いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

思い出しただけ。 岡山 万歩書店

2005年08月21日 14時37分50秒 | その他


文藝春秋社の雑誌、『諸君』の9月号のワンコーナー、古本蟲がゆく②で、岡山の「万歩書店」が紹介されている。イラストレーター 池谷伊佐夫。

在庫50万冊だって。

おいらは10年ほど前に一度行ったことがある。当時、おいらは岡山に本拠地のある組織に属していた。喩えて言えば、岡山藩の江戸藩邸で下足番をしていたようなものだ。そういう組織だから岡山の人が多く、数度しか行ったことがない岡山の話はよく聞いた。そんな中、「岡山にはとにかく巨大な古本屋があるんだよ。売り場が壮大で通路は何条何丁目と住所付けがされているんだよ」と聞いた。当時は新刊書店でも大型店はめずらしく、古書では大型店なぞなかった。ブックオフがいつ出現したか知らないが1990年代前半はそうなかった。今思えば、当時インターネットなんて発達してなかった。だから実際あっても、情報としては行き渡ってなかった。

行きましたよ。岡山、万歩書店。地図に印つけてもらって、今も乗ってるR31スカイラインで。岡山での仕事のついでに。当時は流浪人生の真っ只中で、本なぞ手元に置けないのでわずかな冊数を買った。買ったのは新書が多く、当時絶版だったものをリストアップして行った。そうすると、リストアップしたもののほとんどが見つかった記憶がある。

10年以上前の話だ。

◆岡山、万歩書店とともに紹介されていた、倉敷、蟲文庫の店主さんのブログはこちら;
蟲文庫 店主@みつあみ ブログ


郵貯350兆のなぞ

2005年08月20日 18時16分00秒 | その他
◆報道によると郵便貯金の預け金額は約350兆円とのこと。本当なんだろうか?

だって、日本人は1億人。350兆を1億で割ると;

350000000000000 割る 100000000 = 3500000

つまり、ひとり頭 350万円となる! おいらの計算間違いなら お笑ぐさ でおしまいなので、以下上記の計算があっているとの前提で話をすすめる。

ひとり350万円も郵便局に貯金もっているのか? 子供、若者そして びんぼーぬん などそう貯金はないだろうから、持っている人はもっているのか。預け入れ限度額が1000万円なのでめいっぱいの人も多いとしか考えられない。

◆そこで、なぜ日本人は郵便局にそうたくさんのお金を預けるのだろうか?それは郵便局に預けることは政府に預けることと同じだから安心できるから、が最大の理由と見るしかないだろう。

◆でも、郵貯は相当焦げ付いているだろう。財政投融資で採算の取れない事業に相当金を注ぎ込んでいるらしいではないか。郵貯・簡保のおばかレジャー施設も有名。焦げ付きは相当。さらには国債。郵貯でかなりの国債を買っています。現在の政府の借金は事実上返せないでしょう。

◆で、どうなるかと仮想・思考実験すると、焦げ付きはすべて税金で補填。税金は国民以外払う人がいない。国の借金、国民ひとり頭700万円くらい。これを払えない ぬんげん は日本国籍剥奪。北%&にドレイとして売却。(この2文はじょーだんです、もちろん)そして、集めたお金を、郵貯の通帳をもっている預金者に返す。つまり、国民から国民に財産が移動するわけです。このとき、少なからぬドレイが生まれます。

◆なぜ、政府の借金や郵貯の焦げ付きが起きたかの理由のひとつは、政府が借金が可能であったことであり、それを可能にしていたのが郵便貯金なのです。つまり、政府によって自分の財産の安全を確保しようとした国民の行為が、政府の無造作な借金を財政的に可能にしたのです。もちろん、理論的には、膨大な郵貯を優秀な政治家や官僚が適切に投資し、少なからぬ収益をあげて黒字をだす、ということもありえますが、現実は大赤です。

