いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日の看猫 20090921

2009年09月21日 18時10分11秒 | ねこ
 -- 噴水のまわりをマリゴールドの花壇が丸く取り囲んでいた。町が十年前より遥かにさびれていることは一目でわかった。 --
      『羊をめぐる冒険』、羊をめぐる冒険Ⅲ、2 十二滝町の更なる転落と羊たち 
     ("僕"が十二滝町駅に到着した時の、駅前のロータリーについての描写)


       マリーゴールドとうめちゃん

■物語の意味がつかみきれない『羊をめぐる冒険』についての思いつき;

"システム"の象徴?らしき"羊"を抱え込んで自殺した"鼠"をはじめ、離婚した妻、事務所の相棒、耳女などみんな"僕"から去って行く。

そんな"僕"が最期に向かうのが、ジェイズ・バー。 ジェイズ・バーだけはこの物語、そして村上初期三部作で一貫して安定している。しばしば店の場所はかわるけれども。

このジェイズ・バーは何の象徴なのだろうか?

幻の"共同体"の象徴としてのジェイズ・バー;

例えば、"僕"とジェイはこんな会話をしている。その前に確認すべきは、"僕"というのは外柔に見えても、内剛で徹底した個人主義者、そしてニヒリストを思わせるキャラである。そんな"僕"とジェイの会話;

「子供は作らないの?」とジェイが戻って訊ねた。「もうそろそろ作ってもいい年だろう?」
「欲しくないんだ」
「そう?」
「だって僕みたいな子供が産まれたら、きっとどうしていいのかわかなんないと思うよ」
 ジェイはおかしそうに笑って、僕のグラスにビールを注いだ。「あんたは先に先にと考えすぎるんだ」
「いや、そういう問題じゃないんだ。つまりね、生命を生み出すのが本当に正しいことなのかどうか、それがよくわからないってことさ。子供たちが成長し、世代が交代する。それでどうなる?もっと山が切り崩されてもっと海が埋め立てられる。もっとスピードの出る車が発明されて、もっと多くの猫が轢き殺されれる。それだけのことじゃないか」
「それは物事の暗い面だよ。良いことだって起きているし、良い人だっているさ」


この会話の意味は、個人的なことについてなぞ問答無用風の"僕"は、ジェイならば応答を許すことを示し、さらに子供を作るというのは"人間の再生産"つまりは"共同体"の維持の根幹の問題であり、その問題をジェイならばこの「オレに話かけるなよ!」オーラを放つ"僕"に質問をすることができる。

つまり、ジェイズ・バーは共同体であり、ジェイはニヒルな"僕"の「幼稚???!!!!」な考え、人類は存続する価値があるか? に対するなだめ役である。

やはり、community;

羊をめぐる冒険が終了して、右翼の大物の秘書から多額の小切手を受け取った"僕"は、ジェイズ・バーに行く;

「どうだろう、そのぶん[上記小切手]で僕と鼠をここの共同経営者にしてくれないかな?配当も利子もいらない。ただ名前だけでいいんだよ」
「でもそれじゃ悪いよ」
「いいさ、そのかわり僕と鼠に何か困ったことが起きたらその時はここに迎え入れてほしんだ」


「溜め」の定義に他ならない。

そして、幻聴癖のあるおいらは、この『羊をめぐる冒険』の最後のくだりを読んで、聴こえてきたのでした;

There's a Place - Lennon/McCartney