いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

なぜ日本庶民はけなげなのか?(it's the same old song)

2007年01月20日 12時47分28秒 | ぐち


■一連の不二家のことでの報道のひとつで、フランチャイズ店の近況を報告するものがあった。それはひとつの個別例であり、一般化することとは別なのではあるが、その殊勝さに恐れ入った。すなわち、そのフランチャイズ店のオーナーはお客さんに不二家の代わりに謝っているのである。不二家のフランチャイズ店オーナーこそ今回の不祥事で最大の実害被害者ではないのか。消費者なんて、所詮、別の店に行けば済むのだから。

■ところがどっこい、こういう罰当たりな考えは、少なくともその報道されていた不二家のフランチャイズ店オーナーにはないらしい。一般人に謝っているのである。2重におかしいと、おいらが思ったのは、謝られたお客もまんざらでないという考えを報道に披露していた。そうか!?。そのお客。フランチャイズ店オーナーに謝ってもらってなぜ納得する!? 筋が違うだろう、筋が。庶民でしかありえないフランチャイズ店オーナーは、なぜそうけなげなのだろうか?

▼という主旨でブログを書こうと思っていた今朝、ラジオで葛根廟(かっこんびょう)事件、(事件だなんて言うな!、ソ連戦車部隊による日帝満州侵略民1000-2000人を「ひき肉」にした大虐殺に他ならない!)、の生き残りの人のインタビューをやっていた。

▼「日帝満州侵略民」。くんだいぬほんで最も悲しい集団の筆頭である。みんな「内地」のビンボーぬん。故郷で飢え死にするよりましと思った(のか)、日帝侵略軍に唆され、あるいは、そのスケベ根性を見透かされくすぐられたのか、日帝の大陸侵略のお先棒。

▼インタビューで語っていた人(大櫛戊辰さん)は15歳で満州国経営の大阪にあるガッコに入る。通信を専門とするガッコ。学費はタダだけど満州勤務が責務。「渡世/出世」のために満州国に身売りしたわけだ。

▼ソ連参戦後とんずらした大日本帝国陸軍の保護なく、逃避行。葛根廟の平原に至る。ソ連の戦車群に日本人集団は轢き殺されていくわけだが、その人は爆進し轟音とともに迫り来るてくる戦車のキャタピラからからくも身をかわすが、泥水を被ったという。

とりあえずは過ぎ去った戦車のあとには平板に轢き延ばされた人間と子どもらしき手足のみが立体をとどめ残されていた。そして、自分が被った泥水こそその生身の人間から噴出した血肉である、というのである。

つまりは、こういうイメージである↓;
http://blog.goo.ne.jp/ikagenki/e/208b55812d3ca044cac4ef2121208899

■今日の「なぜ日本庶民はけなげなのか?」のお題で、なぜ今朝たまたまラヂオで聞いた、この話を出すかというと、その人が後で関東軍の顛末書(あの混乱でいつ書いたかおいらには想像がつかないのだが)、つまりは関東軍の戦史に、この葛根廟虐殺事件について、「占領地庶民を保護するは占領軍の責務なり」(つまりは関東軍にはなんら責任はないといいつのりたいらしい)の旨が記載されているとのこと。これは、少なくとも、防衛「省」の戦史室にあるらしい。

■そのラヂオ番組では、その人とは別途生存者の回顧を紹介。当時9歳の女性は、婦女子複数で壕へ避難。寝入る。首に刃が衝きたてられ目が醒める。母親が自分をさした。回りでは母が子を、包丁で、刺し殺し、自らも刺して死んでいく凄惨な光景。(包丁で自刃!)
放送済み「ラジオ深夜便」 曲目・演目リスト; 1/20土 旧満州・葛根廟事件 命の証 葛根廟事件 生還者 大櫛戊辰



おいらがいたたまれないのは、この人たちはビンボーぬんの庶民であること。なにも薩摩に強姦される前に自刃した会津のお武家さまのお嬢様たちではないのである。
柴五郎の女性家族は薩摩・皇軍に姦られる前に自刃