◆郵政民営化は、郵貯350兆円を米国外資にくれてやる陰謀である、との説がありますが、そんなことより、すでに焦げ付いているのではないですか? その焦げ付きに目をむけず、言及せず、あたかも郵貯は宝の山だという欺瞞に耽っているような気がします。

箱根ドライブ

2005年08月19日 20時13分05秒 | その他

朝4時、筑波山麓出発。 国道6号線にて都内を目指す。 6時には都内に入る。 浅草橋駅を過ぎた頃からわけわからなくなる。 予定では小川町、神保町、新宿と抜け、環八に乗って用賀に行く予定。 でも実際はむちゃくちゃ。 カンで走っていたら丸の内に出た。 皇居を南からまけばいいのか、と走る。 特許庁前というところを通り、渋谷にでた。そこで首都高3号の下を走る道にのれたので、用賀まで行く。

東名高速の松田インターで降りる。小田原へ。朝9時。当初の予定ではなかったがせっかくなので小田原城に行く。街の中心にある。もちろん復元のたぶん鉄筋コンクリートだろう。30度を超える暑さで、お城によくある展示を見る集中力もなし。ただ天守にいくと風とおりがよく、涼しかった。海が見えた。



小田原から「箱根ターンパイク」という有料道路に乗り奥湯河原温泉に行く。今日の最大の目的は重光葵記念館に行くこと。ところがやってない。web siteでは金、土、日の開館で金曜は午前10時から開いているはず。電話するも出ない、メッセージ電話、’近くにいません’だって。うー、しょっく。最大の目的達成あたわず。

今確認したら金曜日は12時からだった。あー、2重にしょっく。芦ノ湖に着いたとき、ひょっとして12時開館なのかな?と思って引き返そうかと考えた。せめて、芦ノ湖から電話で確認すればよかった。しなかった理由は夏休みだろうと思いこんだせいもある。なんてばかなことしたんだ!


重光葵記念館 外観


箱根道 緑の中の屈曲の道を車を操り走れたのでうれしい。でもR31スカイラインはへたってきて大変だった。


芦ノ湖


夏休み

2005年08月18日 20時45分06秒 | その他


夏休みなので、日帰りで箱根・湯河原にでも行こうと思い、道路地図を買う。

筑波山麓からでは、箱根までの距離は、北を向いたときの福島の猪苗代や二本松までの距離と同じなのであるが、心理的には箱根は遠い気がする。

これは、都心を通らなければならないからである。高速道路を使ってもあの首都高の複雑さには気を使う。おいらは、過去何度か関西・中国方面に車で行っているが、首都高は夜中あるいは早朝通り抜けるようにしている。こわいから。

なので、明日は早起きできなければ、計画だおれ。さらには、できれば「下」を走っていきたい。経費節減のため。そうだともろに都心に入ることになる。こわい。

どうなることやら。

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大地

そんなに大地が好きなら、てめーで、耕せばいいのに。

大地といえば、 大地の牙、 大地の豚 。こいつらは内地人だった。

一方、新党大地は、大地のこじき、だな。 陳情こじき。

いまだに、内地からの 仕送り をあてにしている。

まっ、おまわりからして、詐欺集団らしいから、てーへんなこった。

大地、とかいうなら、仕送りあてにせず、てめーで大地さたがやすて、じゃがいもでもつくって、いきのびればいい。しゃけも捕っていい。

だから、もう「日本」にぶらさがって生きるのはやめれ。

ずんせーゲーム


大富豪か? 貧乏農場か? That is question!



