ、考え考え「頭の中の再開発」をする楽しみなのである。

これは、定年後にある意味相応しい取り組みだ。だって「考える」っていうのは、無料(無量)の楽しみなのだから・・・。

外山さんが紹介していたユーモアの例:第二次大戦後、イギリスで大経済学者と目されていたケインズ先生が記者会見した。記者の質問:「先行き長期的に考えるとどうなりますか」(ケインズ先生少し考えてからおもむろに)「長期的に考えますと、皆死んでますな」・・・
ドイツの記者は「経済学の先生にそんなこと聞きにきたんじゃない」と小言を言ったらイギリスの記者は、心得たもので「だからドイツ人は頭が固い」と言ったらしい。天野さんは引き取って、日本で「財政危機は長期的にどうなりますか」との質問に首相が「長期的には、皆死んでいますな」と答えたらどうなりますか、と笑わせていた。

「薄い」情報を「濃くする」能力

2010-08-04 | 思いつきから仮説へ
現代は、様々な情報に満ち溢れている。「情報エントロピー」という言葉があるかどうか知らないけれど、熱力学で言うように、熱い熱はやがて広く薄く拡散して低くなってしまうように「濃い」情報もやがて拡散して「あるかなきかに」なってしまうのではないか。

しかし、人間には「薄い」情報を「濃くする」特別の能力があると思わざるを得ない。

例えば、出会ったある人の沢山聞いた中での一言が、聞く別のある人の心に響いて長く記憶に残り、それをバネ、テコとして関連情報を意識的に集めて「一大体系」に育つこともありうるのである。

最近、別に入っている地域SNSのフレンドの一人が「木簡に関する絵本」を作ろうと熱心に情報を集め勉強されているさまをSNS上で見させていただいて、こちらも大いに勉強になるのだが、木簡に書いてある「断片情報」が、大きな物語の中で要石になりうることも理解できた。しかし、それには「断片」を「断片に留めさせない」大きな構想力が絶えず働いている必要があるだろう。

考古学の恐竜や旧人などの骨の「断片」から全体像を組み立てることも同じだ。

とすると、記憶の断片も、「育てる」「つなげる」観点に立てば、重要な情報なのではないか。一寸したことから全体を推し量る能力を鍛えていこう。

最近の関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/f103160e1c10882d4894d29130bd0171

パーツ記憶から全体生活を推測ー近過去生活学ー

2010-07-29 | 思いつきから仮説へ
今は絶滅した恐竜の骨などの化石は、今も発見されている。何日か前、テレビでやっていたが、骨が全体の一割位しか見つかっていないのに、他のパーツは、過去の事例から推測して全体像を組み立てて、新しい恐竜の「発見」としていた。「発見」というより「創造(想像)」と言ったほうが良いのに、と思ったが・・・。

恐竜に限らず考古学では、壷や皿や人骨などにおいても大部分が見つかっていないのに、見つかった分だけから全体像を組み立てている。

そのやり方は、まあパーツの欠落した「ジクソーパズル」のようなものだ。

で、私は前に考古学を分節して考近古学、考中古学、考遠古学と三等分してみた。

その考近古学は、別に考現学(今和次郎命名)とか考今学(西山卯三命名)とかと「入り組んでいる」感じだ。

証拠物件は、今も存在する場合は、気づいたら残しておくということも出きるが、残念ながら失われてしまっていたら、後は現存人の記憶に頼るしかない。

記憶について言うと、一気に全体を思い出して、その記憶に基づき、過不足なく全体を叙述するのは至難の技である。個々の「パーツ」については、じっと努力で思い出せば、そこそこ「そうだったな」と同世代、同地方の人には賛同してもらえる場合が多い。

そういう近過去の生活の「パーツ」を出来れば「ポイント部分」を含め、沢山集めて、思い出せない部分は推測して全体像を組み立てるという学問分野が出来ないか。まあ言ってみれば「記憶に基づく近過去生活学」とでも呼んでおこう。

使用価値の創造的組み合わせ=ライフスタイル

2010-07-27 | 思いつきから仮説へ
学生時代、4回生の時(1963年~1964年)、卒論で「尻に火」が付いているのに、大部の『資本論』に読みふけっていた時期がある。第一巻の最初が「商品」の項で、資本主義生産の一番の元であり、マルクスは、それを実に精妙に分析していくのだが、そこで商品の価値、交換価値、使用価値という概念が出てくる。

価値は、労働時間で測定できることが示される。交換価値は、価値に規定されるけれども市場で決まってくる。使用価値は、それぞれの時代や人々の「発見」によるとされ、価値のような規定は与えられていない。

現在、市場には多種多様な商品が供給され、人々の需要に応えようとしている。その需要という奴がその時の「使用価値要求」なのだが、それがないと死んでしまう食料品などを「必需品」と言っている。

今は、デフレが世界の多くをおおっており、「必需品」以外、なかなか「手」が出ない世の中になっている。今までは、逆に「ちょっと必要かもしれない」ものまで「インパクト・ショッピング(衝動買い)」した時代で、家に「ガラクタ」が「溜まっている」場合も多い。

これからは、商品の使用価値厳選の時代に入るのではないか。「必需品」の食料品といえども、本当に健康に役立ち、それを保持増進し、なおかつ美味しいもの「少量」に限られてくるだろう。

