おはようございます。生き生き箕面通信2702(160602)をお届けします。
・高齢単身者は「ひとりでどこへ行く」のか――1人だけではない。2人でも大変です
夫が、「認知症の妻を残したままでは死ねない」と、妻を殺して自分も死んでしまう例が増えてきました。もちろん、1人で亡くなる人も少なくない。
高齢単身者は、どうしたらゆっくり死ぬことができるのでしょう。昔は、せめて畳の上で死ねたら、と思う人が多いと聞きました。今は、死ぬことができても、そのあとの始末は、結局、誰かに頼まなくてはなりません。どうせ、死ぬのだから、後は野となれ、山となれ、では後始末ができていない分、美意識に欠けます。
と言って、行政に頼むとしても、だれが引き受けるでしょう。日本の家族制度では、いまだに「夫婦と子供2人」が最低単位です。そのなかで、身元引受人は、夫婦などが引き受けてきました。いまは、誰もいない。行政も、引き受け手にはなれません。
どなたかが「成年後見制度」に頼っても、死んだ後までどうすればいいのか、迷ってしまいます。「日本ライフ協会」が一時、注目を浴びましたが、結局は預けたお金が返って来ず、破たんしました。
朝日新聞の本日6月4日の朝刊は、「老後をひとり」で過ごす特集をやっていました。高橋紘士さん(高齢者住宅財団理事長)は、行政の横断的な仕組みとして「消費者保護という観点で消費者庁などが主導権を握ると良いのでは」と、提言。
川口純一さん(成年後見センター・リーガルサポート副理事長)も、「成年後見制度も制度開始から16年間、ほとんど見直されておらない」ことから、「制度設計をもう一度やり直すべき」としています。
ボク自身としては、たとえばあるお寺に頼んで、亡くなったらお骨もひとりでに埋めてもらえるように頼むとか、ですかね。大阪では、天王寺の「一心寺」がそういう寺として有名です。このお寺も、古くは安政3年(1856年)から、「お骨佛」の造立が行われておるとか。自分の、あるいは家族の墓地とかは関係なくなるのです。