潜行・奇策こそ あらまほしきことなり。





くろさん、ワクチン接種

2005年08月16日 19時09分46秒 | ねこ
典型的夏の日。ただ、暑さのさかりはすぎたかも。




くろさんは、ワクチン接種のため、かかりつけの動物病院に行きました。
注射を打たれています。くろさんはおとなしくて、いい子です。


3種混合ワクチンです。
共立製薬株式会社製の『フェロバックス3』。
猫ウイルス性鼻気管炎、猫カリシウイルス感染症、猫汎白血球減少症対策。

日本の夏、欺瞞の夏。

2005年08月15日 19時22分43秒 | 日本事情
終戦記念日前後の日本には毎度欺瞞が充満する。右も左も臭気を発するので鼻が麻痺しているのだろう。

「左」の欺瞞は戦後60年、日本は憲法のおかげで平和であり、日本はこの60年戦争をしていない稀な国であるから、これを続けようと主張するもの。しばしば戦争体験者が空襲体験を語り継ごう!といいながら上記が主張される。これは実は必ずしも「左」だけではなくうす甘い保守、例えば、対中強硬派でもある、中嶋嶺雄も戦後日本は戦争をしなかったと「自慢」している。戦争被害の体験は兵隊にとられて死傷すること、と空襲で爆撃・焼払されることが主にある。たしかに、両者とも戦後日本にはなかった。

その意味確かに日本は「平和」であった。それでは「日本」は戦争と無縁であったのだろうか?全く違う。戦後日本列島は、米国の軍事的空間であり、朝鮮、ベトナム、湾岸など日本列島にいた米軍が出撃して戦争を行ったのである。日本列島の出撃という点では大日本帝国陸海軍の海外出兵と同じである。ただし、日帝軍は米国という戦略爆撃をする国と戦争をしたので本土が焦土となり、無辜が大量虐殺された。報復である。一方、戦後在日米軍が敵とした国々は弱小であったので、敵は能力があれば在日米軍基地を戦略爆撃したかったが、米軍出撃基地である日本に対し報復できなかっただけである。あるいは米国からの再報復が怖くてできなかった。つまり、戦後日本が平和だったのは世界最強の軍隊に屯(たむろ)してもらっていたから平和だったのである。これがドレイの平和でなくてなんであろう!?ドレイの平和を寿ぐことほど自己欺瞞はない。

日本から出撃した米軍は戦争しまくりである。「左」やうす甘い保守の中嶋らは、日本から出撃しても米軍は米軍。ぼくたち日本人は平和愛好者ですよ~といいたいのである。本土決戦もせずに戦争をやめた へたれ日本人ども がベトナム戦争の時には穴倉ほって戦っているベトナム人に、つまり本当に本土決戦をしている人間に、おまいたちはがんばれよと「精神的支援」だけをして日本列島から出撃するB52を平和的デモだけして見送っていたのである。しかも、ジーパンはいてコーラ飲んでである。自分たちは本土決戦などまっぴらごめんなくせに、人様にはやれというのである。沖縄に「本土」(当事者には郷土が本土だろう)決戦をさせて、自分たちに火の粉がくるとすぐ降参。醜悪たる日本人の典型である。御都合主義。そして、戦後日本が戦争を放棄した足元を見透かされておきたのが北朝鮮による拉致である。戦争被害者は自分の戦争体験とか政府は軍拡するな!とか言う前に少しは拉致被害者の人権問題にでも憤ったらどうだろう?

かたや、「右」はどうか?今日、小泉首相は2度と戦火を交えないと宣言した。本気なら大ばかだろう。嘘なら悪人だろうが、欺瞞であることには間違いない。現在英語マスメディアでは北朝鮮のregime changeというタームが飛び交っている。北朝鮮の政治体制を変える政策の採用を考えるものである。もちろん、これは戦争によって実現される政策である。さらには、日本の協力なしには米国の対北朝鮮戦争は絶対できない。協力にも程度があろうが、戦火を交えることに加担するのは間違いない。

