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ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.10.21 広告が消えた日

2011-10-21 18:50:22 | 日記
 昨日の読売新聞の夕刊を、なんだか下半分がやけに白っぽいな、と思いつつ手に取った。
 いつも広告がある小さな欄は白抜きで「きょう、10月20日は、新聞広告の日です。」とある。そして、下の2段抜きの部分には、真ん中に一行のみの文章。
 1頁目から繰っていくと、一つのストーリーになる。
「東日本大震災の直後。広告が消えた新聞をおぼえていますか。 
 広告スペースも、記事で埋めつくされた。それでも、悲しみのすべてを伝えることはできなかった。
 社会の活力がなくなる時、広告は、カンタンになくなってしまう。
 ふだん、なにげなく目にする広告。でもそれは、幸福の証なのかもしれない。」
  
 逆に最終頁から繰っていくと、もう一つのストーリーになる。
「東日本大震災では、多くの被災地が、病院や診療所を失いました。
 医師も薬も、足りない日々。眠れない夜だけが、人々に訪れていました。
 医療機関がないのなら、医療関係者が行けばいい。多くの医師が被災地に向かいました。
 いのちを救うために集まった、医師、看護師、救命士、薬剤師など。
 職業も地域も、その時は、関係ありませんでした。
 ただし、医療は、いのちを救う活動の、ほんの一部だったと思う。
 あの時、あらゆる人々が、いのちを救う活動をしていたのだと思う。」

 そして、真ん中の見開き両面ページにたどり着く。一面雲が浮かぶ青空、それを背景に、
「人間を、
 救わずにいられないのも、
 私たち人類だと思う。

 人を救うこと。
 その人が住み慣れた、ふるさとを守ること。
 地域を越え、国境を越え、その役割を担う人々の、力になること。
 私たち医師の、そんな想いは、これからも変わりません。」

 この見開きページで、初めの頁からと最後の頁からがお互いにジョイントして終わる。
「そばに新聞広告がある、ということ。 読売新聞
 そばに医師がいる、ということ。東京都医師会
「東京都医師会と読売新聞は、これからも被災地の復興のそばにいます。きょう、10月20日は、新聞広告の日です。」と。

 他紙の状況はわからないが、大震災から7ケ月あまり。あえて、新聞広告の日に新聞広告が消えた日を思い出させるこの広告が、とても印象的で私の心を打った。
 広告があるという日常はとても幸福なのだ、ということも。哀しいかな、何もかもなくなってみて初めて分かることなのだ、と思う。

 今朝の読売新聞・編集手帳にもこの広告についての記載があった。以下抜粋して転載させて頂く。

 ※ ※ ※ ※(転載開始)

 (冒頭略)「新聞ニ広告ノ載ル。/ナニゴトノ不思議ナケレド」である。◆不思議アリ、きのうの本紙夕刊(東京本社版)に驚かれた 方は多かろう。広告がない。あるべき場所は空欄になっている。「きょう、10月20日は、新聞広告の日です」といった文章が小さな活 字で載ってはいるのだが、ちょっと見には真っ白である◆寒々として、さみしく、痛々しく――広告なき紙面の印象をひと言では尽く しがたい◆思えばあの震災では、窓にともる明かりであったり、傾いていない家であったり、蛇口をひねればほとばしる水であった  り、“ナニゴトノ不思議”なく咲いていた薔薇が無残にもむしり取られた。あるべきものが、あるべき場所にある。普段は気に留めぬ 日常の風景がいかにありがたいものかを、小社広告局の趣向は無言のうちに語っている。(以下略)

 (転載終了) ※ ※ ※ ※

 そう、何より日常の風景を見ながら、自分なりの日常を自分なりに日常として過ごせる心と体のありがたみを噛みしめ、日々感謝したい、と思う。
 一方、被災された方々は、震災後7ケ月を経てもなお、かつての日常とはかけ離れた日常を送られているかと思うと、心が痛む。一日も早く、かけがえのない日常を取り戻せるよう、今、私に出来ることをなしつつ、祈り続けたい。

 昨夜も早寝をしたが、今朝は早く目覚めてしまい、起床時間まではベッドでぐずぐずしていた。おかげさまで少し鼻水と咳が減ったようだ。今日も引き続きマスクで出勤。とにかく今日さえ乗り切れば明日はお休みだ。
 これから来週にかけて、お天気は下り坂との予報でぱっとしないが、疲れた体が待ちわびる嬉しい週末だ。

