ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2024.6.8ドセタキセル4回目(6割減量2回目)+ジーラスタボディポッド3回目17日後のこと 今日から一足早く誕生日祝賀旅行スタート!

2024-06-08 20:00:56 | 

 昨夜は入浴後、久しぶりに10時台(!)にベッドに入った。
 今朝は4時半にスマホアラームが鳴る。5時45分指定でタクシーの迎車を頼んだ。さすがに朝食を摂る元気はなかったが、“今日も元気だなんでも美味い”夫はしっかりアンパンと牛乳を召しあがっている。
 ごみを捨て、毬藻の水を替え、身支度を整えて、さて、出発だ。実際の誕生日には治療後で体調不良が見込まれるので、一足早い誕生日祝賀(自分で言ってどうする!だが・・・)旅行だ。

 コロナ以降すっかり間引き運転になってしまい、最寄り駅出発で丁度良い時間のリムジンバスがなかった。予定では集合時間の1時間半前には到着してしまう。けれど、渋滞で遅れた時の場合も考え、電車のように荷物を持って階段の上り下りもないので、やはりバスは捨てがたい。
 結果、何のトラブルもなくスイスイと予定時間より更に20分近く早く到着してしまった。

 早朝の空港は既に旅立つ人たちで一杯。いつ来ても時間を感じさせない場所だ。けれど、さすがにまだ早すぎて旅行会社の受付カウンターは準備中。声を掛けたら、まだ集合時間の1時間半以上前なので、30分以上してからいらしてください、といわれる。
 近くの椅子に座わり、持参したバナナとヨーグルトをお腹に入れる。朝食後の薬はバス降車直前に飲むという逆転現象だ。

 それでもカウンターの女性がご親切にも気を利かせてくれて、8時には「準備が出来ました」とわざわざ呼びに来てくださった。今日は2人とも小さな機内持ち込み用荷物だ。セキュリティを難なく通過し、そのままラウンジへ直行。
 朝食もバナナもお腹に入れた筈の夫は、更にラウンジのパン&珈琲セットも頂くという。2人で2種類のデニッシュセットを半分ずつ。トマトチーズ味もピーカンキャラメル味もどちらも美味しかった。窓からはひっきりなしに飛行機が飛び交っている。

 それにしても、搭乗する飛行機の出発時間まで優に2時間。機内のお供に、と持ってきた薄い文庫本はほぼこの時間で読み切ってしまう。 
 納棺師・大森あきこさんの「最後に『ありがとう』と言えたなら」(新潮文庫)。
 帯には「最初から最後まで涙が止まりませんでした(読者の声より)4000人以上を見送った『おくりびと』が泣いた家族の物語」とある。

 心に残ったフレーズを以下に。
「人は死んだらどこへ行くのかーそれを考えるとき、私の中でこんな映像が浮かびます。一つの命が、花火のようにパッと散って沢山の欠片になり、自分を想ってくれる人の中に飛び込んでいく。その欠片を受け入れてくれた人の心は、初めのうちはズキズキ痛むけれど、欠片は時間とともに溶けてその人の一部になっていく。多くの死とお別れを見ながら、そんなことも考えています。」
 自分もそんな存在になれたら素敵だなと思った次第。

 夫は2時間という史上最長のラウンジ滞在にさすがに飽きてしまったようで、落ち着かない。早く搭乗口に行きたがる。行っても仕方ないと思うのだけれど。
 ということで、ゆるゆると搭乗口へ移動。定刻通りの離陸だ。夫にはちゃんと窓際の席を提供する。
 3人席で(隣が空席で)2人だといいな、と図々しく思ったけれどあいにく満席。真ん中の席に挟まってなんとなく居心地が悪い1時間半弱。

 途中、まだ半分ほど雪を被った富士山の火口がハッキリと見え、淡路島、小豆島、瀬戸内海の島々がくっきり。
 定刻より5分早い到着というアナウンスだったが、最後は気流により若干の揺れがあり、定刻より若干遅れて“桃太郎”空港に到着した。

 岡山空港に降り立ったのは初めてだ。荷物が出てくるのを待たなくて良いので、お手洗いを済ませ、そのまま到着口へ。今回のツアーは山陰山陽4日間。御一行様は18組36名である。久しぶりにこんなに多くの方とご一緒するツアーになった。

 空港を出発したバスがまず向かう先は倉敷美観地区だ。倉敷には学生時代にダブルスクールで仲良くなった倉敷出身のNちゃんを頼り、社会人1年生の夏に訪れた。帰京した日に、あの御巣鷹山の大惨事があったのだった。

 それ以降、息子がまだヨチヨチ歩きだった年末に家族3人で訪れた。折り悪く息子が体調を崩して熱を出し、救急診療のお世話になった。年末年始休暇中でどこもクローズ。ホテルで紹介して頂きお世話になった病院はなんと成人病センターだった。

