いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

加工された同胞の前でブログは可能か?

2007年01月09日 20時43分47秒 | ぐち
ある日心によみがえる あのときめくものを
むきにワラってみたくなる 照れくささもあるさ

            「愛は風まかせ」 詩; ちあき哲也





■安倍内閣総理大臣が明治神宮を参拝したとのこと。現行憲法の理念を再確認するものであり、過剰なほどの憲法擁護義務を果たしているといわざるを得ない。

日本が「天皇中心のカミの国」であるかは、少なくともおいらは知らない。ただし、天皇こそ日本国政の中心であることは現行憲法に明記するところである。すなわち;

第一に、天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

そして、

1.憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
2.国会を召集すること。
3.衆議院を解散すること。
4.国会議員の総選挙の施行を公示すること。
5.国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
などなど。

すごいぞ! マッカーサー憲法! 現行憲法は十分すぎるほど天皇に日本国政への関与と責任を求めている。 護憲派!マンセー!  天皇陛下!マンセー! もっとも、そもそも現行憲法を発布したのは ひろひとさん である。

つまり、こういう憲法に対抗して、人民共和国憲法の草稿がぼこぼこ沸いてでてこないことが、この日本には左翼なんていないのだ!という何よりの証左である。

■さて、カミさま。日本がカミの国かは知らない。天皇がカミであるかも、これまた、おいらは知らない。 ただし、少なくとも、今上天皇以下皇族は自分たちがこの日本に降臨したカミの子孫であるという物語を存続させるための儀式を毎日行っていることは、これまた、厳然たる事実なのである。

第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。  10.儀式を行ふこと。

■さて、さて明治神宮。 薩長により京都御所から江戸城に「拉致」された近代皇室の「拉致家族」第一世代のむつひとさんが祀られているのが明治神宮に他ならない。近代天皇で神宮で祀られているのはむつひとさんのみ。近代日本政府がお参りしやすいように、政府のお膝元にある。ちなみに稜は京都にある。

■薩長は、むつひとさんを玉扱いした。つまり、玉を掴んだものがこの日本を支配できるのだという、みも蓋もないが、実はぬほんのれきしに深く根付く考えに基づき、会津・奥州を血祭りにあげ、ぬほんを支配した。そんな薩長は大日本帝国(略して、日帝)を作ったが、100年ももたずに、対米戦で破れ瓦解した。

 そして、ひろひとさんは、マッカーサーに会った。



愛は風まかせ ほんのひと吹きで
他のいとしさへ いつもは飛び立てるけど
そうさ俺らしさ 浅い眠りごと
ゆうべ現れた あいつにまどわされ

「愛は風まかせ」 同上.


●この玉を掴んだものが支配者という原理をうまく利用したのがマッカーサーである。マッカーサー憲法の制定。日本を非軍事化し2度と米国の脅威にならないようにする手段として玉を利用したのである。掴んだ玉は今ではガラス箱にいれて、「*(自己検閲)民」にたまに見せる。



玉を米国の日本支配の手段と考えれば、ひろひとさんが1)原爆はやむをえない、と言ったことや、2)東京大空襲のルメイに勲章を授与したこと、3)対米開戦をしたいわゆるA級戦犯を忌避したことなど;「ごっこ」の世界を続けたいとき 、 Nothing's gonna change my world が矛盾なく受け入れられる。(これらの記事群は、このブログの<中心軸>である。)

時の皮肉さと ひとのたよりなさ
思い知った午後 それなりいいものさ

「愛は風まかせ」 同上.

Google; 愛は風まかせ 五十嵐浩晃

●上記いか、1枚20円。

家貧孝子出

2007年01月08日 20時20分22秒 | 日本事情
▼まくらとして人生相談2題;