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2011.10.20 よそ見はしても・・・

2011-10-20 21:02:34 | 日記
 今朝は今秋一番の冷え込みとのこと。いまだ風邪ひき状態であるし、早くもタイツ解禁、タートルネックも解禁である。
 今日は、先日延期になった息子の体育大会でもある。夫も私も出勤のため、「残念だけど見学には行けないよ。ごめんね。」と言うと、当の本人は実にサバサバしていて(何の練習もしていないから思い入れもないらしい。)、「全然構わないよ。」とのこと。いつもどおり飄々として出て行った。あまりに冷めた体育大会の朝、ちょっと淋しいのは私だけのようだ。

 こちらは咳も鼻水も盛大に出るのでマスクをして出勤。うっとうしいが仕方がない。午前中に何とか会議の準備等を済ませ、お昼はいまいち味が分からない中、とりあえずお腹に詰め込んで午後の会議へ。夕方、無事終了。昨日は薬のせいで眠くてたまらなかったが、さすがに出勤すれば眠くもならず、しゃんとするのが不思議だ。

 帰宅すると、殆どタッチの差で息子もご帰還。「どうだった?」と聞くと、着替えもそこそこに私の隣に張り付いてきて、得意のお喋りが止まらなくなった。なんと彼のクラスは10クラス中3位で、表彰状をもらえたとのこと。当然のことながら優勝はスポーツ推薦組だが、2位のクラスとは僅差で3位だったそうだ。本人はかなりご満悦の様子。先日の保護者会では、担任の先生から「このクラスは予選落ちかもしれません。あまり期待はしないでください。」と言われていた。この結果に驚いたのは他ならぬ担任の先生だったようで、息子は「先生から、クラス全員、パックのジュースを奢ってもらえるかもしれない!」と幸せそうに言う幼い15歳だ。
 さらには、彼個人はスポーツ推薦の選手と一緒に走った80mハードルで3位だったとのこと。「それは凄いじゃない。」と言うと、「スタート間際に、中学時代からの友人の応援の声が聞こえたので、手を振って応えていたら、スタートダッシュで出遅れた。」とのこと。それがなかったら2位になっていたかもしれないという。いかにも・・・な話だ。保育園児の時から、徒競走ではいつもよそ見をしながら走っていた息子である。何年経ってもこの落ち着きのなさとお調子者な所は変わっていない。

 夫も私も見学に行けずに残念だったが、夫が帰ってからも、夕食の間中ハイテンションで喋りまくる息子にとって、一つの良い思い出が出来たのだろうと思うとほっとした。
 そうはいっても明日は校外模試。毎日大変なことだ。ようやく「勉強・・・」と言いながら自室に籠ったが、気付けばまたベッドに突っ伏して玉砕かもしれない。

 今日も入浴後、早く休もう。明日一日を乗り切れば、休日だ。
 オリーブさんのコメントを拝見して、本当に大変な2ヶ月を過ごされたことを知り、免疫力が下がっているとき、無理は絶対禁物、ということを改めて痛感した。一度あれほど酷い目にあっているというのに、ついついずうずうしくなっている自分を反省する。

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2011.10.19 またも籠城蟄居

2011-10-19 22:12:49 | 日記
 昨夜はクリニックと薬局に寄ったため、いつもより1時間ほど遅い帰宅となった。
簡単に夕食を済ませて処方された薬を飲み、素早くベッドへ直行した。薬に眠くなる成分が入っているので・・・、とは聞いていたが、本当にあっという間に眠ってしまった。
 院長先生からは暖かい飲み物をたっぷりとって、喉を乾かさないようにと言われたので、お茶を飲んで寝たところ、夜中2時間ごとにお手洗いに起きる始末。そのたびに咳き込んだ。朝になると、咳のし過ぎで腹筋が痛むほど。今日は観念して1日休みを頂くことにした。貴重な有給休暇がまた減ってしまった。

 今朝はいつもどおりに起きて、お弁当を作り、2人を送り出した。そうはいっても長い一日、2人が家を出てから帰宅するまで10時間近くもあるではないか・・・。ならば、安静に過ごすとはいえ、読みたかった本を読んだり、ちょっと駅前まで最低限の買い物くらいには行けるだろう、と算段していたのだが、とんでもなかった。
 朝食後、薬を飲むとまた眠気が襲ってきて、あっという間にリビングでうとうと。だるくて頭も痛くてなんともやるせない。録り貯めていたビデオでも見ようかと思うが、これまた途中で眠くなって諦めた。

