ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.10.13 昨日通院日に読んだ1冊

2011-10-13 21:08:02 | 読書
 昨日は病院滞在時間が短かったので、1冊と途中までにとどまった。

 羽生善治さんと柳瀬尚紀さんの「勝ち続ける力」(新潮文庫)。
 帯には「勝つためには忘れなくてはいけない-。翻訳界の巨匠が聞き出した、天才棋士の勝負強さの秘訣とその美学。」とあった。
 恥ずかしながら私は将棋のルールを全く知らない。子どもの頃、父が趣味で囲碁をやっていたので、毎週日曜日の昼下がり、テレビを横から眺めていたが、教えてもらっても全く出来るようにならなかった。将棋にいたっては将棋盤と駒さえ家になかったので、全く知らないまま半世紀生きている。

 そんな私でもお顔を知っているこの爽やかな笑顔の羽生さんが、もう40歳になるというのだから驚いた。15歳でプロ棋士となった天才少年が、今や2人のお嬢さんのお父さん。

 この対談を読むことで、プロ棋士と呼ばれる人たちがどれだけの記憶力に秀でた人種であるのかを知ることとなり、その凄さにのけぞった。とにかく”先を読む”というレベルが全く違う。しかも何通りもある手の先の先まで読んでいたら、本当にあっという間に何百、何千通りのパターンが出来上がってしまう。それをその都度考え尽くしながら・・・とてもではない。何かを極めた人間の思考とは、本当に凄いところまで深くなりうるものなのだ、と身震いするほど。
 「人が何かに魅せられている姿には、必ず魅せられるものだということです。」など、心に響く言葉も満載だった。
 そして、私はつい安易に使ってしまうのだけれど、“努力”などという言葉は人によって受け取り方が違うものだし、努力を努力とも思わずにやれるレベルも人によって違うのだ、と改めて思い知らされる。
 息子に「努力は大切」等と簡単に言ってはいけない、と反省する。
 それにしてもプロ棋士と言われる人たちが、一体どれほどの自己研鑽を積んでいるのかと思うと、ひれ伏すばかりである。

 一方、ジョイスなどの名訳で知られる柳瀬さん。ジョイスと言えば、大学時代の一般教養科目で「ユリシーズ」が教材になったが、「意識の流れ」を書くなどという実験的な手法は、当時の私には、全くもってわからなかった、という記憶しかない。何とも情けないことだ。

 そういえばこの夏、小川洋子さんの「猫を抱いて象と泳ぐ」という小説を読んだが、これは「盤という小宇宙に至高の音楽を奏でた伝説のチェスプレーヤーのひそやかな奇跡。」という帯のとおり、チェスのお話だった。囲碁も将棋も出来なければ、当然のようにチェスも全く出来ないのだが、両者に共通する“棋譜”ってどんなものなのだろう、と興味を持った。

 先にも書いたとおり、将棋には全くの門外漢で、基本的な言葉の意味すらわからない私が読んでも、新鮮で惹き込まれる対談であった。会話の背景について補足してくれる編集者の文章が挟まっていたので、最後までくじけずに読み終わることが出来た。とても満足して、読後ちょっと呆けてしまった。

 昨日は明るいうちに帰宅出来たので、気を良くしてたまった洗濯をしたり、とついつい張り切り過ぎてしまい、夕食後はすっかりくたびれてだるくなり、またもやさっさとベッドに入った。

 昨日から既に便秘でお腹のモタモタ感はあるので、朝も昼は少なめにしておいた。アロキシの成果か気持ち悪さはそれほどではない。
けれど、気持ち悪さは吐き気止めでコントロールできても、だるさは一向に取れない。帰宅して、夕食の支度をすると、なんだかがっくりしてふらついてしまい、ちょっと横にならざるを得なかった。
 今日も早く休んで、なんとか明日を無事に乗り切りたい、と思う。

コメント
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