生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

2277 ・吉田松陰の「行動」は、テロリストと同じ立場?

2015-03-19 09:00:50 | 政治

おはようございます。
生き生き箕面通信2277(150319)をお届けします。

・吉田松陰の「行動」は、テロリストと同じ立場!?

 NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」は、吉田松陰の妹、文を主人公とする物語ですが、気になることがいくつも出てきます。劇中、松陰が松下村塾の塾生たちに、「諸君、狂いたまえ」とゲキを飛ばす。現代風にいえば、若い者たちをあおって、「立ち上がれ。行動を起こせ」とアジる場面です。

 「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」の松陰の歌も、「やむにやまれぬ魂に突き動かされて行動する」という「行動主義」を称揚する檄文です。

 「至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり」という松陰の言葉は、この箕面通信で正月早々の今年1月5日、2204号で紹介しました。これも「行動」の重要さを強調したものです。この時紹介したのは、安倍晋三氏の座右の銘が、この松陰の言葉だというので、タイトルは「安倍晋三氏の座右の銘は、吉田松陰と同じだって?」としました。

 「誠心誠意をもって事に当たれば、どんな難局も突破できる」という言葉ですが、あまりにもウソが多すぎる晋三氏が、座右の銘でもウソをついていると感じるのです。

 ただ、晋三氏が、出身地の山口県、つまり昔の長州が生んだ松陰を尊敬し、みずからを飾りたてる道具に使っていることは、「底が丸見え」です。

 晋三氏は、「決断する政治」を標榜し、「この道しかない」と決めつけます。そして、言った通りに「行動」する。それは、現状に満足せず、自らの行動力で未来を切り開こうとする「抑えきれないわが魂」を感じさせる一面があり、共感を呼んでいるところもあるようです。

 しかし、その行動主義には、自分の説に反対するものはすべて敵とみなし、テロの対象とする。晋三氏が国会予算委員会で、質問する相手に対し、「日教組、日教組はどうなってるんだ」と、やむにやまれずヤジを飛ばすのは、総理の席からの言葉による”テロ”の一種といえば大げさ過ぎるでしょうか。

 「松陰の『行動』への賛美 実は危うい」を主見出しにするインタビュー記事を、朝日新聞が本日3月19日、朝刊13面「オピニオン」のページに掲載しました。儒教思想研究家の児島毅さんへのインタビューです。主見出しは、袖見出しは「通じない相手を敵とみなし、テロにつながる。相手の正義も想像しよう」としました。

 「行動」は大切ですが、やみくもに突っ走るのは猪突猛進にすぎない。大事なのは、常に「相手には相手の正義がある」と認める心ではないかと指摘しています。

 安倍晋三氏に決定的に欠けているのが、この「相手の正義」を認める気持ちです。相手をおもんぱかる気持ちを持ち合わせていれば、安倍晋三という男は本物の男に成れるかもしれないのに、残念なことです。

 


2276 ・なぜ私たちは廃炉費用を負担しなければならないのか

2015-03-19 07:30:37 | 政治

おはようございます。
生き生き箕面通信2276(150318)をお届けします。

・なぜ私たちは廃炉費用を負担しなければならないのか

 オンボロ原発の廃炉がようやく現実になる動きが出てきました。関西電力と日本原電の原発3基に合わせ、中国電力、九州電力も本日3月18日、それぞれ1基ずつの廃炉を正式決定する段取りです。

 ところが、廃炉を具体的に進めるとなると、決まっていないことが多すぎて本当に廃炉の作業ができるのか大きな疑問が残されています。権力者やエリートたちが、責任を取ることを避け、逃げまわてきたツケです。

 最大の問題は、もちろん超高濃度の核のゴミ(放射能汚染廃棄物)をどこに処分するのか、です。何万年にもわたって人間が近寄れないほどの放射能を出し続ける核のゴミは、日本には処分できる場所がありません。外国に持って行って捨てることもできないことは、ご承知の通りです。モンゴルの草原に捨てるなど、もってのほか。

 これまで歴代政府の政権を担当してきた政治家をはじめ原発を推進してきた政治家連中、原発を国策として推進してきた経産省などの官僚たち、電力会社の経営陣、原発をヨイショしてきた学者の面々、テレビなどに出演して原発を「安い電力」としゃあしゃあと賛美してきた評論家たち、etc。これら「原子力ムラ」の住人の正体は、原発という甘い蜜に群がる醜いシロアリでした。一人として、いあy1匹としてまじめに核のごみ処理に取り組んだ人間はいません。すべて「先送り」で責任逃れしてきました。

 そのうえ、とんでもないことに、電力会社の経営陣は、廃棄する原子炉の解体費、つまり核のゴミの処分費を私たちに押し付けることにしました。毎月の電気料金に原発解体費分を上乗せするのです。もちろん、安倍政権は、解体費の処分費上乗せを認めています。「そうせい、そうせい」と当たり前のように、上乗せして押し付ける。

 本来なら、電力会社は最初から老朽原発の処分費を織り込んでおくべきでした。なぜ、そうしなかったのか。ご推察の通り、その処分費を通常の電気料金に上乗せすると、「原発で発電した電気は安い」という宣伝文句が成り立たないからです。

 つまり、原子力ムラの面々は、「原発の発電コストは安い」というウソをついていたわけです。しかし、それなら、まず謝るべきではないか。「これまで『原発による電気は安い』と、ウソをついていました。ごめんなさい」と。土下座して謝ったうえで、「どうか電気料金に上乗せさせて下さい」と、頭を床に押し付けて、私たちにお願いすべきではないでしょうか。そうすることが、世の中の習いというものです。

 政府も、これまで国策として原発を推進し、「原発の電気は安くて安全」と宣伝してきたのだから、いまさら一般消費者に負担させるのではなく、政府の予算の遣り繰りによって、解体処理費を工面すべきです。なにしろ、安倍晋三という男は、海外に出かけては巨額の金をばらまいて歩苦のだから、そのくらいの余裕はなんとかできるでしょう。

 その余裕がないというのなら、やはり土下座して、「政府が国策を誤っていました。これこの通り謝りますので、なんとか許して頂き、どうかご負担をお願いします」と、平謝り、平お願いをすべきではないでしょう。

 ともかく、ウソをつき、挙句の果ては尻拭いさせる。そうした政治は、もうゴメンです。政府と電力会社には、それ相応の償いをしてもらわなければ納得できません。