あるいは日本はregime changeには反対もできる。その場合、誘拐され人権を侵害された日本人は放置のままである。「右」も「左」も人権侵害をただ傍観するのみである。戦争を伴うregime chnage 以外策はあるのだろうか?経済制裁!と叫んでいる青標ひらひらの「国士」気取りはあほである。そんなものなんにもなりゃしない。やるなら戦争だろう。今日の小泉首相の戦争放棄宣言は北朝鮮への強いメッセージになったのかもしれない。敗北主義宣言。政府は「拉致された人は見殺しです。だって戦争できませんもの。」とわかりやすく言った方がいいかもしれない。なにより戦没者の霊の前で、現行政府は戦争を禁じられているのでこれからも国民の人権は外国に蹂躙され被害者は増えますから、おひざおくりをして席をお開けくださいとお願いすべきだ。




操作される「私」

2005年08月14日 20時46分49秒 | 日本事情
■民主党の岡田代表は、「国民は小泉首相に操作されている」とおっしゃいますた。
まあ、ずいぶん国民をなめた発言だと思いますが。さらに、民主党は党組織としてマスコミに、自民党のリードする状況に報道が流されていると抗議文を送りつけているようである。

おいら自身も、「愚民」や「マスゴミ」なんて大嫌いだし、紅旗征戎不吾事と決め込みたいとつねづね心がけている。なお、大衆批判とは典型的な大衆的挙動だそうだ。

それで思うのだが、これから国民と対峙する民主党が、「国民は小泉首相に操作されている」とのたまうその神経。でも、あるいみ正直なんだろうな。国民なんか ばか でマスコミ報道に流される。そして自分達こそ確固たる真実を知っている。国民が知っているのは括弧たる『真実』であると。2重に民主党が ばか なのは、「国民は小泉首相に操作されている」とあけすけに言うことと、自分達がいい結果だった過去も「マスコミに操作された国民」にもたらされたものであろうということに思いいたらないことである。もっと根源的なばかさ加減は国民が操作される主体であるならテメーは何によって操作されているんだよ!?ということに考えが及ばないこと。たぶん自分は操作なんてされない「自由」で「自立」・「自律」した主体であるとの前提なのであろう。その思い上がりのばかさ加減をみよ!

■操作される「私」
小泉改革なんて口先だけで実質がないと醒めた目で見ていた。特殊法人全部つぶすって言ってたのですよ。別観点では米国大統領に「先の大戦は日本は軍部に占拠されていたようなもので米軍は解放軍」との認識を示したらしいと聞き、違和感。一方、北東アジア外交について、靖国参拝で一歩もひかず、わざと中国の理不尽さを明徴化させそういう国とはまともに外交しない/訪問しないという姿勢はよいと思いはじめていた。それで今回の件である。問題を先鋭化させ、敵味方を明徴化し、かつ敵にいったん選択の機会を与え、そしてその敵が敵であることを選択させたうえで、殲滅にかかるその戦闘姿勢には、正直しびれますた。

これが民主党党首のおっしゃられる操作される「愚民」としてのおいらだす。

痩せギス男に狂気が宿る。で言(絵)及した吉田松陰と織田信長。松陰は田中秀征が高杉晋作伝『梅の花咲く―決断の人・高杉晋作 』を書いた時、田中が小泉に会ってか伝聞か松陰の「狂」の思想が話題になったらしい。一方、報道によると小泉さんは最近加藤廣 『信長の棺』を読んだらしい。小泉さんは脚本を書いて演じることで生きているのだろう。もちろんその脚本を書く為には冷徹な情勢分析が必要である。例えば、報道によると、解散前から反対派議員の選挙区の極秘世論調査をして情報収集をしていたらしい。それで解散しても勝てると判断。冷徹な情勢分析と脚本そしてパフォーマンスは戦国大名には当たり前のことで、特にわれらが伊達政宗こそその筆頭である。芝居のような人生。それは自己演出したものである。くりかえすと、脚本のための現状分析、芝居実演のための実行力、戦国時代は戦闘だけでなく、大名同志の面接対峙でのパフォーマンスが重要。政宗はそれらを派手はでしく、そして首尾よく成し遂げたので、今日多くの作家にその生涯が描かれているののである。小泉さんの生き方がこれだ。小泉さんと政宗の共通点は勝利をきちんと担保して、賭けている「ふり」をすることである。今回の権力闘争もすでに勝負がついているといえる。小泉さんは闘争の土俵づくりを自分でしたことが既に勝ちなのである。

