おはようございます。生き生き箕面通信2501(151114)をお届けします。
・「一人称のアンセム(賛歌)」が、民主主義の「歌」――加藤登紀子さん
「『独房にある便所の蓋をあけるとネズミ君が顔を出す。それが唯一の友達だ』。私は泣きました」。歌手・加藤登紀子さんが今朝の11月14日に、朝日新聞の「耕論」で、「国会前一人称の『歌』が響く」と題してアンセムを歌いました。
あれからもうかれこれ50年。まだ夫とはなっていなかった藤本敏夫氏とは、「ひとり寝の子守歌」で、自分の持ち歌を生涯はなさなかった。当時は「われわれ」の時代。それがようやく「一人称の私」になりかけた。
69年の日本レコード大賞では、「歌唱賞」を受賞。フォークの神様と呼ばれた岡林信康も「私たちの望む物は、私でありつづけることなのだ」とうたいました(朝日新聞)。現在、SEALDsがうたっているのも、そうなのだ。「われわれ」から、「わたし」へ。そして、一人ひとりが、自分の「歌」を持ち始めようとしている。
この「耕論」のついには、磯部涼さんがいましたが、「音楽はすでに静かに、再び政治を歌い始めているのです」と、いっていました。
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一人一人の自分の歌が、ぢつは どれも同じだったりする。ファッシズム、全体主義の到来だ。
歴史を断ち切られた社会はそーならざるを得ないのではないか。 敗戦によって過去はすべて悪いものだった、軍国主義だった、糞だ、もぉ振り返りません、なんつってアメリカ化革命を信じた左翼ら。
戦前の日本に一度立ち返ってみるべきである。
戦前日本の像は、悪しきものとして戦後捏造されたものにすぎない。
田中美知太郎いわく、日教組教育では、戦前戦中
私たちは暗い谷間を歩いてきましたなんて教えているが、真っ赤な嘘であると。神様も親父殿に確かめたが、暗いっちゅーもんじゃなかった、勇ましいもんじゃったと。敗戦後の日本こそ暗い世相なのだ。平和だの反戦だの不戦の誓いだの、偽善的な、女の腐ったような国家に成り下がったのが戦後日本だ。