いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

マドリッド おみやげ露天商

2007年08月22日 21時56分34秒 | 欧州紀行、事情


37℃の暑さであったマドリッドでは扇がよく売られていた。


呉智英の『健全なる精神』において、「反日の切り札、教えます」というエッセイがある。マンガ『嫌韓流』へのコメントである。このマンガが、旧来の「進歩派」の欺瞞的土下座友好論を粉砕したことを、呉は評価している。 そしてなぜかしら、粉砕された「反日プロ市民」へ、嫌韓の日本人を土下座させる方法を提案する。いや、よわきをたすく、任侠の人なのだ、ごちえいセンセは。

反共戦士としての韓国を尊重せよ!

という切り札の指摘である。 そしておちは、「反共の防波堤論」をサヨクの「反日プロ市民」が使うわけないよな。じゃんじゃん。そして、右翼や保守派が「反日の切り札」を使うわけないよな。じゅんじゃん・2度目。

「この切り札、一体だれが使えばいいのだろう。」としめくくっている。 

呉は混乱している。「反共戦士としての韓国を尊重せよ!」という切り札は別に反日ではない。まさに、「反共戦士としての韓国を尊重せよ!」といいつのってきたのが、ふたむかし前の自民党中枢の文鮮明の徒どもではないか! ただ、今では代替わりをしているので、総理になっても、公然と電報を打つのは安倍ちゃんくらいらしい。

岸信介、福田赳夫ら総理らも文鮮明の徒であったことは公然である。さらに、先の自民党総裁戦では、文鮮明の徒の子孫であるという事実が判明しなかったのは麻生太郎さんふだけである。総裁選の時、谷垣禎一さんのお父さんも文鮮明の徒であったと指摘したのはこのブログくらいではないかと思う(えっへん)。

そうなのだ、時代が移り、現行のぬっぽんのなんちって保守やウヨは朝鮮戦争も国際共産主義の脅威も無縁なのだ。それが、マンガ『嫌韓流』の出現と流行である。

現行のぬっぽんのなんちって保守やウヨは、だれも、反共戦士としての韓国を尊重せよ!とは思っていないのだ。

つまり、マンガ『嫌韓流』の出現と流行は保守やウヨ内部での、旧世代からの反撃なき、新興勢力・ぬっぽんのなんちって保守・ウヨの跋扈の象徴に他ならない。

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文鮮明 福田赳夫