こういう小泉さんの「操作」のおいらは まんまと しびれたのだと思います。

■今回の劇でおいらが一番憤激・軽蔑・おまいら死ねと罵倒・したのはやはり造反組のおれきれきである。あれじゃ ちんぴら だよ。ちんぴら とはやった行動がのちのちどうなるか考えもせずお調子をこき、さらにはきっちり落とし前をとらねばならなくなると、とたんにおよび腰、いいわけ、泣き、すがりつき....である。あーいう連中は絶対殲滅せねばならないと血の気が沸き立つ。これも 操作 の結果なのでしょう。岡田さま。


スーパーの息子
秋には、代表ではいられない。
でもいいよね。そのあとは、支那の支店長。もつべきは立派なとーちゃん。
とーちゃん、ありがとう。
私も中共に連れてって


儒教 体制教学 元田永孚

2005年08月13日 21時23分44秒 | 日本事情
森有礼 薩摩おばか劣伝を書いたときに、森有礼の文部大臣就任を、天皇侍講である元田永孚が反対したと知る。反対した理由は、森が「儒教主義的徳育」を排除しようとしたから。森は「儒教主義的徳育」によって国民は奴隷卑屈の気を生じさせられていると認識し、排除するのが近代教育の使命と考えていた。

さて、元田永孚は明治4年から、明治天皇・むつひとさんに儒教経典の講義をはじめている。目的は天皇に徳を身に付けてもらうためである。実は、天皇と徳とは直結しない。なぜなら、支那の皇帝は徳があるから皇帝なのであり、徳がなくなれば、命が革まる。つまり革命が生ずる、とみなされてきたのである。『論語』に言う;

子曰く、政を為すに徳を以ってすれば、たとえば、北辰の其の所に居て、衆星の之をめぐるが如し。
孔子さんはいいますた。徳で政治をすれば、北極星が動かず、周りの大衆がその周りを秩序だってまわるように安定するでしょう。

一方、日本の定義は易姓革命が生じない万世一系の皇室がつねに皇(スメロギ){=北極星=動かないもの}なのである。万世一系の血統が天皇の根拠であった、徳は必ずしも問われない。

元田の思想上のライバルは2つである。第一が天皇は必ずしも徳がなくてもよいとする国学派。もうひとつは森有礼や西周のような自立型・欲求充足志向の近代人思想である。福澤諭吉もこれだ。この近代思想は市場社会、資本主義社会の典型的なイデオローグであり、「近代男子の本懐は銭金」である、というあれである。


 田原坂参りのあと、熊本の街をほっつき歩いていて、ばったり見つけた元田生誕の碑。

古田博司は『東アジア・イデオロギーを超えて』において、商業蔑視は儒教の特徴としている。つまり、儒教体制下では資本主義は発達しずらいということだ。一方、古田は;

明治政府は儒学を体制教学として採用し、国民国家ナショナリズムの形成に利用した。1879年、明治天皇は教学聖旨を下し、孔子の教えを徳目として児童を養育すること指示、1882年には学制規制に基づき勅諭し、儒学教育を支持、同年に「軍人勅諭」、90年には「教育勅語」が公布された。つねに背後にいたのは、熊本出身の儒者元田永孚である。
と解説している。

一方、同じく古田は『東アジアの思想風景』の「儒礼なき江戸社会」において、”徳川時代に、儒教(朱子学)が体制教学として幕府に採用された事実などなかったということ、例えば林大学頭といわれた林羅山も将軍の御伽衆の一人に過ぎなかったこと;を指摘している。

つまり、日本が儒教文明化したのは明治維新をもって、ということになる。それでは、森有礼や福澤諭吉が格闘したものは何であったのだろうか?

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