もっとも、ソ連赤軍は、当時強姦集団でありヨーロッパの占領地域では強姦しまくりだった。従って、満州でも日本婦女子が捕らえれれば陵辱されたことは必至であり、その点、自刃日帝侵略庶民が、台所で使う包丁で自刃していく光景を想像するに、おばかなおいらでも、その峻厳さに恐れ入る。


これつまり、なぜ日本庶民はけなげなのか?、である

▲ちなみに、満州で日本婦女子が自刃した昭和20年8月14の晩に、件の柴五郎はまだ生きていた。つまり、大日本帝国の歴史はひとりの人生より短いのである。

偉大でチンケな、大日本帝国!


You're sweet as a honey bee

But like a honey bee stings


幽玄 @筑波山麓

2007年01月18日 20時27分04秒 | 筑波山麓
(「秀次殿を関白になされたのはもとより太閤殿下。) この片目の政宗に何が見通せたでしょう。」
--秀次謀反事件での政宗の言い分とされるもの--




■山崎訪朝
山崎訪朝はオーソドックスなものであると思う。話は40年前に遡る。佐藤栄作内閣で非核三原則を政府として打ち出すまでの過程。佐藤内閣は何も乙女の祈りのごとき夢想的平和主義的に非核三原則に至ったわけではない。それは中共の核実験の衝撃に対し日本がどうするかの必死の対応の結果である。

日本政府は、暗黙に、終戦時から原爆開発を検討、そして遂行しようとしてきた。正確にいうと、大臣は何も指示はしないけれど、官僚組織の中に核武装は日本国家の存立に絶対必要であると確信、狂信?、をもった一部の人たちが確実にいた。彼らがやったことは、ばかではないので、原爆開発でなはい。原子力技術の日本での確立と、飛翔体技術の開発・保持である。

繰り返すと、彼らは、ただのばかではないので、原子力の平和目的利用・平和目的の宇宙技術開発と方便、大嘘=高貴なる嘘(国家存続より崇高・高貴な目的があるだろうか!)、をついてきた。

考えてもみよう。東海村ではじめて核の臨界実験に成功したのは1957年(昭和32年) であり、実に三池闘争の1960年(昭和35年)前である。つまりは、石炭から石油へという時代に、必死に原子力開発をしていたのである。何も石油危機を見越して原子力発電に供えていたわけでもないだろう。ずばり、核・原子力技術を原爆開発の基礎愚術として開発してに違いない(物証なし)。

原子力政策を統括するために創設されたのが、今はなくなったが、科学技術庁である。動燃などを傘下に置く原子力・核技術統括官庁にほかならない。この科学技術庁の創設を一番必死にやったのが佐藤栄作で、背景には上記核武装準備官僚の駆動力があったのだろう。初代長官は、A級戦犯容疑者で、読売新聞の正力松太郎。

科学技術庁発足当時、日本政府として日本の科学技術を統括するのは(旧)通産省であり、傘下には該当の組織があった。つまり、なわばりあらそいが生じるのは必至であった。ところが、内閣は通産から原子力技術関連の部局を引っぺがし科学技術庁に編入した。これは、いつもは統括能力がなくボンクラな日本政府にしては異例なことで、これまた原子力・核技術への統括の意思がうかがえる。(というか、通産は科技庁事務次官の順繰りポストと引き換えたのだ。)

さて、核武装の技術的基盤整備を、暗に、進める日本政府は、この潜在的核武装能力をカードとして、原子力技術の確立と、飛翔体技術の開発・保持を進めてきた。つまり、米国に対し、平和!平和!おいらたち、ヒバクシャ!ヒバクシャ!と言って、平和目的の原子力技術と飛翔体技術の米国からの導入、共同開発、そして日本が原子力技術と飛翔体技術を開発することの承認、黙認を得た。もちろん、これは日本が核武装しないという身振り、約束が必須であった。

