昨日は断捨離がかなり捗って気分が高揚していたのか、頭が冴えている気がしたけれど、実際は疲れていたのかドラマの録画を視ながらちょっとウトウトしてから入浴。またしても日付が変わってからの就寝になった。
今朝、いつもの目覚ましとスマホアラームが鳴って、消してまた寝てしまう。次に気づいたらBSで朝ドラが始まった時間。トホホ、またやってしまった。リビングに行くと息子は朝食を終えて出かける支度をしていた。
送り出してから洗濯機を廻し、夫と2人で朝食。夫はバスに乗って百貨店の大阪名物等を買いにお出かけである。整理券を配っての販売というからかなりの混雑が予想されそう、と1台早めのバスに乗れるように出かけた。
洗濯物が出来上がり、ベランダに干す。なんとかお天気は持ちそうだが、相変わらず湿度は高め。
朝食を摂り、洗濯物を干しただけでなんだかぐったり疲れてしまう。昨日頑張りすぎた反動か。夫はお昼を食べて戻るということだったので、少しのんびりしてから断捨離を、とソファに横になってビデオの録画を観始めたらなんとなくウトウト。
夫から長蛇の列の写真等が送られてくる。整理券ではなく並んでいれば4,50分で買える列に入れたようだとのこと。それにしても、開店前から数百人の列とは恐るべき人気である。私は大好き、息子ももちろん大好きである。
豚まんとチマキと焼売を買い、それ以外にも何か買ったようで荷物が重いのでこのまま帰る、と連絡があったのは11時少し過ぎ。慌てて生協の注文書等を記入する。
お昼前に戻ってきた夫が持ち帰ったまだホカホカの3点セットを冷蔵庫に入れる。暑い中長蛇の列に並んで疲れたのだろう。着替えてリビングに来たと思ったらあっという間にお昼寝を始めた。
洗濯物が乾いたので取り入れて畳み、気持ち良さげにうたた寝する夫を起こし、レンチンピラフやグラタンにフリーズドライスープとゼリーを付けたいつものランチを摂る。「遅いね~」と言っているとちょうど昨日代替品を届けますということになった生協の方からオレンジが届いた。カビが生えていた現物をお渡しして一件落着。
木曜日の午後はY先生のビギナーヨガのクラスだ。途中でATMで記帳をしたり、夫に頼まれた封書をポストに入れたり、雑用を済ませてからスタジオ入り。参加者は18名ほど。今日ものびのび。瞑想、足のマッサージ、座りポーズ、四つん這いのキャットアンドカウからダウンドッグ、うつ伏せでバッタのポーズ等を経て、最後は腹筋を少し使ってシャヴァーサナ。今日もたっぷり汗をかいた。
シャワーを浴びてスタジオを出る時、下駄箱の鍵がバッグに滑り込んでしまって見当たらず、大汗をかいた。夫と階下で待ち合わせ、スーパーで買い物をしてからカフェでお茶。夫はこの前飲んだスイカフラペチーノが良いと言うが、私は冷たい物ばかりではお腹が心配なので、店内で冷房が効いているならホットラテがいいと主張し、それで落ち着いたけれど、夫は甘いパンまで頼む始末。駅前スーパーで用事が足りなかったので、アウトレットモールのスーパーにも立ち寄って夫のマーマレードづくり等の材料を揃えて帰宅した。
母にMeet通話。今日はデイサービスのランチがとても美味しかったそうな。帰宅後はありあわせの夕食を済ませたところだという。明日は年配のヘルパーさんが来られる日だ。欲しいと言われた椅子2脚を早く持って行ってくれるとよいのだけれど、とのこと。
その後、息子が一時間ほどの残業で帰宅。夫が買ってきてくれた3点セットにスープとサラダをつけて食卓を囲んだ。やはりどれも間違いなく美味しい。夫も息子も「美味しい、美味しい」とビール片手に終始ご機嫌だった。来月は夫が、11月には息子がそれぞれ大阪行きの予定があるので、その時はチルド土産を買って来てくれるそうである。楽しみだ。
今日の記事のタイトルは、読売新聞医療サイトyomiDr.の連載、Dr.高野の「腫瘍内科医になんでも聞いてみよう」の最新号(2023年8月24日)によるもの。以下に転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
患者さんを看取るのはつらくないですか?
