いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

九月一日御召しによって宮中に参内、拝謁。

2009年09月01日 20時52分56秒 | 日本事情

  -- 調印日取りは八月三十一日から九月二日に延期することにマッカーサー司令部より通達があった。二百十日も近づいて天気模様が悪く、準備が出来ぬ為めであるとの事であった。二百十日は九月一日である -- 重光葵、『重光葵手記』

昭和20年(1945年)9月1日、戦艦ミズーリに行く前日のことを9月7日に書いた重光葵の文章;

■(以下、抜き書き)

九月一日御召しによって宮中に参内、拝謁。左の如き勅語を賜った。

重光は明日大任を帯びて終戦文書に調印する次第で、其の苦衷は察するに余りあるが、調印の善後の処理は更に重要なものがあるから、充分自重せよ。

世流に押されて早まった思いつめた事のない様にとの優渥なる御諭しであったのである。恐らく梅津参謀総長の「自分に自殺を強いるものである」という言葉が何時の間にか陛下の御耳に入ったものの様である。記者(重光のこと、いか@)が退出した後に、梅津大将も召されて同様な勅語を賜った模様である。天恩無際、至れり尽くせりである。
 記者は愈々敵側総司令官の示した降伏文書に調印するという日本歴史始まって以来の使命を果たさなければならぬことになった。政府のみならず直接天皇を代表する訳であるから、記者は其の使命に付いて篤と陛下の御思召を拝し、事態の重大なるを明確にして、将来如何なることが起こっても之に善処し得る様にして置かなければならぬと考え、先ず左の通り意見を口頭を以て内奏した。その案文は左の通りである。
                                                        臣葵
 大命を奉じ将に東京湾上米艦に到り、天皇及日本政府を代表して降伏文書に署名調印せんとす。之に依ってポツダム三国宣言の受諾は正式に確定する次第にて、今後日本及日本国民上下の忍苦は長期に亘りて極めて深刻なるものあるべし。連合軍は既に上陸を開始し空海は急速に其の管理に帰しつつあり。
 ポツダム宣言なるものは其の内容は概括的にして其の運用は敵側の意図如何によって伸縮の余地多し。若し占領軍に於いて我方の誠意に疑問を有つに至らば、事態は直ちに悪化し其の結果は計り知り得ざるものあり。
 一端受諾したる義務を忠実に履行することは、国際信義の上より当然の事なるのみならず、此の当然の義務を最も明瞭に誠意を以て果たすや否やは今後我国の死活の懸る岐るる所となれり。
 而して我の受諾したるポツダム宣言なるものの内容を検するに、今後の日本を建設する上に於いて何等支障となるものを含まざるのみならず、過去に於いて犯したる戦争の過誤を将来に於いて繰り返さざるべき重要なる指針を包蔵するものなり。
 蓋し帝国今日の悲境は畢竟帝国の統治が明治以来一元的に行われざりし点に其の源を発せることを認めざるを得ず。
 天皇の御思召しは万民の心を以て基礎とせられ、陛下が国民の心を以て心とせられることは我々の日常拝承せる処にて、一君万民は日本肇国以来の姿なるが、何時の間にか一君と万民との間に一つの軍部階級を生じ、陛下の御意は民意とならず、民意とならず、民意は枉げられ、国家全体の充分関知せざる間に日本は遂に今日の悲運に遭遇せり。
 若し日本が将来一君万民の実を挙げ、陛下の御心を国民の心とし、国民の意のある所を以て陛下の御思召しとなすに於いては肇国の姿は還元せられ、ポツダム宣言の要求する民主主義は実現せらるべし。言論、宗教、思想の自由と云い、基本的人権の尊重と云い、総て我国本然の精神に合する次第で、明治維新の依って其の実現の巨歩を進め、今日は更にその完成に邁進すべき時に到達せる次第なり。
 然れども、今日は明治当初とは世界の情勢を異にし、我敗戦の規模は未曽有の事に属す。のみならず、戦勝を以て我に臨むものは単に民主主義国たる米英に止まらず、共産主義国家たるソ連をも含む。現にソ連が民主主義の名の下に欧亜の諸国を実力を行使して共産ソ連化しつつある政策は、すでに余りに世人の耳目に顕著なり。此の点に於いて今帝国の内外に亘りて長く危局に面する次第なり。
 (一段落略)
 仍て今日においてポツダム宣言の忠実確乎たる実施によって国際信用の回復を期し、他方国民精神の高揚を計り、新時代の要求に副う新日本の建設に対し新たなる決意を要すと思考せらる

陛下は記者のメモによる内奏を御聴取りになり、力強く、

外務大臣の言葉は完全に朕の意に叶うものである。その精神で使命を果たして貰い度い。

と仰せられた。これで記者も愈々万事、心用意は整った訳である。

(以上、抜き書き終わり) 重光葵、『重光葵手記』、-戦争を後にして-、<帝国ホテルの暁夢> より。

▼明日は、戦艦ミズーリに赴くため朝3時に起きなければならない。

●上記文章を読むと、降伏文書調印前に、敗戦の原因として、政府と軍統帥部署との割拠・不整合・対立、その結果としての国家理性の不全、軍部の国民の不当支配、そして、現状と将来の認識として、"基本的人権"の重要性、米英型民主主義は日本の原理とあっているなどなどの認識が重光と昭和天皇の両者が持っていたことになる。

●でも、一方、重光はこの時点で、米英型民主主義になるとしても"大日本帝国"がなくなる、つまり、占領軍が新憲法を制定するとは考えていなかったのではないだろうか?