いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

3年遅れ画像添付

2007年08月29日 20時10分40秒 | その他


朝昇龍、場所が終わって直帰:北米出張6

3年前に画像はるよと言っておきながら、そのまんま。

朝「昇」龍ではなく、朝青龍の画像をはりました。 
後姿だからホントかわからんって?
ごもっとも。

今日と違って誰もおらんかった。一人だったよ、待合室では。

■まったく別な話。

戦後うまれだって誰もが一度は聞いたことがあるにちがいない、「大本営~陸海軍部発表~」の対米英開戦告知の音声。 今では映像も見れる↓

YouTube: 大本営陸海軍部発表 十二月八日午前六時

この声を張り上げている御仁は 平出英夫 海軍報道部長で大佐(当時)。

この平出さんは、終戦直後、米占領軍が続々と進駐して来る頃、北海道は「道南」(県南に相当する語)の 今金 の寺に「隠れて」いたらしい。 今日読んだ本に書いてあった。

で、平出英夫をググッて見ると、戦時中は小林秀雄と対談なぞをしている。
 
1942年/昭和17年
5月 「『ガリア戦記』」を『文学界』に、「『カラマアゾフの兄弟』(6)」を『文芸』に発表。『大洋』で「海軍精神の探究」と題して平出海軍大佐・河上徹太郎と鼎談。


ネットで見ると平出はイタリア駐在武官もやって、イタリア語ができたとある。

鈴木庫三と同じく、軍部の「プレゼン」組なのね。

▲とまれ、小林と対談するほどの文化軍人の平出は、敗戦を向かえ、なまじ、おリコウだったので タン と反省してみることにして、北海道の無名の街の寺にいたのだろう。きっと。 

で、平出がその後どうなったかは、書いてない。もちろんネットではわからない(今のところは)。