いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

京では女の生首絵図が....

2005年08月05日 18時57分52秒 | 日本事情
薩摩業務終了。鶴丸城に挨拶に行くと、京の藩邸に書状を頼まれる。急遽上洛。しかるに京では女の生首の絵図を描いた紙袋をさげて歩く女多し。何ごとかと驚く。これは、また幕府が尊皇一味の愛妾などを血祭りにあげ、三条河原にでもさらしたうえ、喧伝のため絵図として洛中に配りまくったものかと察する。その顔の目が見開いたところも恐ろしい。ひどいものだ。果たして、藩邸に書状を届けたついでに、そのことを聞くと、藁われること限り無し。なにやら、最近調子のよいアブラトリ紙の店の包装と目印とのこと。よーじや

じゃん、じゃん。あんまりおもしろくないな。



で、今日、鹿児島から羽田についたら、おねーさんがあのよーじやの絵図のうちわ、柄がなくて穴が空いていて指を入れてつかうのだろう、を配っていた。よーじやが羽田空港にも店鋪だしたのかと思った。が正確にはよーじやのプロモーションイベントであった。東京でも女生首絵図が街にあふれるでしょうか?

ここ3年は、年1度は京参りをしているが、その三年前にはじめて よーじや のあの絵を見た時、それもみんなもってんの、びっくりしました。

それで、羽田空港でおねーさんからうちわはもらいませんでした。だれも興味がなさそうで、そのおねえさんがこどもに無理にあげていました。こどもには しゅーる だろう、あの絵図。手鏡もしらないだろうし。で、くれと言う決断もつかず、おいらはただずるずるとそれをみながら改札に入り、モノレールから外の景色を眺めながら、ブログねたにもらっておけばよかったな、と後悔すたのですた。おしまい。