腫瘍内科医として、多くの患者さんと出会い、そして、お別れをしてきました。人生の最期の場面に立ち会い、お 看取みとりすることもよくあります。
別れはつらく、悲しいものです。
涙がこみ上げてきますし、無力さを感じることもあります。
看取りの時間は人生のフィナーレ
患者さんを看取ることの多い腫瘍内科医は、燃え尽き症候群が多いという海外の報告もあります。
病気を治して元気に退院する患者さんを見送るのが医療の本来の姿であり、患者さんを看取るのは敗北だという医師もいます。
でも、私は、患者さんをお看取りすることや、死にゆく過程に寄り添うことは、医療の本質とも言える、とても重要な行為だと思っています。
この世に生を受けた人は、いつか必ず死を迎えます。死はすべての人に等しく訪れるものであり、それは、けっして敗北なんかではありません。
人生は壮大な物語であり、死にゆく過程はその物語のフィナーレです。死にゆく人は、家族など、大切な人たちとともに、これまでの物語を振り返りながら、最後の時間を過ごし、物語を完結させます。ここで、大切な人にバトンが受け渡され、亡くなったあとも、物語は、大切な人の心の中で生き続けます。
この過程は、本人にとっても、大切な人にとっても、重要な意味を持ちます。人生の中でも、特に濃厚な時間です。
医師として、その場面に立ち会い、時間を共有するのは、つらいことではありますが、やりがいのある、貴重な経験でもあります。
主役は、ご本人やご家族であり、医師は黒子に徹するべきですが、患者さんの人生を支え、物語のフィナーレをよりよい形にするために、医師が果たすべき役割はそれなりにあると思っています。
患者さんやご家族にお話しすること
フィナーレを迎えようとしている患者さんやそのご家族には、これから起こりうることや、それに対する心構えについてお話しします。
患者さんやご家族からは、ご希望やお考えをうかがい、その人らしく過ごせるようなサポートをします。できるだけ穏やかに過ごせるように、苦痛症状の緩和には特に力を入れます。
最期の場面で、心臓マッサージや人工呼吸などの「延命処置」を行うかどうかを話し合うこともありますが、自然な経過で最期を迎える方に延命処置を行うことはほとんどありません。
多くの場合、死にゆく過程で、患者さんの意識は薄らいでいき、眠った状態になります。亡くなる前には、下あごを上げて、少し苦しそうに見える呼吸状態( 下顎かがく 呼吸)になります。
ご家族には、次のように説明します。
「お別れの時間が近づいているようです」
「苦しそうに見えるかもしれませんが、これが自然な呼吸で、苦しいわけではありません」
「聴覚や触覚などの感覚はちゃんと伝わっていますので、手を握って、声をかけてあげてください」
あとは、ご本人とご家族が大切な時間をゆっくりと過ごせるように、医療者は部屋を出て、遠くから見守ります。
死亡確認とともに「ありがとう」
お看取りの際には、医師が死亡確認を行います。
私が死亡確認をするときは、永眠されたことを家族に伝えたあと、患者さんの肩に手を当てて、「おつかれさま」「ありがとう」という言葉を心の中で唱えます。
がんと向き合い、様々な治療に取り組み、つらいこともたくさんあった中、頑張ってこられたわけですので、ねぎらいの気持ちがまず浮かびます。そして、その患者さんと出会い、大切な時間を共有できたことへの感謝の気持ちも湧いてきます。
ご家族にとっては、最もつらい別れを経験したばかりの状況ですので、どのように声をかければよいのか、なかなか言葉が見つからないことも多いですが、患者さんとの思い出を振り返りながら、ご家族にも、ねぎらいと感謝の気持ちを伝えます。
「〇〇さんもご家族も、これまで本当によく頑張られたと思います」
「〇〇さんと出会えたことに感謝しています」
かけがえのない最愛の人を看取るのは、「あなた」という「2人称の死」です。一方、医師が規定通りに「死亡確認」を行い、「死亡診断書」を記載するのは、「彼」や「彼女」という「3人称の死」です。
大事な患者さんをお看取りする際には、家族ほどではないにしても、患者さんとのエピソードが思い出され、様々な感情が湧いてきます。一方で、医師として冷静に対応する必要もあります。この2人称と3人称のバランスが重要で、医師にとって、患者さんの死というのは、「2.5人称の死」と言えます。
「3人称の死」だと割り切って、機械的にお看取りをすれば、つらさは感じずに済むかもしれませんが、それは医療のあるべき姿とは言えません。ただ、「2人称の死」だけになってしまうと、つらさに共感できても、医療者の専門性は発揮できません。両者のバランスをとることで、医療者は、自身のつらい気持ちを整理しているのかもしれません。
「患者さんを看取るのはつらくないですか?」という質問への回答は、こうなります。
「つらさも感じますが、人生のフィナーレを彩る大事な医療であり、得られることもたくさんあります。つらさよりも、患者さんへの感謝の気持ちの方が大きく、燃え尽きることなく、医療を続けられています」