なにより、ヒロシマ・ナガサキの復讐をしない限り日本には核武装の必要は緊急的にはなかった。ソ連とはまがりなりとも国交が回復したので、ソ連が核保有国ではあるにしても、明日核戦争が起こるとは思っていなかった。それは、今日現在北京政府の核ミサイルが明日飛んでくるとは思っていないのと同じである。

話は1964年。日本には核武装の必要は緊急的にはない、という状況が激変した。それは敵対していた中共、北京政府が核実験に成功したからである。

マオさん、文革、核武装

つまりは、現在の北朝鮮は1965年の中共・北京政府と同じなのである。1965年以降、日本政府が北京としたことは今では誰でも知っている。同じことを北朝鮮にもやればいいと思っているのが、独眼龍、山崎拓センセにほかならない。彼は何も片目が見えないから世界が見えないのではなく、角栄以来の#民党の本義に従い行動しているのである。

中共核武装で、大叔父の栄作チャンは、非核三原則をぶちあげた!

さて、アベチャンは、北鮮核武装で、何をぶちあげてくれるかな?

▼PS; 2ちゃんで中川八洋センセが、その昔、科技庁の原子力なんとか課の課長補佐に任じられていたとあった。ホント? もしそうなら、上記に書いた;

正確にいうと、大臣は何も指示はしないけれど、官僚組織の中に核武装は日本国家の存立に絶対必要であると確信、狂信?、をもった一部の人たちが確実にいた。

の傍証になる。




第一、第二愚民党

2007年01月17日 20時33分25秒 | ぐち


小沢一郎率いる「第二愚民党」が格差是正とは恐れ入る。そのむかす、体制の選択!といって総選挙をやって平等を尊ぶアカやシャミンを撲滅し、搾取自由!さらには奴隷労働もOK!の『すほんの「自由」』の実現に大きく舵をとったのが、小沢一郎・愚民党幹事長に他ならない。

その第二愚民党党首の小沢センセにあらせられては、秘書サンのために小沢一郎名義の土地建物を事務所費として出費。こりゃ、不正蓄財だろう。体制の選択、自由主義マンセー!


闘う前に勝て! ドッチの愚玄孫でもOK!


junjunセンセに言わせりゃ、どっちもトーダイいけなかったバカ。
(それにしてもjunjunセンセが『人間の絆』も読んでいなかったと知って驚愕。英文科だろう、junnjunnセンセ。それで、行方センセとかえらいとかいってもむなしいよな。)

Re; 子ども、あるいは、承認をめぐる闘争

2007年01月14日 13時10分19秒 | 日本事情

酸化水素の結晶  (本文とは関係ありません。)

▼お題1;子ども

・子どもをもち育てることは人生に実体をあたえる。 (第3章 親と子)

・繰り返し言わせて言わせて欲しいが、この種族(人類全体:いか@註)は絶滅させられるのにふさわしいのではなく、ただ、もはや存在し続ける価値がないのである。人間性は自らを非聖化してしまった。 (第20章 ホロコースト)

ロバート・ノージック、『生のなかの螺旋』 より

(おいらは、言うことなし)

▼お題2; バラバラ

昨日今日流行りの「ばらばら」殺人事件の共通点は、「金持ち」による「上昇志向」をもった「異常に肥大した承認欲求欲」を持つが、それが認められないものどもによる、「異常に肥大した」自分を承認しなかったものに対する暴挙である。隠れた因子として、両事件との性的なものがあるが今日は言及しない。

あの、敗者の息子、あっもとい、歯医者の息子も妹に「お兄ちゃん、がんばって。何年かかっても初志貫徹よ」とかいわれれば、元気に過ごしたであろう。

両事件とも「承認をめぐる、異常な、闘争」である。



『仙台藩領と阿見地域』

2007年01月13日 13時57分35秒 | 仙台・竹雀・政宗



お正月から好運。求め始めてから3年あまり、『仙台藩領と阿見地域』が古本市場に出たので、贖(あがな)う。

霞ヶ浦といえば、湖畔にあった、大日本帝国は海軍の、霞ヶ浦航空隊が有名。筑波山麓周辺であることは言うまでもない。そこには飛行船ツェッペリン号が来たこともある。 (札幌は狸小路の中川ライター店のダンナさんがかつて霞ヶ浦航空隊にいたということは、札幌っ子の超A級トリビアである。つまりは、おいらは、武装解除された「国」で、「敗残兵」が売る戦争プラモデルを買っていたのだ。 悲しき玩具!)