こうして各人で「使用価値の創造的組み合わせ」を選び、それを使ってのライフスタイル成熟、確立の時代になるだろう。頭と手足と口は益々使う必要があるだろう。


視線制御の三段階ー体、顔、視線ー

2010-04-24 | 思いつきから仮説へ
昨日、歩道を歩いていて、ふと背後に「殺気」というか、何か「気」を感じた。で、とっさに振り向いたのだが、特に何もなかった。

この「振り向き」行動を、再現、分析してみると、「体をねじって、顔は後ろの方を向き、目は真後ろを見ている」ということになる。

つまり、体、顔、目(眼球)の三つが同時に「適当に」動いて、「真後ろ」に視線が向いたのだ。人間は、こういう場合のみならず、絶えず、この三つの器官を制御して、見たいものに視線を及ぼしているのだ。

これを、固定している建物、住宅に「応用」すると、どうなるか。

例えば、家から見たい絶景があるとする。まあ、仮に富士山が「見得る」とする。当然そちらを見たい。だが、普通に家を建てると、後ろの家にふさがれて見えない、横手に僅かに見得る視角があるとする。さて、どうするか。

先ず、少し建物本体を可能な限り「ねじって」、窓から身を乗り出せば富士山が見えるようにする。それでも部屋にいて、窓の真正面に冨士山を見たいとすれば、次に部屋を「ねじって」、最後に窓自体を「ねじって」調整するのである。

つまり、建物本体が「体」、部屋が「顔」そして窓が「眼球」である。まあ「ルービック・キューブ」の三段が「ねじれた」状態を想像しても良い。

こういう家、誰か設計を依頼しないかな。

新建・奈良支部見学会懇親会挨拶から等

2010-04-12 | 思いつきから仮説へ
日曜日に新建築家技術者集団・奈良支部主催の「上ツ道(上街道)フィールドワーク~天理から三輪まで~」に参加した。夕方、三輪(桜井市)の「居酒屋」で懇親会があったが、その時の私の挨拶:

「私は、名前だけ奈良支部の代表幹事になっている西村一朗です。ただ、こういう見学会や懇親会には出来るだけ出るようにしています。5年前まで奈良女子大学に31年間勤めていました。私と奈良(県)との関係を言いますと、先ず、学生(院生)時代に十津川村・平谷から和歌山に抜ける上湯川林道沿いの住民調査ー林道開通と生活変化ーをしました。(1964年~1965年頃です。この結果は日本建築学会に私が三村浩史先生等と共に最初に報告したものです。)次に奈良女子大に勤めてから今井町の保全に関する環境庁の調査に参加しました。町家敷地裏を流れる水路の存在と意味を調べました。(奈良女の扇田研究室と東大の大谷研究室との共同)更に奈良市のならまちに関する学生・院生調査をプロモートしてきました。(現在ならまちにある「奈良女子大セミナーハウス」は最初に私が提案したものです。)

ところで、今日のフィールドワークに関してですが、箸墓古墳は、上ツ道に接して存在していますが、上ツ道を直線に真っ直ぐにつけると古墳の「後円部」を一部カットしなければならないのに円弧に沿って一部カーブしています。これは、この墳墓の重要性が当時認識されていたとのことですが、先ほど京都支部の久永(雅敏)さんがふれられた京都の山城町(現・木津川市)の椿井大塚山(つばいおおつかやま)古墳は、明治28年に旧国鉄によって方墳部の真ん中を通されてしまった。(まあ、地表をいじるときは慎重に、でしょうね。)

今日は古墳群と江戸時代の陣屋等の遺跡中心でしたが、考えてみると、それらの時代は大和に王権や地方権力がはっきりあったので残ったのではないか。平安、鎌倉、室町時代の遺跡はいまひとつはっきりしないのでは・・・。今後の課題ではないか。関連で街道沿いの町家、町並みも重要ではないか。それも異時代の共存が重要と思うが、これも今後の課題であろう。大いに論じ、考えていきましょう」(言いたかったことも増補しました。)

「遺伝子記憶」論(4)雨と太陽に対する反応

2010-03-06 | 思いつきから仮説へ
今日は、「冷たい」小雨が降っている。気分も余り良くない。雨の中、専用歩道を歩きつつ、昔「雨と太陽」について、どうして人間に「違う」反応が起きるのだろう、と考えブログに書いたことを思い出した。

過去ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/7f923b49bc3072ba48e20c346ab1c8c6

こういう「仮説」は、やはり「遺伝子記憶」関連なのかな。

「遺伝子記憶」論(3)「猿時代」の森生活と緑、小枝

2010-03-05 | 思いつきから仮説へ
これは、半分は霊長類学者の河合雅雄さん(京大名誉教授)が「仮説」として言っておられたことである。それは、人類は、それ以前のアフリカでの森生活時代、長く樹木の上で棲息し回りが緑の葉っぱばっかりだったので、人間になっても「遺伝子記憶」作用で、樹木の緑を見ると落ち着く、緑の嫌いな人間はいない、ということだ。

で、私は、その考え方に共鳴し、「窓からは樹木の緑が見えるべし」と言っている。

もう一つは、「手すりはすべからく間伐材などの丸太樹木であるべきだ」とも言っている。何故なら、人間の手の指や掌の構造は、「猿時代」に樹木の小枝を握るのに最適に進化した時から基本的に変わっていないからである。

冬に冷たく、夏に熱いステンレスの手すりよりも、手の体温にも馴染む丸太樹木がいいですよね。