いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日の看猫 20090907

2009年09月07日 21時18分17秒 | ねこ

くろさんの横顔

■今日気づいたこと;

『羊をめぐる冒険』(1983年)、特に最終部、を読む。

今回気づいたのは"コンラッド"が出ていることと、見出しが思いっきり、

"闇"であること。

 夕食を済ませたあと、僕は鼠の部屋から「パンの焼き方」という本と一緒にコンラッドの小説を借りてきて、居間のソファーに座ってそれを読んだ。
(『羊をめぐる冒険III』、8 風の特殊なとおり道)

そして;
11 闇の中に住む人々

そうなのか、『羊をめぐる冒険』の"本歌"はコンラッド、『闇の奥』なのか。
とすると、クルツ=鼠か?

で、ググると書いてある。(google; コンラッド 村上春樹 羊をめぐる冒険)

さらに、今まで、おいらが無知で、気付かなかったこと;

 もしそうであったとすれば、僕はまずい立場に追い込まれることになる。鼠も羊もみつからぬうちに期限の一ヶ月は過ぎ去ることになるし、そうなればあの黒服の男は僕を彼のいわゆる「神々の黄昏」の中に確実にひきずりこんでいくだろう

「神々の黄昏」

『羊をめぐる冒険』の"先生"は児玉誉士夫や笹川良一を思わせる日本右翼の黒幕という設定であれば、その先生の秘書の黒服の男も当然右翼でいいわけではあるが、日本右翼というのは「神々の黄昏」で象徴表現されるファシストではない。

村上春樹が「神々の黄昏」という言葉をあえて使ったとすれば、この『羊をめぐる冒険』の黒服の男はファシストであると設定したかったともとれる。

それで、『羊をめぐる冒険』の僕の冒険がすべて黒服の男の手のひらの上で踊らされていたという結末なのであるから、"僕"はファシストに操られながらも、しかしながら「自由意思」と呼称しながら、自力と自分の知力で、黒服の男のシナリオを実行する。そして最後に;

「はじめからここがわかっていたんですね?」
「あたりまえさ。いったい私をなんだと思っているんだ」

■さて、地獄。コンラッド、『闇の奥』の最後は"The horror! The horror!"(「地獄だ! 地獄だ!」)。

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