夫の借金について
2006年 6月26日0時42分
うさぎさん

結婚8年目、2児の母です。39歳の夫はバツイチ。
付き合い始めた頃に離婚経験があることを知らされ、理由について尋ねましたが「性格の不一致・喧嘩別れ」とのこと。両親には反対されましたが、若さと夫の事を想う気持ちが強く、離婚の原因について深く追求せずに結婚しました。ところが2年前、消費者金融から80万、貯金から150万が使われていた事が発覚。問いただすと前回の離婚理由は消費者金融から800万の借金があったと。その借金は離婚後に義父が返済し、自分は一銭も返済しなかったそうです。
子供もいるのに再度同じ事をすれば離婚すると言い続けましたが、再び消費者金融から130万、貯金から130万使われていました。営業職の夫は離婚されるのが怖くて言い出せなかったの一点張り。子供想いの夫ですが、離婚をするか、子供のため(長女はかなりのお父さん子)我慢するか迷っています。
2年前の消費者金融の借金は、全て夫に返済させようとしたのが、更に借金を膨らませることになったのでしょうか?
発言小町 



結婚前提で付き合っている彼に多額の借金が・・・
2004年12月 7日17時38分
グリーン

遠距離でお付き合いしている40代の彼。
ふたりともバツイチで、会社勤めではない仕事に就いています。経済的には不安定ながらも、2人でイチから一緒にがんばって行こうと思っていました。
お互いの両親にも紹介し、来年には結婚という話が進んでいました。
が、先日、彼に一千万近い金額の借金があることが判明。
聞けば、前の仕事(前妻と一緒に経営)で作ってしまったものとのこと。現在も定期収入があるわけではないため、返済はかなり厳しい状況。
多額な借金のある生活は苦しくて悲しいものだと思い、やっていけるか不安なのが私の本音。
うちの両親は「きっぱり別れなさい」という意見です。みなさん、どう思いますか?
発言小町  


▼本題; 夕張の成人式 http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070108/mng_____sya_____011.shtml
今日のラジオはどの局もこの話題を「消費」していた。

現在の日本は国・地方合わせて約1000兆円の借金があると言われている。日本国民を約1億人として、国民が主権者なのであるから当然債務は国民にあり、ひとり頭1000万円の借金があることにある。

日本国で20歳になったからとの理由で有権者=主権者とされ、いきなり1000万円の債務を将来いつかの時点で処理する責任を、建前上は、負うことになったのである。

現在の日本は国・地方合わせて約1000兆円の借金があるのに、夕張だけで破綻が顕在化しているのは、他の部分は制度として先送りしているだけである。

これまで、毎年・毎年、新成人が誕生してきたわけであるが、一度して、「君たちにはひとり頭1000万円の将来払うべき負担がある」と説明した成人(「旧」<新成人>)はいない。もちろん、現在の日本は国・地方合わせて約1000兆円の借金は、新成人がつくったものではなく、「旧」<新成人>が作ったものである。

新成人が恐怖しなければならないことは、ひとり頭の借金の膨大さだけではなく、日本社会がだらしなく借金を増やし続け、かつそのことを誰も後世に説明しようとしないことであり、さらには、そういう社会で君たちがだらしなく借金を続ける輩どもと暮らしていかねばならないことであり、ついでにいうと、だらしなく借金を増やし続けることは主権者たる国民の投票に基づく国会議員により遂行されていることである。

憎まれついでにいうと、日本国政府の最高責任者は議会の多数派の指導者である。つまりは、国民に正統に選出されている。その権威と正統性にはなんら問題ない! そういう制度での、国・地方合わせて約1000兆円の借金である。 「美しい国」を目指す! LDP

今年は、夕張の財政破綻で将来の日本全国に出来するであろう事象が少し垣間見えたわけである。

新成人のみなさん! ようこそ、ぬっぽんへ! きみたちは上記人生相談の相談者と違って別れる・逃げるという選択肢がないのである。

お祝いにマオさんの言葉を送ろう;

 世界は君たちのものだ、それは僕たちのものでもあるが、結局は君たちのものだ。

そして、なにより、1000兆円の借金こそ君たちのものである。

ぬっぽん、マンセー!