 お昼過ぎても殆ど食欲がない。水分だけはとらなくては・・・と、たっぷりお茶を飲み、またうとうと。気づくと時計は3時半を廻っていた。
 さすがにまだ息子は帰ってこないだろう、と片付け始めていると、なんと4時前に帰宅。いつもは5時過ぎだと聞いていたのだが、実はこんなに早いのかと聞くと、先日延期になって明日開催されることになっている体育祭の準備で短縮授業だったとのこと。息子も私が家にいたのに驚いた様子。
 それにしても同じ風邪をひいたはずなのに、息子は寝込むこともなく、ちょっと咳が残っている程度。食欲も旺盛で、おやつをたいらげた後は、早速ゲーム三昧なのに、こちらはぐったりとベッドに這いつくばっている。この差はやはり白血球の数の差、若さの差か。

 明日は会議があり、どうしても休めない。今晩はラッキーなことに夫は宴会で遅いし、息子も塾に出かけて帰りが遅いので、それまで、また体力温存することにして横になった。夕食も息子と2人ならありあわせで済ませられる。

 またも籠城蟄居。たかが風邪、されど風邪。抗がん剤治療中で免疫力が下がっている身には、決して馬鹿にできない風邪である。不幸中の幸いといえば、今週が休薬週だったこと。今日が通常の治療日だったら、この体調ではとても予定通りの治療は出来なかっただろう。そうなったら、またこれからの予定が全部ずれてしまうのだから・・・。


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2011.10.18 私もクリニック

2011-10-18 20:52:44 | 日記
 昨日、朝起きた時、案の定まだ疲れが残っていたが、通常通り出勤した。昼過ぎくらいから鼻水と喉の痛み。夕方には痰が絡んだ咳も加わってきたので、定時で勤務を終えて、帰宅。葛根湯を飲む。夕食後、検温してみたが、とりあえず熱はなかったので、ささっと入浴して、そそくさとベッドに入った。(そんなわけで昨日はブログ更新が出来ませんでした。ご訪問くださった方々には大変申し訳ありませんでした。)

 そして今朝、すっかり声がしゃがれて風邪声になっており、鼻水、咳、痰、喉の痛みが持続している。だるさと熱っぽさもある。とりあえず葛根湯を続けて飲み、昼の分も持って出勤する。
 ふと周囲を見渡すと、職場ではこのところの寒暖の差のせいか、あちこちでゴホゴホ、クシュンの大合唱。マスクをしている人もちらほらいて、風邪が蔓延している。これがうつったわけではなかろうが、一昨日の校友音楽祭で大口を開けたことで、風邪のウィルスまでも飲み込んでしまったか。

 ちょうど今週は休薬の週だから、今頃は一番白血球が少なくなる時期だ。こうした時に人混みに出ることは油断大敵である。抗がん剤投与を休むことで目に見える副作用がなくなるので、つい欲張っていろいろ予定を入れてしまう。けれど実際は、目に見えないところで白血球の低下が起こっているのだから、要注意である。休薬は、点滴しないでよい、ではなくて白血球が低くて点滴できない、ということなのだ、と認識を新たにし、反省する。(反省だけなら猿でもできる、と言うが、相変わらず懲りない私である。)

 そんなわけで、先週金曜日に夫と息子がお世話になったクリニックに、仕事の帰りに寄った。症状からして息子の風邪をもらったようで、気管支炎の薬を一式頂いてきた。院長先生とは息子のホームステイ話で盛り上がった。息子は生後2ヶ月からお世話になっているので、なんでもご存知なのだ。
 来月には、インフルエンザ予防注射も予約済みである。これもクリニックの予防注射実施日と投薬のタイミングを調整しての日程なので、体調を整えておかなければならない。

 学内を歩きながら、木々がすっかり色づき始めているのに気づく。季節外れの夏日があったりしても、季節は間違いなく秋が深まっているのだろう、と思う。

 昨夜プチ虹のサロンのSさんから携帯に着信があったが、早寝したため、受けることが出来ず、大変申し訳なかった。
 今朝になって気づいてメールでやりとりしたが、来月のプチ虹のサロンの相談だった。また、来月も充実した会になりそうで、楽しみだ。

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2011.10.16 3回目の校友音楽祭参加、無事終了

2011-10-16 21:57:24 | 合唱
 昨夕は練習が早めに終わって、徒歩で宿泊先のホテルに入った。夫と息子の到着まで小一時間、横になって疲れを取る。お腹に優しい夕食をとり、そそくさとベッドに入った。

