ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.10.14 あけぼの会創立40周年記念大会参加・・・そして銀ブラ

2018-10-14 23:42:30 | あけぼの会

 今日は乳がん患者会あけぼの会創立40周年記念大会だ。サブタイトルは「私たちは何を変えたか、そして未来!」だという。
 38歳で乳がんに罹患され、その後あけぼの会を立ち上げ40年に渡り運営されてきた会長さんが今回で勇退を決められた。

 2009年6月の誕生日に入会して足かけ10年になった。こうした大会に参加するのは6回目だ。
 会長さんから「ご主人も連れて来てね」というお話を頂き、今回は最後だし、悲しいことにご一緒する仲間もいないし、一度夫にも聞いてもらってもよいな、と、ともすれば引きこもり系の夫に同行を願った。

 11時開場だが、満員御礼でお断りもしていると漏れ聞き、開場直後にはホールに到着するように早めに家を出た。
 予定通りほぼ開場時間に到着する。今回の大会は、就職して通勤のため毎日通った場所に近いホールでの開催で、3年ぶり-昨年は熱海宿泊、一昨年はもう少し小規模な都心の別ホールでの開催-だったが、私がここに来たのは5年ぶり。

 夫と出会ったのもこの街である。庁舎が移転してから四半世紀以上経つので、駅周辺は様変わりしており、かつて勤めた庁舎も既に影も形もない。けれど、変わらぬ果物屋さんやら中華料理屋さんなど、懐かしさで一杯になる。
 大会は12時から16時までの4時間の長丁場。お昼を摂る時間もないので、途中のコンビニで軽食を調達してホールに到着。ショッキングピンクのTシャツに身を包んだ事務局の方たちや、お手伝いの各支部の方たちに迎えられ、広報でお世話になった事務局のSさんや、重複がんの治療から復帰されたカメラ片手のKさん等何名かの方にご挨拶。

 ホールに入ると既に席は殆ど場所取りが終わっている。最前席の前には補助椅子がギッシリ。700名を超える参加者がいるようだ。かろうじて前方右寄りの席を2つ確保してから、ロビーで軽食を摂る。ソファは一杯で、立食になった。ロビーには「会長さんに一言メッセージを」のコーナーがあり、夫とともにブルーの付箋に感謝の言葉を書いてきた。

 そして定刻通り会がスタート。司会は事務局のSさんだ。
 正面の舞台にはピンクの文字で今回のテーマが掲げられた看板と、会のスローガン「再び、誇り高く美しく」がスライドで写されている。
 黒い帽子を被りショッキングピンクのスーツに身を包んだ会長さんが開会のご挨拶。これまでの歴史を述べられた後、ご自宅で会を立ち上げた当時6歳だった息子さん、8歳だったという娘さんが、それぞれロンドンや広島から駆けつけてご挨拶された。可愛らしいお孫さんの姿もあった。ご主人がALSを患われ、数年にわたりロンドンを25往復しながら介護する傍ら会長を続けてこられたのだ。ご家族の支えにも本当に頭が下がる。

 そして全国各地から集結された6名の錚々たるドクターによるオムニバス形式の講演がスタート。
 愛知県がんセンターから岩田広治先生が「新しい治療法の開発―臨床試験には患者さんの協力が不可欠ですー」、がん研有明病院から大野真司先生が「未来を拓くーICT時代の乳がん医療―」、日本医科大武蔵小杉病院の勝俣範之先生が「再発しても希望を持って生きるーがんとうまく付き合っていくには?-」、数年前の会のシンポジウムでご一緒させて頂いた紅一点の清水千佳子先生が「サバイバーシップを科学するー新しい医療の創出―」、京大病院から戸井雅和先生が「トランスレーショナル研究―がんと宿主の特性を理解するー」、トリにはメルボルンから今朝帰国されたばかりという昭和大病院の中村清吾先生が「乳がんの予防はどこまで可能かー遺伝性乳がんのことなどー」という演題でお一人15分の持ち時間を目一杯使って熱弁を奮われた。

 それにしても10月の乳がん月間、お忙しい筈の著名な先生方がよくもここまで揃われたものだ。途中メモを取りながらさすがに情報過多になり、ちょっとオーバーフロー気味で酸欠状態。

 15分ほど時間が押して、休憩時間になる。
 水分と糖分補給のため、ソファに腰掛ける。お手洗いの行列が凄い。そんな中、先日の瞑想ヨーガ教室に参加してくださったお二人にバッタリ。お互いにびっくりである。笑顔で挨拶出来る方がいるという有難さを思う。