・家貧しくして孝子顕わる(いえまずしくてこうしあらわる)・出ず[=孝を顕わす] 家が貧乏だと、孝行な子の善行がはっきり人に知られるものだということ。逆境に陥ったとき、誠実な人間が表面に現れるものだ。 類:●六親和せずして孝慈有り 出典:「宝鑑」「家貧顕孝子、世乱識忠臣」 出典:明心宝鑑(めいしんほうかん) 箴言(しんげん)集。高麗時代。に編まれた儒学の箴言集。高麗の忠烈王の文臣・秋適(しゅうてき)編といわれる。19篇、のち5編増補。孔子を始めとする中国儒学の先人達の名言を集めたもの。

天よ、我に仕事を与えよ

2007年01月07日 19時35分02秒 | 日本事情


昨日は検索語句「世良修蔵」で幾人かの人においで頂いた。ご丁寧に「世良修蔵 竹 雀」の方もいた。 あのテレビ場面で、世良役の山口智充(あってる?)の台詞で「仙台藩の家紋の竹、雀」と言って、ちゅん・ちゅんと雀の鳴きまねをして、上杉・伊達家臣をおちょくったのを見て、よくわからんくて、ネット検索をしたのだろう。



おいらは、昨晩は、時代劇チャンネルの独眼龍政宗を21:00-23:00見ていた。昨晩はあの花押のセキレイの眼の話で、見逃せなかった。「白虎隊」は11時すぎから、ちょっとだけみたら、世良修蔵やっていた。世良はピストルをもっていて、襲われたとき引き金を引いたが発射しなかった。あの場面の資料は藤原相之助「仙台戊辰史」に基づくものである。大仏次郎の「天皇の世紀」での同場面も藤原相之助「仙台戊辰史」の引き写しである。
小嶋・姉歯 @竹雀系


世良修蔵を含む「薩長」のテロ・クーデターによる帝(みかど)拉致を極致とする大日本帝国の<捏造>への ぐち は、このブログの「中心軸」であり、すでに書いた; 「羊をめぐる暴言 」

■さて、時代を廻すテロリスト=烈士の気質について、おいらは、日頃のんべんだらりんと考えている。 立花隆あたりは、現在のハマスなどがやっている自爆テロというのは、日本赤軍がイスラエルのテルアビブ空港での、(本人たちはイスラエル人を無差別殺害しようとしたのだろうが、実際はプエルトリコだのからの巡礼団を殺害した)、乱射事件に由来する、とおっしゃる。 (ちなみに、この殺害の保障・賠償を日本政府がしている。これは、生麦事件の保障・賠償を徳川幕府がしたことを彷彿とさせる。) この事件、現場で手榴弾で自殺したのが奥平剛士、生きて捕まったのが岡本公三である。奥平は 長州 の出である。下関の生まれ。 岡本は出身はまだ未確認だが鹿児島大学だって。 つまりは「薩長」だな。


奥平剛士の遺稿集があると知り、贖おうと検索。アマゾンで見たら、1万円だった。天よ、我に仕事を与えよ―奥平剛士遺稿 (1978年) [古書]  その値段じゃちょっとと思った。 が「日本の古本屋」では1000円だった。高原書店、マンセー!

奥平の大学時代の日記・ノート。 ストイックな純粋まっすぐクンであり、まさか、人様に読まれることを予期したわけでもないあろうから、セキララである。セツルメント、ミンセイやってた。セツルメント、ミンセイとか若い人にはわからないだろうが、おいらもわからない。セツルメント・ミンセイが、自動小銃乱射、手榴弾で自爆。なぜ人は 烈士 となるのか?考えたい。


おいらは「地理」をどう見ているのか

2007年01月06日 15時38分33秒 | 仙台・竹雀・政宗

千葉県潮来の仙台がし



「地理」というか、本やその他のメディアに記述されているもの及びそこから想像できる、あるいは実際に見物できる、地理上のランドマークや河川や山や海に対して、どういう風に捉えているかということね。

当然自分が生まれなかった場所に今行くことはできるから、実際どうであるかなんていっしょうけんめい、その場に行けばわかる。マンセー!。その現地にある石碑はあくまで石碑であるが歴史的存在でしかありえない石碑を抱くその地理的条件を、おいらに雄弁に物語ってくれる。でもまーそれを人々は石碑として記録し、そこからまた目の前にはない過去の人の生活を想像すべく石に記憶を託すのであった、そういうことが積み重なってなんとなーく「歴史」を抱く地理と呼ばれる感じのものになっていく。地理は科学か人文かというような話があるが、自然地理学と人文地理学があって、デーガクによってその所属が理学部であったり人文系学部であったりする。教科書の記述も含めて。