 今朝は雨が止んだとはいえ、まだ曇り空。それでも予報では次第に天気は好転し、なんと29度にもなるという。朝食後、夫に都電の駅まで送ってもらって一人集合場所に向かった。
 校友音楽祭は、去年までは階段教室が舞台だったが、今年は最近出来た講堂で初めて開催される。集合時間の30分前に到着してしまったが、ぼつぼつとメンバーが揃い始め、会場で発声練習等ウオーミングアップの後、簡単なステリハ。先生による指揮で、曲の出だしと立ち位置を決めただけ。僅か5分で終了してしまった。

 その後、正午のオープニングセレモニーまで2時間弱の間に食事と着替えを済ませればフリータイム。同期の数名で学内を散策した。各県の校友会支部の模擬店が軒を連ねている。11月の学園祭のOB・OGバージョンといったところか。試飲・試食等冷やかしながら歩くが、人混みでなかなか前に進めない。それに、あまりに沢山の大学オリジナルグッズが揃っていて驚かされる。

 そして、何より私が通った学部の校舎が取り壊されて工事中だったのにびっくり。確かに去年まではここにあったはずなのに・・・。ここ数年で新しい建物がどんどん増え、キャンパスというより建物群と言った感じになっている。息子が4年前に中学受験をしたときの模試会場にもなっていた。その際、10年ぶりで訪れていて、その後の校友音楽祭参加ということもあって、年々他の学部校舎の建て替えが進んでいるのはわかっていたが、いざ自分がお世話になった建物が跡形もなくなっていることで、なんだか複雑な気持ちになった。女性のお手洗いは本当にここ1か所しかなかったよな、とかどうでもいいことを思い出す。一昨年に学部図書室や掲示板等を写真に撮っておいて良かった、と思った。

 11時過ぎに学食での早めのお昼。ホテルでバイキングの朝食をとって僅か3時間ほどしか経っておらず、さすがに食べきれなかった。それに、なんといっても勤務する大学とほぼ同じメニューというのがなんとも皮肉である。
 そのまま小講堂に移動して、校歌の練習。予報通りすっかり晴れて、汗ばむほどの日差しの下、講堂前で他の2合唱団とともに昨年同様校歌を歌ってオープニング。去年と同じように夫と息子が陣取って写真を撮っていてくれる。何とも照れるが、同期の友人に息子が来てくれていることを知らせる。歌った後は、友人に息子を紹介してから、音楽祭が開かれる新しく出来た講堂に移動した。

 前の団体の演奏を舞台裏で聞く。この何とも言えない昂揚感が好きなのだ・・・と今更のように思う。舞台に上がり、ライトが当たる。先生の顔を見ながら楽譜を開く。指揮に集中して最初の声を出す。至福の時だ。
・・・僅か15分のこの舞台のために、6月末から月に1、2回の日曜日、ほぼ一日がかりで練習に通い、今日を迎えた。昨日は前泊までして、費用対効果を考えれば何とも贅沢な話だ。けれど、こんな私の道楽を「元気で溌剌としているのを見るのは嬉しいから」と言ってくれる夫、思春期にもかかわらず嫌がらずに毎年付いてきて、私の同期にも照れ臭そうに挨拶をしてくれる息子に改めて感謝したい。
 予定通りのスケジュールで終了した。舞台からも夫が写真を撮ってくれているのが分かる。とにかく4曲歌うことが出来た。出来はさておき、同期の友人に囲まれ、先輩や後輩とともにこの時間を過ごせたことを何より嬉しく思う。「また、来年もぜひよろしくお願いします。」と幹事の先輩、指揮者の方にも挨拶をして会場を後にした。

 以前一緒に仕事をしたことのある友人が聴きに来てくれていた。彼女と講堂の踊り場で挨拶をしていると、もうおひとりサプライズの方が聴いてくださっていた。このブログを読んでくださっている方だった。予期せぬことにとても驚いたが、お目にかかれて嬉しかった。
 終了後、夫と息子、学部の友人と合流。大学内を散策後、懐かしいルートのバスに乗ってターミナル駅まで戻ってお茶をして帰宅した。

 こうしてまた私にとって大きなイベントが一つ終わった。明日からまたいつもの1週間が始まる。また来年の6月まで合唱はお休みだが、きっとまた・・・と心に誓った。
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