生き生き箕面通信

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2219 ・「翁長知事は沖縄を見殺しにするのか」「政府は『圧殺の海』をどこまで続けるのか」

2015-01-20 09:02:43 | 政治

お早うございます。
生き生き箕面通信2219(150120)をお届けします。

・「翁長知事は沖縄を見殺しにするのか」「政府は『圧殺の海』をどこまでも続けるのか」

 日本本土のマスメディアが意識的に伝えない「重大事件」が、この日本で今の今も発生し続けています。沖縄・辺野古の海での日本警察権力の圧殺事件です。これは国家権力による「大暴行事件」です。

 基地建設を強行する安倍政権に抗議する多くの沖縄の県民たちを、強硬排除する「圧殺の海」が現実に進んでいます。

 朝日新聞も、もちろん読売新聞も、この暴行、圧殺を全く報道しようとしません。誰の顔色をうかがってか、知っていながら知らぬ顔を決め込んでいます。

 沖縄地元紙の琉球新報は本日120日の社説で、「辺野古強硬警備 誰から誰を守るのか」という見出しを立て、「圧殺の海」にしている過剰警備を批判しました。

 おかしなことは、翁長・沖縄県知事自身も知らぬ顔を決め込んでいることです。一向に、日本政府のやり方に抗議する姿勢を見せません。県民の安全を守るための行動を起こしません。

 琉球新報の社説では、まず現場での暴行を指摘しています。「今月(1月)再開された普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設で、現場では海上保安庁と県警の強硬な警備でけが人が続出している。15日にはゲート前で県警警察官と抗議行動の住民らが衝突し、80代の女性が転倒して頭部を強打して病院に搬送された。16日には海保のゴムボートに乗せられた男性が海上保安官に胸部を強く押されて肋骨骨折のけがを負っている。骨折するほど体を押しつけることが果たして適切なのか甚だ疑問だ。けが人を続出させている警備は常軌を逸している」

 さらに、「19日には抗議船に乗り込んできた海上保安官が女性ともみ合いになり、ライフジャケットが破れた。ここまでくると警備とはほど遠い。単なる暴力行為であり、抗議行動に対する弾圧と受け止めざるを得ない」とも。明確に「弾圧」だと表現しているのです。

 海上保安庁が、「海の事故ゼロキャンペーン」を行い、沖縄県警は今年の運営方針として「県民の期待と信頼に応える力強い警察」を掲げていることを指摘したうえで、「政府の指示で住民の排除を徹底している行為が果たして県民の期待と信頼に応えているといえるのか」と、問うています。

 翁長知事は、「辺野古に新基地は造らせない」との立場ですが、政府は6月にも本体工事に着手する方針です。つまり、「知事は思う存分、新基地建設反対を主張して下さい。我々は、勝手に基地建設を進めさせてもらいますから」という、出来レースのように見えてきました。

 琉球新報の社説は、かつて米軍が基地を造った時は、「銃剣とブルとーザ」で強行したと指摘したうえで、政府は強硬姿勢を「止めるべきだ」と強調して結んでいます。

 こうした無法行為が行われている現地で、県民の生命と安全に一義的に責任を負う立場の知事がだんまりを決め込む。これほどの無責任があるでしょうか。

 翁長知事は、4度も上京して政府関係者に面会しています。確かに安倍という首相や、菅という官房長官が面会に応じようとしなかったこと自体は政府の幼児性を内外に明らかにしたものです。しかし、問題は、翁長知事が特命沖縄担当相や官房副長官と面会しながら、「辺野古のへ」の字も口にせず、もちろん警察権力の暴行に一言の抗議もしない。それどころか、「沖縄の予算をつけていただいてありがたい」と、お礼を述べ、感謝するだけでした。

 翁長知事は、検証チームなるものを作って、埋め立て認可撤回ができるか検討しています。これも、単なるパフォーマンスでしょう。チームからの報告が上がってきた時は、「慎重に真摯に検討したが、撤回はできない」という結論になるでしょう。この筋書きも、出来レースのシナリオ通りのはずです。

 翁長知事は、理解不能の「政府への迎合姿勢」を続けています。知事選挙で立候補した際の公約に、「埋め立て認可撤回」を入れることを求められましたが、頑として拒否しました。案の定、「知事は『基地建設反対』を言い続ける。政府は粛々として、工事を進める」、そんな密約ができていたのでしょう。

 もうひとつ、恐ろしいと思うことがあります。実は、本土のマスメディアも、辺野古の現地で起きている「圧殺事件」はよく承知しています。しかし、政府とグルになって報道しない。つまり、「辺野古基地建設は政府の最重要課題であり、特別案件」として扱われ、大政翼賛報道体制が徹底しているのです。国民の目から「辺野古の実態」を隠す体制が、知事ぐるみともども取られているのです。

 安倍晋三という男は昨日、イスラエルの「ホロコースト記念館」を訪れ、「差別と戦争のない世界、人権の守られる世界の実現に向け、働き続けなければなりません。日本としても、人々の人権を守り、平和な暮らしを守るため、世界の平和と安定に、より積極的に貢献していく決意であります」と、麗々しく述べました。

 言っていることと、やることがこれほど異なるお人は、「狂いびと」と呼ぶほかありません。日本という国自体も、「狂った国」になっていくのでしょうか。今年は、戦後70年です。