おいらの「地理」に対する見方も自然地理とずんもん地理の両方に渡る。まあ要するにミーハーである。 ただし、地理探訪は、旅費がかかるので、ご近所に限られる。

今回は千葉県・潮来の仙台・伊達家の米やぐら跡地。筑波山麓から車で1時間ほど。この仙台がしは太平へ利根川が流れ出るあたりにある潮来にある。つまりは、江戸時代仙台から江戸に米を送るため外洋船からここ潮来の仙台伊達家の米倉に米をいったん収納したのである。収納された米は小船に移し変えられ、利根川を通って、江戸まで運ばれた。

【恐るべき! 地理修正主義者!】
川の流れこそ地理マニアの第一級の関心事である。それを勝手に改竄しちゃう奴がいる。それも、この豊葦原の瑞穂の国ぬっぽんの最大級の、坂東太郎の異名を持つ利根川の流れをである。

徳川家康

である。

-利根川東遷-
坂東太郎さんこと利根川は江戸時代より昔は今の東京湾に流れ込む川だった。暴れ者で名高い坂東太郎さんが後に江戸となる地域を暴れ回っていた。とても街が出来るものではない。だから、家康はその流れを太平洋に切り替えた。現在の銚子が河口となる利根川である。家康は坂東太郎を退治して江戸を簒奪したと言える。

流れが変わった江戸時代の利根川は銚子からの水運に利用される。潮来は銚子の河口からやや上ったところである。たぶんここらあたりまで、外洋船が上ってこれたのだろう。だから、東北諸藩は自領から江戸に運ぶ米の倉を潮来に建てた。上記画像は千葉県潮来にあった仙台伊達家の米倉跡と船が接岸する「かし」(河岸)とその周辺である。












伊達巻柄生地

2007年01月05日 20時01分45秒 | 仙台・竹雀・政宗
日本民族は偉大な民族である。アメリカ帝国主義が長期にわたって自分の肩に乗りかかっていることを絶対に許さないだろう。日本人民が必ず自分の国土からアメリカ帝国主義を追い払うと信じている」  毛沢東、1964年1月の談話。

『ビートルズを知らなかった紅衛兵』p114. より。



■伊達巻
かまぼこと卵焼きのあいの子。 かまぼこは魚のすり身からつくるのでアミノ酸の塊。そのうまみ成分が舌を狂喜させるこというまでもなし。一方、砂糖の入った卵焼きの甘みも、これまた、舌を狂喜させるこというまでもなし。

その両刀使い的食べ物が、伊達巻。

たぶん、成立当時、たぶん明治初期、名無し。でも、そのラディカルにぬほん庶民の舌を狂喜・乱舞してやまない性格を、思わず、伊達もの!、としてしまったと思われ。

ウィキペディア(Wikipedia) 伊達巻 

伊達巻という名前の由来については、

1)伊達政宗の好物だったことから伊達巻と呼ばれるようになったという説

2)普通の卵焼きよりも味も見栄えも豪華なために、洒落て凝っている装いを意味する「伊達もの」から伊達巻と呼ぶようになったという説

3)女性用の和服に使われる伊達巻きに似ていることからこう呼ぶようになったという説
など諸説ある。


たぶん、2)だろう。 この前まで、ぬほんずんは、あの「かっぱえびせん」を、やめられない・とまらないとありがたがっていた民族なのである。 貧乏舌マンセー! 近代以前、いや戦前でも、砂糖の甘さ、あるいは、肉汁のうまみを感受することなくすんでいったぬほんずんは多かったであろう。 伝統文化を尊重する美しいぬほんを目指すものども、マンセー!

今日の課題;
なぜ、平成ぬほんずんはみんな銀の匙を咥えて生まれてきたかのごとくふるまうのであろうか?



