いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

南の島の海をなめんなよ!

2009年08月23日 19時21分02秒 | 国内出張・旅行


荒波打ちつける南の島のある海岸

デジカメがしぶきをかぶりました。

なめてください。メローな海。

帝大生・金大中さん

金大中さんは終戦時に大学生と知り、大学を確認しようとする。→wiki, 金大中43年(昭和18年)木浦公立商業学校(現全南第一高校)卒業、慶煕大学大学院経済学科2年課程修了。

ん~、大日本帝国 京城帝国大学入学の経歴をスキップ。 ところで、国葬は在任中に暗殺された朴正熙(パク・チョンヒ)大統領以来、30年ぶりで2度目となる。* ということは、大韓民国史上、国葬は2人だけということだ。その二人の共通点といえば;

金大中さんと朴正煕さん(「大正」6年、1917年生まれ、大邱師範学校・満州国軍軍官学校・日本陸軍士官学校)は、日帝おっかさん(トンビ/鷹)の、賢兄賢弟(トンビ/鷹)に他ならない。[(トンビ/鷹)は読者のイデオロギーにあわせて勝手に選択してください。]

金大中さんは「大正」14年(1925年)生まれ。「日本」人政治家でいえば野中広務や中川一郎と同い年らしい。 どうでもいいけど、三島由紀夫が「大正」14年。

■ 爪の垢でも煎じて飲めよ;敗残日帝の愚弟・愚弟・ぐでんぐでん(トンビ)[選択の余地なす]
    
愚弟      愚弟     ぐでんぐでん

*金大中氏の国葬、2万人参列 弔問所、市民が列

 【ソウル=尾島島雄】韓国政府は23日、18日に死去した金大中元大統領の国葬をソウルの国会広場で営んだ。李明博(イ・ミョンバク)大統領のほか、海外からの弔問団を合わせて2万人以上が参列した。韓国の民主化を先導し、南北和解への道を切り開いた元大統領との最後の別れを惜しみ、国会周辺や各地に設けられた弔問所に多くの市民が列をなした。

 国葬は在任中に暗殺された朴正熙(パク・チョンヒ)大統領以来、30年ぶりで2度目となる。河野洋平前衆院議長や米国のオルブライト元国務長官、中国の唐家セン前国務委員ら海外から訪れた弔問団が臨席。金大中氏を弾圧した全斗煥(チョン・ドファン)、政界のライバルだった金泳三(キム・ヨンサム)の両元大統領らも参列した。

 葬儀委員長の韓昇洙(ハン・スンス)首相は弔辞で「(元大統領は)民主主義と人権、平和と民族和解を実現するために献身した」と故人の功績を称賛。「(遺志を継いで)今こそ地域や階層、理念と世代の差を超えて統合の時代を開くべきだ」と訴えた。(23:12)