今日の『朝日』のb2に磯田道史さん(歴史学者・茨城大准教授)が江戸時代の京都の医学者・江村専斎(1565~1664、100歳まで生きる)を紹介している。後水尾上皇が御所に専斎を呼んで、何故そんなに長生きできるのか、ときくと「食べるのも少々、考えるのも少々、養生も少々するだけです」(意訳)と答え上皇は大きくうなずいた云々という記事があった。
「食を喫する些(いささか)」は、即座にそう思うが、他の「思慮も些、養生も些のみ」は一寸留保し、考えてみようと思う。まあ最近、貝原益軒の『養生訓』(松田道雄訳)を読んでいるからかもしれないが、あれを全部きちんとやれ、というのは些か無理だし、まあ原理は学んで、後は「適当に」というのがいいかな、と思っているが・・・。
食に限らず、物、物欲は少々で構わない。ただ精神を涵養する本などは少々と言わず、ある程度必要では・・・、と思う。
又、今朝、奈良に住む映画監督の河瀬直美さんが最近制作の映画についてラジオで語っていた。自然分娩の映画のようだ。一度見てみたい。ご自身も6年前に家で自然分娩で子どもを産んだとのことだ。私は、男性のため、そういうことは経験できなかったし、妻も病院で出産した。まあ、こういうの、やはり自然がいいのかな。
自然農や自然河川など「自然」がつく行為や形態が元々「自然」に違いない。自然主義復活か、と思われる今日この頃です。
「食を喫する些(いささか)」は、即座にそう思うが、他の「思慮も些、養生も些のみ」は一寸留保し、考えてみようと思う。まあ最近、貝原益軒の『養生訓』(松田道雄訳)を読んでいるからかもしれないが、あれを全部きちんとやれ、というのは些か無理だし、まあ原理は学んで、後は「適当に」というのがいいかな、と思っているが・・・。
食に限らず、物、物欲は少々で構わない。ただ精神を涵養する本などは少々と言わず、ある程度必要では・・・、と思う。
又、今朝、奈良に住む映画監督の河瀬直美さんが最近制作の映画についてラジオで語っていた。自然分娩の映画のようだ。一度見てみたい。ご自身も6年前に家で自然分娩で子どもを産んだとのことだ。私は、男性のため、そういうことは経験できなかったし、妻も病院で出産した。まあ、こういうの、やはり自然がいいのかな。
自然農や自然河川など「自然」がつく行為や形態が元々「自然」に違いない。自然主義復活か、と思われる今日この頃です。