?にはウヨはいないのかな

2007年01月04日 21時16分23秒 | 中国出張/遊興/中国事情

続・北京の壁絵

■続、文革体験記■
『私の紅衛兵』陳凱歌、講談社現代新書、に続き、『ビートルズを知らなかった紅衛兵』唐亜明、岩波書店、を読む。これもすごい話で、『私の紅衛兵』よりさらに際立っているのは、父親が中国革命の戦士で建国後は党幹部。その息子の自伝。というか父親の生い立ちから記述。その父親も、周恩来などと同じく、日本留学経験あり。

その父は党幹部だから紅衛兵に拘束されたり、批判集会で頭押さえつけられたり、毛沢東にあったり、一方、息子であり著者の唐亜明は、周作人の紅衛兵による「襲撃」に邂逅している。

文革の台風の目の出来事の記述。んー、少し出来すぎで、おいらは、慎重になってきたけど。

その本のなかで著者・唐亜明は、毛さんのキチガイじみた無茶苦茶を、

彼の偉大さは、その非凡とも言える大胆さにある。故意に中国を一時的に混乱させ、「乱中求治」をもって、自分の地位を確固たるものにし、自分の志を実現しようとしたのであった。

と書いている。結構、的を得ていると思う。こういう見解を、書かれた物として、見たのは初めて。あたりまえの見解なのかな?

■こういう戦争状態に叩き込めば、民は覚醒し、混乱した世は自分たちを治者とするであろうという考えは、吉田松陰もしていた(らしい)。出所を忘れたので、調べよう。


▼話変わって、今日見つけたブログ記事;
はてなサヨクと希望の時代

なんていうか、はてなサヨクは気持ち悪い。教育基本法改悪反対とか、共謀罪反対とか、ABE ENDとか気持ち悪い。なに本気になってるの?って感じだ。なんか違うんだよな。根本的に。そういう言説にすごい違和感を感じる。

いや、別に主張自体に反対している訳じゃなくて。なんか教育基本法改正とか、安部首相就任とか、おもしろいネタを手に入れてイキイキしている感じがする。なんだか嬉しそうな感じがする。そういうのが何か気持ち悪いんだよね。


印象ある文章になっていると思います。1980年生まれの見解という点も興味深い。はてなブログの(なんちって)人文系さんはもろプチブル子弟って感じだよね。双風社の誤字だらけの本を読んでるってイメージ。

おもしろいネタを手に入れてイキイキしているという言い方・視線の投げつけ方・物の突き放し方は、明らかに仲正センセ由来のもの。仲正センセが分節化した、イキイキ文化左翼を<はてな>で大量発見すましたという記事。「おち」は気持ち悪い、気持ち悪いという感情の発露であるので、ガッコのいじめの「おまえ、キモイ」と同じ。サヨの方々は理性的で倫理的にも高潔である(らしい)ので、「おまえ、キモイ」が彼らにどこまで影響するかが興味深い。 

▼で、<はてな>って画像だめかと思ったら、違うんだね。

http://d.hatena.ne.jp/zaikabou/




マオさん、文革、核武装 -北京2006 ⑯-

2007年01月03日 20時12分37秒 | 中国出張/遊興/中国事情

年を越しても、しつこく、北京2006シリーズ;


-北京の西瓜-  聞くと、毎日「南の方から」スイカを積んだ列車が北京に来るとのこと。

楽天市場の 日本のスイカ事情。軒並み、在庫無し。

■年末のNHK,BS特集 民衆が語る中国・激動の時代~文化大革命を乗り越えて~ の余韻で、文革体験記や文革論集を、のんべんだらりんと、読む。今回読んだ『私の紅衛兵』陳凱歌、講談社現代新書、は1950年代からの北京の街の雰囲気が具体的に書かれている。特に、清朝宮廷にいた満州族で貴族だった、でも文盲の、「婆や」の描写とかよい。彼のその後の文革に巻き込まれ、そして今では映画監督として活躍しているその人生の軌跡が書かれている。基本的には、文革の総括としてよくいわれることであるが、混乱・破壊のるつぼである。

■さて、体験記が虫瞰的であるなら、一方の鳥瞰的視点の論集『中国文化大革命再論』国分良成、慶応大学出版社の中に、「文化大革命期の核開発」(6章)を見つけ興味深く読む。そうなのだ、文革期は大混乱の時代といわれているが、中共は1964年に核実験に成功してから順調に核爆弾とミサイルの開発を進めていたのである。

■それで、文革期の中共の戦略的達成を改めて確認した。文革は1966年8月5日にマオさんが壁新聞で「司令部を砲撃せよ」と激したことに始まり、実質的には1976年の4人組逮捕、形式的には1977年の文革終結宣言に終わる。

■この間の戦略的達成は、1964年の原爆開発の成功と、引き続く1967年の水爆開発成功。この水爆開発はフランスより早く達成したこととなる。ソ連とは1969年に領土紛争を起こすが、米国とは接近し、1972年の米国・ニクソン、日本・角栄の訪中を達成する。つまり、日米「帝国主義者」をして北京に詣でせしめることに成功した。最も重要なのは核武装を背景に安全保障理事会の常任理事国の座を・中華民国と交代したことである。

■つまり、文革期は大混乱というわりには、対外的にマオさんはものすごい戦略的達成をしている。

▼これは何だろう?