 そして3度目は両親とともに。この時はテーマパーク大好きだった息子(勿論、私も。そのおかげで全国名だたるテーマパークはほぼ制覇した。)のためにチボリ公園をメインのリベンジツアー。美観地区では人力車にも乗った。現在、既にチボリパークは閉園になっており、今ではアウトレットモール等に姿を変えている。

 そんな記憶はさておき、与えられた自由時間は昼食込みで2時間だ。少し雲が厚くなってきているが、時折日が差すと蒸し暑い。28度位あるようだ。
 迷わずに近くの老舗ホテルの“藤”という名前を持つフレンチレストランに向かう。エントランス近くの公園入口には立派な藤棚がある。予約もない飛込だったけれど、窓際の奥の良い席に案内される。スープ、サラダ、メイン、デザート、珈琲紅茶のスペシャルランチを堪能した。エディブルフラワーの盛り付けがとても美しかった。ここで残り時間は小一時間だ。

 美術好きだったら倉敷観光で外すことの出来ないピカソやエル・グレコのコレクションを誇る大原美術館に入館する時間は残念ながら、ない。ショップで文通しているIちゃんに出すためにモネの睡蓮の絵葉書を買い求め、入口で写真を撮っておしまい。残念。
 かつてパリでリアルに鑑賞したロダン作・カレーの市民のレプリカと夫のツーショットも。

 物語館にもちょっぴり入館。展示館は立派な建物である。
 倉敷川には天領丸という名前の船が水上を滑る。お客さんは船頭さんと同じ傘を被っている。柳の緑が濃く、美しい。更に、白無垢の花嫁さんと紋付き袴の花婿さんの船も。「おめでとうございます」と手を振って幸せのお裾分けを頂いた。

 残り時間20分ほど。あちこち見たい処は沢山あれど、そのためには食事の時間を削って観るしかない自由時間だ。紹介されたお土産屋さんでお菓子を買ってちょっぴりプレゼントを頂き、バスに戻る。
 集合時間まであと7分だったか。皆さんパンクチュアルに揃い、集合時間丁度にバスは出発した。

 次なる行先は瀬戸内海国立公園の代表的な景勝地、鷲羽山展望台。昭和63年に全線開通した瀬戸大橋の全景に橋の終点・四国の坂出まで見渡せて、文字通り素晴らしい眺めだ。
 父の故郷である四国に初めて上陸したのは学生時代。その時に、先日那覇でお世話になったMちゃんのご実家を訪問した。当時は宇高連絡船で四国入りしたのだった。

 と、あれこれ思い出が尽きないが、残念だったのはお天気は下り坂で、雲が厚く、青空でなかったため、海の色があまり青くなかったこと。それでも雨が降らなかったのが幸いだった。瀬戸内海は本当に穏やかに凪いでいる。
 停車する車が少なく、一番上の駐車場までバスが登ってくれて、最後の少しの階段を上るだけで済んだ。帰りもそこにいられなかったら下の駐車場まで階段を降りるかもしれません、と言われていたけれど、それもなく有難かった。石段を上り下りすると、悲しいかな、だんだん足の裏が痛くなってくる。
 20分絶景を愉しみ、バスに戻る。あとは宿まで10分少々だ。

 チェックインしたのは起床からおよそ12時間が経過した頃。夫はバスの中で船を漕いでいたが、私は眠いのになかなか眠れず。
 和洋室の部屋からも瀬戸大橋の全景が見える。丁度角部屋で2面の窓があり、ラッキーだ。
 夕食は懐石ブッフェ。第1部ということで、ちょっと早い夕食なので、到着から食事までの間にお風呂を愉しむ余裕はなく、こうして記事を書いている。

 さて、夕食から戻ってきた。ライブキッチンでオーダー制の握り寿司やお造り、揚げ物、焼き物等のメインが頂ける。前菜は美しくテーブルのガラス箱に飾られ、さらに諸々のお料理や飲み物がブッフェになっている。
 悲しいかな、眼は卑しくてもお腹はすぐに一杯に。お寿司3貫とお造りを頂いたら、もう腹八分目。お隣のご夫婦は墨田区からご参加とのことで、ワインを頂いて饒舌になった夫が職場のある浅草の話等をして盛り上がった。

 お腹がぱんぱんになってそれでも別腹のデザートを少しずつ色々頂いてレストランを後にした。日没が近づき、暮れなずむテラスでライトアップされ始めた瀬戸大橋を見ながら、部屋に戻ってきた。

 母にMeet通話。今日はサ高住で朝ラジオ体操をしているグループに誘われて、昨朝と今朝、2日続けて参加してきたそうだ。日曜日以外は毎日やっているとのことで、これから出来るだけ行ってみようとのこと。それは良かった。その後も洗濯をして布団を干して、クリニックで薬を頂いてきたそう。充実した一日だったとのこと。何よりだ。

 さて、これからまずは最上階の露天風呂、そして別棟のお勧めの内風呂にもトライしてこなければ。
コメント
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