いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

操作される「私」

2005年08月14日 20時46分49秒 | 日本事情
■民主党の岡田代表は、「国民は小泉首相に操作されている」とおっしゃいますた。
まあ、ずいぶん国民をなめた発言だと思いますが。さらに、民主党は党組織としてマスコミに、自民党のリードする状況に報道が流されていると抗議文を送りつけているようである。

おいら自身も、「愚民」や「マスゴミ」なんて大嫌いだし、紅旗征戎不吾事と決め込みたいとつねづね心がけている。なお、大衆批判とは典型的な大衆的挙動だそうだ。

それで思うのだが、これから国民と対峙する民主党が、「国民は小泉首相に操作されている」とのたまうその神経。でも、あるいみ正直なんだろうな。国民なんか ばか でマスコミ報道に流される。そして自分達こそ確固たる真実を知っている。国民が知っているのは括弧たる『真実』であると。2重に民主党が ばか なのは、「国民は小泉首相に操作されている」とあけすけに言うことと、自分達がいい結果だった過去も「マスコミに操作された国民」にもたらされたものであろうということに思いいたらないことである。もっと根源的なばかさ加減は国民が操作される主体であるならテメーは何によって操作されているんだよ!?ということに考えが及ばないこと。たぶん自分は操作なんてされない「自由」で「自立」・「自律」した主体であるとの前提なのであろう。その思い上がりのばかさ加減をみよ!

■操作される「私」
小泉改革なんて口先だけで実質がないと醒めた目で見ていた。特殊法人全部つぶすって言ってたのですよ。別観点では米国大統領に「先の大戦は日本は軍部に占拠されていたようなもので米軍は解放軍」との認識を示したらしいと聞き、違和感。一方、北東アジア外交について、靖国参拝で一歩もひかず、わざと中国の理不尽さを明徴化させそういう国とはまともに外交しない/訪問しないという姿勢はよいと思いはじめていた。それで今回の件である。問題を先鋭化させ、敵味方を明徴化し、かつ敵にいったん選択の機会を与え、そしてその敵が敵であることを選択させたうえで、殲滅にかかるその戦闘姿勢には、正直しびれますた。

これが民主党党首のおっしゃられる操作される「愚民」としてのおいらだす。

痩せギス男に狂気が宿る。で言(絵)及した吉田松陰と織田信長。松陰は田中秀征が高杉晋作伝『梅の花咲く―決断の人・高杉晋作 』を書いた時、田中が小泉に会ってか伝聞か松陰の「狂」の思想が話題になったらしい。一方、報道によると小泉さんは最近加藤廣 『信長の棺』を読んだらしい。小泉さんは脚本を書いて演じることで生きているのだろう。もちろんその脚本を書く為には冷徹な情勢分析が必要である。例えば、報道によると、解散前から反対派議員の選挙区の極秘世論調査をして情報収集をしていたらしい。それで解散しても勝てると判断。冷徹な情勢分析と脚本そしてパフォーマンスは戦国大名には当たり前のことで、特にわれらが伊達政宗こそその筆頭である。芝居のような人生。それは自己演出したものである。くりかえすと、脚本のための現状分析、芝居実演のための実行力、戦国時代は戦闘だけでなく、大名同志の面接対峙でのパフォーマンスが重要。政宗はそれらを派手はでしく、そして首尾よく成し遂げたので、今日多くの作家にその生涯が描かれているののである。小泉さんの生き方がこれだ。小泉さんと政宗の共通点は勝利をきちんと担保して、賭けている「ふり」をすることである。今回の権力闘争もすでに勝負がついているといえる。小泉さんは闘争の土俵づくりを自分でしたことが既に勝ちなのである。

こういう小泉さんの「操作」のおいらは まんまと しびれたのだと思います。

■今回の劇でおいらが一番憤激・軽蔑・おまいら死ねと罵倒・したのはやはり造反組のおれきれきである。あれじゃ ちんぴら だよ。ちんぴら とはやった行動がのちのちどうなるか考えもせずお調子をこき、さらにはきっちり落とし前をとらねばならなくなると、とたんにおよび腰、いいわけ、泣き、すがりつき....である。あーいう連中は絶対殲滅せねばならないと血の気が沸き立つ。これも 操作 の結果なのでしょう。岡田さま。


スーパーの息子
秋には、代表ではいられない。
でもいいよね。そのあとは、支那の支店長。もつべきは立派なとーちゃん。
とーちゃん、ありがとう。
私も中共に連れてって