▲キーワード:造反有理;もちろん造反有理とはマオさんに嗾[そそのか]さられた紅衛兵のスローガンであり、「反逆したって、えーじゃないか!」ということである。そして、この造反有理の視点から、マオさんの対外戦略を見てみよう。マオさんは核武装してに反逆しようとしたのである。どういう世界かというとそれはである。つまり、米ソによる世界分割支配であり、そのでは、中国は蒋介石・中華民国に代表される。

▲マオさんは、マジで核戦争も辞せずと考えていたと思う。キチガイである。マオさんは「世界」を破滅させることを願望して生きていた気配がある。そして、その破壊のための最も有力な手段である核兵器とロケットシステムを、合理的に開発・発展させた。これが、文革期にもかかわらず、他の組織と違って、核開発組織がマオさんが唆す文革・破壊派に破壊されなかった理由ではないだろうか?

▲しかし、実際の世界は、核武装した中共・マオさん北京政府を「丁重」にもてなし、核武装を認め、国際社会の名誉ある、国連常任理事国5カ国の1国として向かえたのである。

▲「ズボンをはかなくても核武装する」といって核武装に国運を賭けることを独裁的に牽引したマオさんは、1)自分の気に入らない世界の破滅を望んで核武装したのだろうか?あるいは、2)核武装を手段として世界に迎え入れられることを十分に謀って核武装したのだろうか? もちろん、2)であろう。ただし、一分でも1)の「妄想」がなければ、2)は達成されなかったと、おいらは、おもう。



平城官僚の筑波山麓『看淫録』

2007年01月01日 00時49分00秒 | 筑波山麓

筑波山からの見晴らし。新緑の季節

鷲の棲む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の
その津の上に 率(あども)ひて 娘子壮士(おとめおとこ)の
行き集い かがふかがひに 人妻に 我も交はらむ
我が妻に 人も言(こと)とへ この山を
うしはく神の昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日のみは
めぐしもな見そ 事もとがむな

『万葉集』巻9ー1759 

現代語訳は;
筑波山の裳羽服津の泉のほとりに、男と女が連れだって集まり、
唄い踊るかがいでは、私も他人の妻とずっぽしずこずこ交わろう。
だから、私の妻に他の男もずっぽしはめさせよ!と声をかけよ。
この山を支配している神が、昔からお許しになっていることだ。
今日だけは女を監視するな、男を咎めるな

■このうたは高橋虫麻呂のもの。平城京から筑波山麓に来た官僚さん。
719年(養老3年)前後、藤原宇合が常陸守であった頃に宇合の下僚となる (ウィキペディア・高橋虫麻呂)
つまり、大宝律令ができたばかりの小中華帝国の官僚として、地方に出向いた。ちなみに当時の常陸の国は東北に対する最前線である。

うたよみが主任務なのか、役人業のかたわらでうたよみをやっていたかわからないが、とんだリビドー・役人との伝あり↓。
性欲のかたまり・オン・ザ・ロード

■虫麻呂が実際に かがひ つまりは「乱交パーティー」を見たかどうかは根拠がない。たぶん、きっと、見聞なぞしていないのだろう。 せいぜい現地での伝聞、場合によっては虫麻呂の「妄想」の可能性すらある。 つまりは、「帝国主義」時代において、本国で性的抑圧を受けていた帝国本国人が、しばしば、植民地において現地人に「性的放埓」を幻視すると言われるあれである。 その点、大宝律令で発足した<帝国>は、案外、毛唐さんよりずい分先取りをしていたものだといわねばならない。そして、現在の筑波山麓は<ポスコロ>状況(2000-700=)1300周年ということである。

天皇陛下マンセー! 2007