「がんになってからが、人生で一番充実していた」
最近も、患者さんをお看取りしました。
進行がんと診断されて約3年間、私の外来で薬物療法や緩和ケアを受けていた40歳代女性のAさんは、「がんと診断されてから過ごした時間は、人生の中で一番充実していた」「私は十分に生きたから幸せ」とおっしゃっていて、外来に来られるたびに、楽しい話をしてくれました。
私が医療監修を務めたNHKドラマ「幸運なひと」(2023年3~4月放送)の「患者の会」の場面では、Aさんは、患者役で出演し、シナリオなしの撮影で、生の言葉を語ってくれました。「何か病気になるとして、それががんだったのはラッキーでした」というAさんの言葉が、ドラマの中の重要なセリフとして採用されています。
なんでも本音で話してくれて、「苦しいのはイヤ」「延命処置はしない」「旅行に行きたい」など、意思表示も明確でした。ご希望通り海外旅行に出かけ帰国した直後に体調を崩し、脳転移が判明して入院し、その後しばらくして亡くなられました。
想定していたよりも早い経過でしたが、ご本人は達観されていて、ご希望通り、苦痛をとることを最優先にケアを行い、ご家族に囲まれての穏やかな最期でした。
ご家族も、Aさんの思いを理解されていて、お看取りの直後、ご家族とお話しした際にも、Aさんの思い出が次々と出てきて、楽しい語り合いとなりました。
Aさんとのお別れは、とても悲しい出来事でしたが、彼女の希望に沿った医療ができて、彼女なりに生ききるのを支えられて、その思いをご家族とも共有できて、なんだか温かい気持ちになりました。
患者さんは、Aさんのように達観した方ばかりではなく、お看取りの際に、達成感を得られることは多くはありませんが、患者さん一人ひとり、それぞれの生き様に触れられることは素晴らしいことだと思っています。
Aさんはじめ、これまでお会いしてきた患者さんたちから教わったことを胸に、これからも患者さんの幸せを支えていきたいと考えています。(高野利実 がん研有明病院院長補佐)
(転載終了)※ ※ ※
人は生まれてきたら誰でも必ず死んでいくものである。不死身の身体はどんなにお金を積んだところで手に入るものではない。その当たり前すぎるほど当たり前のことが、日々健康に暮らしているとずっと遠い先のことで、リアルには感じられない人が殆どだろう。けれど、いざ治らない病気になって、その当たり前のことが当たり前として迫ってくると、人はたじろいでじたばたするものではないだろうか。
「がんになってからが、人生で一番充実していた」という最後の項で、進行がん治療中の40歳代女性が「がんと診断されてから過ごした時間は、人生の中で一番充実していた」、「私は十分に生きたから幸せ」、「何か病気になるとして、それががんだったのはラッキーでした」という言葉を残したと紹介されているが、私は15年半余り再発治療を続けていても、恥ずかしいことにいまだそこまで達観出来ていない。
もちろん再発進行がんと診断され、エンドレスの治療を余儀なくされてからは、いつ自分の人生が断ち切られるかわからないのなら、今日が最後の日になったとしても後悔しないように日々精一杯生きようと自分なりに頑張ってはきた。けれど、果たして診断後の時間が一番充実していたと言えるか、十分に生きたから幸せだと言い切れるのかどうか。ましてやなった病気ががんだったのはラッキーだなんてとても言えない。
46歳で再発した時には、治療を続けながら62歳まで生き永らえるとはとても思えなかったから、50歳になった時も、還暦を迎えた時も、そして定年退職までフルタイムで勤め上げることが出来た時も、その都度有難く感謝して頭を垂れてきた。
初発後に始めたヨガの学びを深め、再発治療中に指導者養成コースを修了し、患者会でコンスタントにクラスを持つことが叶うとは再発判明当時は予想だにしなかった。
それを思えば、がんになってから過ごした時間は十分充実したものだったと思う。それでも強欲な私は、叶うならばもっと生きていたいと思っているのだ。治療が辛くないとは決して言えないけれど、生きているとそれを耐えるに値する愉しみが(もちろん時に辛いこともあるだろうけれど)あるのだ(これまでもあった。)。
高野先生が書かれている通り、この女性のように達観した方ばかりではないのは現実だろう。それでも人は生きたようにしか死んでいけないというのは本当なのだろうと思う。たとえ病気でなくとも人として生まれたからには必ずやって来るその日のために、今日自分が出来ることを一つ一つ積み上げていくしかないのだ、と改めて思うのである。
と、書きながら、今日はなんとなくゴロゴロしてしまって昨日はアクセル全開だった断捨離が掛け声だけで終わってしまったことを反省する。
明日は健康診断だ。朝食抜きで11時スタート。結構時間があるからバテない程度に頑張ろう。それをクリアすれば午後からは月に一度のお愉しみ、Wさんマッサージが待っている。明日も断捨離の成果品を入れた大きな袋を持参の予定である。