いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

マオさん、文革、核武装 -北京2006 ⑯-

2007年01月03日 20時12分37秒 | 中国出張/遊興/中国事情

年を越しても、しつこく、北京2006シリーズ;


-北京の西瓜-  聞くと、毎日「南の方から」スイカを積んだ列車が北京に来るとのこと。

楽天市場の 日本のスイカ事情。軒並み、在庫無し。

■年末のNHK,BS特集 民衆が語る中国・激動の時代~文化大革命を乗り越えて~ の余韻で、文革体験記や文革論集を、のんべんだらりんと、読む。今回読んだ『私の紅衛兵』陳凱歌、講談社現代新書、は1950年代からの北京の街の雰囲気が具体的に書かれている。特に、清朝宮廷にいた満州族で貴族だった、でも文盲の、「婆や」の描写とかよい。彼のその後の文革に巻き込まれ、そして今では映画監督として活躍しているその人生の軌跡が書かれている。基本的には、文革の総括としてよくいわれることであるが、混乱・破壊のるつぼである。

■さて、体験記が虫瞰的であるなら、一方の鳥瞰的視点の論集『中国文化大革命再論』国分良成、慶応大学出版社の中に、「文化大革命期の核開発」(6章)を見つけ興味深く読む。そうなのだ、文革期は大混乱の時代といわれているが、中共は1964年に核実験に成功してから順調に核爆弾とミサイルの開発を進めていたのである。

■それで、文革期の中共の戦略的達成を改めて確認した。文革は1966年8月5日にマオさんが壁新聞で「司令部を砲撃せよ」と激したことに始まり、実質的には1976年の4人組逮捕、形式的には1977年の文革終結宣言に終わる。

■この間の戦略的達成は、1964年の原爆開発の成功と、引き続く1967年の水爆開発成功。この水爆開発はフランスより早く達成したこととなる。ソ連とは1969年に領土紛争を起こすが、米国とは接近し、1972年の米国・ニクソン、日本・角栄の訪中を達成する。つまり、日米「帝国主義者」をして北京に詣でせしめることに成功した。最も重要なのは核武装を背景に安全保障理事会の常任理事国の座を・中華民国と交代したことである。

■つまり、文革期は大混乱というわりには、対外的にマオさんはものすごい戦略的達成をしている。

▼これは何だろう?

▲キーワード:造反有理;もちろん造反有理とはマオさんに嗾[そそのか]さられた紅衛兵のスローガンであり、「反逆したって、えーじゃないか!」ということである。そして、この造反有理の視点から、マオさんの対外戦略を見てみよう。マオさんは核武装してに反逆しようとしたのである。どういう世界かというとそれはである。つまり、米ソによる世界分割支配であり、そのでは、中国は蒋介石・中華民国に代表される。

▲マオさんは、マジで核戦争も辞せずと考えていたと思う。キチガイである。マオさんは「世界」を破滅させることを願望して生きていた気配がある。そして、その破壊のための最も有力な手段である核兵器とロケットシステムを、合理的に開発・発展させた。これが、文革期にもかかわらず、他の組織と違って、核開発組織がマオさんが唆す文革・破壊派に破壊されなかった理由ではないだろうか?

▲しかし、実際の世界は、核武装した中共・マオさん北京政府を「丁重」にもてなし、核武装を認め、国際社会の名誉ある、国連常任理事国5カ国の1国として向かえたのである。

▲「ズボンをはかなくても核武装する」といって核武装に国運を賭けることを独裁的に牽引したマオさんは、1)自分の気に入らない世界の破滅を望んで核武装したのだろうか?あるいは、2)核武装を手段として世界に迎え入れられることを十分に謀って核武装したのだろうか? もちろん、2)であろう。ただし、一分でも1)の「妄想」がなければ、2)は達成されなかったと、おいらは、おもう。




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