いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

東條内閣は"ボルシェビキ"と外相が書いていた

2009年08月19日 21時07分31秒 | 日本事情


南の島

重光葵の観察と認識

昨日の重光葵、『重光葵手記』の中の"軍部と作文内閣" (Amazon)からの抜き書き;

 軍部は満州事変から国内革命と国際革命との内外に亘る手段を以て強引に天下を取った。国内革命は「ポルセヴィキー」式革新「イデオロギー」に依り、国際革命は帝国主義的侵略方法に依った。見様によっては自然的発展と時代の要求とに依るものであって、何れも社会主義的水平運動に立脚している。国内的に社会主義的方向に向かって行くのは当然であり、国際的にも水平運動が起きるのも当然の運命とも云える。

つまり、東條内閣の思想は共産主義半分、帝国主義半分であり、やろうとしていることは、国内金持ち階層と世界の金持ち国家・米英を敵とした"水平化"運動であるということ。

東條内閣において開戦時の外相は東郷茂徳であったが、昭和18年(1943)年4月からは重光となった(途中、東郷と重光の間に谷正之が外相)。上記の文章は外相の時書いたもの。自分の内閣を「共産主義半分、帝国主義半分」とは醒めた、そして冴えた観察眼ではある。

西田幾多郎の観察と認識

そして、こちらも昨日の、西田幾多郎、『世界新秩序の原理』。この文章の世界認識;

十九世紀以来、世界は、帝国主義の時代たると共に、階級闘争の時代でもあった。共産主義と云うのは、全体主義的ではあるが、その原理は、何処までも十八世紀の個人的自覚による抽象的世界理念の思想に基くものである。思想としては、十八世紀的思想の十九世紀的思想に対する反抗とも見ることができる。帝国主義的思想と共に過去に属するものであろう。

極めて図式的で、「18世紀=個人主義・自由主義の時代、19世紀=帝国主義の時代。一方、今(1940年代前半)流行し、対立している思想は共産主義と帝国主義。ただし、共産主義とは個人主義・自由主義という18世紀思想の焼き直しである。したがって、共産主義と帝国主義の対立は、18世紀思想の19世紀思想への叛逆である」という西田の認識。いずれにせよ、両者とも過去のもので、今こそ日本は、国家の世界史的使命の自覚し、ガンガレというもの。

▼この西田の「共産主義と帝国主義、共に古い」という認識に立ち、重光の眼で東條内閣を見ると、「今こそ日本は、国家の世界史的使命の自覚し、ガンガレ」という『世界新秩序の原理』には全然該当しないことになる。