ウィキペディア(Wikipedia);霞ヶ浦駐屯地

その地は阿見町というのであるが、江戸時代は現在の阿見の大半の村は仙台・伊達家領であった。5000石あまり。 それについての資料が上記、『仙台藩領と阿見地域』。

龍ヶ崎伊達領から始まったおいらの「仙台伊達家飛び地、常陸領1万石」ガクシュウの課程はおいらをして阿見町立図書館に赴(おもむ)かせた。そこでは、ほとんどの図書館がそうであるように、町史・市史の類の本は貸し出し禁止である。仙台・伊達家の代官がいた龍ヶ崎(伊達政宗来ました)の市立図書館では無人の有料コピー機があって、貸し出し禁止図書も、一部、コピーできた。

もつろん、本の著作権は尊重するものではある。一般の商品書籍をやたらめったらコピーしたら出版社と著者が困る。おいらは、ベストセラーなどを公立図書館で貸し出すはおかしいと思う。すかすながら、町史・市史については、そもそも町や市が刊行する非営利品である。商品としてのそれが品切れであるならば、コピーは認められるべきと考える。

それに対し、阿見町立図書館では、コピーは受付の「お役人」サマにお願いせねばならず、1枚20円だか50円だったな、しかも一人10枚までとか制限されている。しかし、10枚までとは御無体な、連れがおりますから2人分おねげーしますだ、と希(こいねがう)と、どいつだ連れて来い、と言う。そんで、連れてくと、そうかわかった20枚コピーしてやるとおっしゃったのでありました。

よっぽど、図書館にいたみんなとその場で友達になろうかと思いましたが、そのお役人サマの杓子定規さには恐れ入りました。

その20枚のコピーをもっていたのが、上記『仙台藩領と阿見地域』。絶対買ってやろうと思っていたのですが、市場になかった。

それで、正月に落手できたのでした。

マンセー!

■PS;ついすん
なんと、アマゾンにも、出点はないが、「箱書き」あり;
仙台藩領と阿見地域―仙台藩常州領のうち信太郡十三ケ村 (1981年)




石油、民主、自由、アメリカ万歳!

2007年01月11日 22時37分37秒 | 日本事情

What a Surge Really Means

お部屋の温度20℃。快適です。石油ストーブのおかげです。石油は中東から来ます。イラクからも来ます。

ありがとう、アメリカ。

民主です。快適です。選挙の入場券のはがきが来ます。おいらのばあちゃんは戦前は選挙権がありませんでした。

ありがとう、アメリカ。

自由です。快適です。いつもおばかなことを書いても、おまわりさんに捕まりません。

ありがとう、アメリカ。

これから、晩御飯をいただきます。 暖衣飽食、快適です。

ありがとう、アメリカ。

■小泉前首相は米国大統領に対し、対米戦争中の日本は軍部の独裁であり、その日帝陸海軍を壊滅した米国は「解放」勢力である、との意を表明した。

一方、ブッシュ大統領やネオコンは、軍国日本を「解放」し、民主化したことこそ、今度のイラク「解放」戦争の理念なのだと表明してきた。

つまり、アメリカさまから配給されたこの「石油、民主、自由」から、快適さを享受するおいらは、米国の若者がイラクでむざむざとすんでいくのを看過することなく、義勇軍としてでも参加すべきではないだろうか?

▼むかす、このくにのひとは、ずぶんで石油を確保しようとした;
パレンバン 「空の神兵」の稽古場

もっとも、「内地」に無事届いた石油はほとんどなかったらすいが。

◆血の油 あつめて・アテラレ 最上川