-- 一九九三年の「政治改革」フィーバーのなかで誕生した総理大臣・細川護熙の母は温子(よしこ)といい、近衛文麿の次女であり、細川護貞に嫁いだ。この温子の結婚式の前夜の宴で、近衛文麿が、首相に就任する直前であったが、ヒットラーに扮した仮装をしてはしゃいだことはつとに有名な話であろう。一九三七年四月一五日の夕べであった。
近衛文麿についての戦後に定着した誤ったイメージ(虚像)からは、ヒットラーに仮装したことをいぶかしく思いがちであるが、近衛文麿は、”一国一党”、つまり複数政党の競争による政党政治を排して独裁政党の体制をもって国家の政治のあるべき理想と信じ全智全能を傾けた政治家であった。ヒットラーやスターリンこそ、近衛文麿が心から憧憬し範とした理想の政治家であった。--
中川八洋、「大東亜戦争と『開戦責任』」
-- この仮装会の記念写真が、物好きなジャーナリストの手に渡って、新聞に載せられたとき、近衛がヒトラーに扮していることが話題になった。ちょうど日独防共協定が提携された直後で、何か意味ありげに受け取られたが、その時の実際をおぼえている者にとっては、それは思いすごしであった。
近衛文麿という人は、生まれつきか、環境のせいか、おそらくその両方だろうが、物事に無頓着で、世間のことに疎かった。彼は碁、将棋、トランプなどに興味がなく、負けてもくやしがるわけでもなく、勝っても嬉しがらなかった。子供たちとかるた取りをやっても、悠然と構えて、相手の取るに任せているので、
「おもう様とやっても、つまらない」
と、忌避された。それで、仮装することになっても、自分で何になろうと、積極的に工夫をこらしたり、考えたりすることが全くなくて、(自分で考えてなくても、代わりに考えてくれる者がたくさんいた。自分で考えると、その人たちの楽しみを奪うことになるばかりである)茫然としているので、誰かが
「ヒトラーにでもおなりになったら」
といって、前髪を額に垂らし、あり合わせのバンドのついた服を着せ、長靴をはかせたら、即席にヒトラーができ上がった。ヒトラーは当時、なま半可な映画スターより人気があって、国際社会の花形的存在だったから、日本の花形役者の近衛がこの人に扮することが、いかにも意味ありげに見えて、やかましく言う者もいたが、有り様を言えば、近衛の無頓着と、側近の思いつきの所産に過ぎなかった。
なお、近衛がヒトラーに扮したことが、いかにも昭和十年代の日本のファッショ化してゆく過程を暗示する、陰惨なエピソードであるかのように説明することも不可能ではないし、現にそのように説いている人もあるようだが、ほんとうは、単なる偶然にすぎなかったのである。--
杉森久英、『近衛文麿』
-- どの新聞にも近衛公の写真が出ていて大変賑わしい。東日にのった仮装写真は、なかでも秀抜である。昔新響の演奏会で指揮棒を振っていた後姿、その手首の癖などを見馴れた近衛秀麿氏が水もしたたる島田娘の姿になって、眼ざしさえ風情ありげにうつっているのもまことに感服ものであるが、その左側に文麿公が、髪までをヒットラー風に額へかきおろし、腕に卍の徽章をまいて、ヒットラーになりすまして笑いもせず貴公子らしく写っている姿は、相当なものである。あっさりとただ支那服に著換えただけらしい文麿公夫人が悧発そうなまた無邪気な視線で、こちらを見ているのも面白い。 文麿公が、娘さんのお嫁に行かれる送別仮装会のために、そのヒットラー髭を買いにわざわざ浅草まで出かけたことを弟の秀麿氏が、賢兄の茶目気として紹介している記事である。 今日の上流の人々の遊びかたの一つの文化上のタイプとしてこの仮装写真を興味ふかく眺めた人は少くなかったろう。仮装の心理。仮装の面白さ。仮装のスリルは随分文学にも扱われて来た。仮装の精髄は、仮装しているものの中への感情移入であると文学は見ている。真偽の境がわれからぼやつくところにスリルがかくされていると見ているのである。--
宮本百合子、「仮装の妙味」
で、その近衛文麿、ヒトラー仮装(コスプレ)写真がネット上になさそうなので、うっぷすます。
おいらとしては、ファシズムだの、なんだのというより、これらのしとびとのバカっぽさに驚く。
でも、これがやむごとなき際の人々の何らかの美意識なんだべ?雑民にはやっぱ、わがらねぇ、大日本帝国、公爵家のひとびとの神経。
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