 お手洗いを済ませ、予定より5分ほど遅れて第二部開始。
 パネルディスカッションでは会長さん、新副会長さんと清水先生が司会進行をされ、6人の先生方がずらりと並ぶ。今回は、会長さん勇退ということで駆け付けられたであろう、既に治療は終えられた乳がん卒業生の方が多く、(再発)治療中の方は少数のように見受けられた。

 ギャラリーから患者からの要望なども受けつつ、先生方にお応え頂く。治療選択肢が複数示されても、一つしか示されなくても患者は悩む。主治医との人間関係や相性、コミュニケーション能力等問題は多岐に渡り、なかなか一筋縄ではいかない。難しい問題だ。それでも先生方の日々の忙しさを思うと、患者自身も勉強し、たとえ短い5分くらいの診察時間でも、それを最大限に活用できるようにその都度真剣勝負で臨まなければならないように感じている。

 最後に6人の先生方が、何を考えて乳がん患者のためになさっているか、その情熱の源を伺って、時間通りシンポジウムは終了。
 後半はお待ちかねの「全国からようこそ」のコーナー。北は北海道、南は鹿児島までの36道府県の支部長さんが舞台にずらりと並び、各県からの参加者人数が司会から報告され、参加者はその場に立つという、参加者にとってこの場にいることが実感できる大切な時間だ。東京からは200人弱の参加者がおり、私もその場で起立した。
 韓国のソウルからも会員がお一人いらしていてご挨拶をされた。

 いよいよ閉会の時間が迫ってくる。次期の副会長さん4人と会長さんの自己紹介に続き、製薬会社さんや新聞記者さん等関係者のご挨拶も。そして同行されたご主人たちもスタンドアップ。隣に座っていた夫も起立して拍手を頂いた。
 舞台の上の4名の事務局の皆さんからも一言ずつご挨拶があり(残念ながら事務局の方たちはこれでご卒業のようだ。)、最後は戸井先生が全員の三・三・七拍子の音頭を取られてお開きとなった。定刻の4時。

 かなり密度の濃い4時間。到着時間から引き続けば5時間近く。うーん、これは元気でないと治療中で体調がイマイチの患者にはかなりハードな時間である。かくいう私もかなり疲労困憊、であった。
 いつものように帰りはエスカレーターの脇で会長さん自らがお見送りをしてくださる。夫と2人で順番を待ち、ご挨拶と握手をしてホールを後にした。

 それにしても、医療者に対しても家庭でも職場でもともすれば立場が弱くなり得る患者に寄り添い励ましてくれた会の存在意義は大きい。会を立ち上げた会長さんには心から敬意を表したい。
 私がこうしてブログを綴るようになったのも会長さんの後押しがあったからである。感謝してもしきれないものがある。
 会長さん、長い間本当にお疲れさまでした、そしてありがとうございました。

 さて、水分補給と疲労回復のためにカフェに入って一服。せっかく銀座にいるのだから、といつもお世話になっている百貨店のショップでコーディネートのお手伝いをしてくださる店員さんが、今月から銀座の百貨店に異動されたので、差し入れを持ってご挨拶に。あいにく丁度休憩時間で、あと15分ほどで戻りますというので、時間調整をしたのが運の尽き。目の保養のつもりで売り場に言ったところ、夫のスーツを新調することになった。まあ無事店員さんにはご挨拶出来て、とても喜んで頂けたけれど。

 こうして何年振りか夫婦で銀ブラを楽しみながら、夫の出身県のアンテナショップで故郷のお菓子や漬物等の買い物を済ませた後、その2階にある、県産の食材のみをふんだんに使ったメニューが評判のレストランで、予約していたフルコースディナー。お昼が軽かったのでお腹ペコペコだったけれど、さすがに最後はお腹がはちきれそうになって別腹の筈のデザートを残す、という事態になってしまった。さくらんぼを餌に育ったというさくらんぼ鶏のパスタや、ダチョウのタルタルを添えた“雪若丸”米のリゾット、だだちゃ豆の餌を食したという仔羊のロースト、和梨のパンナコッタ等々とても美味だった。

 そんなわけで帰宅したのは朝家を出てから実に12時間後。充実した長い長い日曜日となった。
 明日からまた1週間が始まる。途中でガス欠にならなければいいけれど・・・。

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