水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・565」

2022-07-21 21:32:01 | Weblog



ある気功師・171

人は苦しむ権利を持っている。
苦しむ生き方の選択を決められる。
幸せというのは、表面だけではないのだ。
楽しく、嬉しく、気持ちよく、だけが幸せでもない。
もちろん狭い意味の幸せを目指すのも自由。

道徳家や宗教家、教育者などはとにかく浅い・・・
生命はもっと深く広く高い。
光も闇も含んで生命。
何故、全てが個の世界か。
自主の自由が最も優先する世界だからだ。
経験、体験が生きる目的だ。

自分が手助けできるからと、他の生き方に介入すべきではない。
いや、個と個が介入し合っている世界でもある。
だから勝手に介入するべきじゃない。
だが、依頼されたら全力で応援、手助けする。
それが、個と個が介入し合って生きる世界のルール。


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「迷想中・迷走中・564」

2022-07-20 22:14:02 | Weblog



ある気功師・170

手を出さない。
その意味はますます深くなる。
故師匠が倒れ、やがて復活する。
復活してからの話は、この点を強調した。

故師匠は手を出すな、と言いながら手を出していた。
困った人がいたら手を出さずにいられない性格だった。
自分の身体を二の次にして手を出した。
だが、手を出すな、という大切さも知っていた。
私も半分しか納得していなかった。

私が納得するのはプロになって10年過ぎてからだった。
上手く表現できないが、人は苦しむ自由がある。
病になる生き方もある。
死んでしまう選択もある。
それらは、間違い、とは違うのだ。
間違いは、人の専売特許だ・・・


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「迷想中・迷走中・563」

2022-07-19 22:13:50 | Weblog



ある気功師・169

朝までその繰り返し。
もし、異常があればすぐそれなりの対応が必用となる。
緊急医療として救急車の要請などだ。
そのくらい重病の人も来ている。
酸素ボンベを引きずりながら講義を受けている人もいるのだ。

重病者の階からはエレベーターが使える。
その乗り降りに関しても、基本は手伝わない。
見ているだけだ。
万一に備えて気は抜けない。

そして思った。
見守るのは・・・しんどい・・・
手を出すのは簡単だ。
だが見守るのはその何倍も気を使う。
そして、能力も使う。
素人では見守りは出来ない。


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「迷想中・迷走中・562」

2022-07-18 21:15:24 | Weblog



ある気功師・168

ボランティアスタッフとなり、夜間の見守り役を体験した。
何度もボランティアスタッフを経験している先輩と二人だ。
多くの参加者は団体で就寝する(男女別)。
だが重病の人は別の階で個室となる。
その階の見守り役だ。

勝手に手を出すな。
以前に故師匠から言われた言葉だ。
その事をそのまま体験した。
先輩の凄さを体験した。

仮眠とはいえ、実際は徹夜と同じ。
目を瞑って動かないでいるだけ。
僅かな声、苦し気な声をとらえる。
パッと毛布をとり、先輩は何も言わず動く。
その部屋の前に行き、息をひそめて中の様子を伺う。
そのまま、そっと戻り、何も言わず目を瞑る。


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「迷想中・迷走中・561」

2022-07-17 22:20:40 | Weblog



ある気功師・167

故師匠の治療哲学の言葉がある。
難病など簡単に治らない人用の言葉だ。
そういう人に対する治療側の言葉でもある。
要約する。

治す事に本気で向き合え。
そうでないと治らない。
本人が正面から病に立ち向かう。
治療者が正面から病に立ち向かう。
患者と治療者が力を合わせる。
すると宇宙の彼方から第三の波動が発生する。
それが奇跡を起こす。

無理だと思える病も大丈夫だ。
奇跡はいつでも起こりえる。
それぞれが本気で力を合わせれば。
誰でも奇跡は起こせるのだ。


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「迷想中・迷走中・560」

2022-07-16 22:31:41 | Weblog



ある気功師・166

この講座に参加する時、詳しいプロフィールなど書かない。
家族構成も職業ももちろん収入なども一切書かない。
書くのは、名前と、どの県から来たのか。
病がある場合、書きたければ書く。

個人情報は出さなくてもいいのだ。
この気功療法はそんなの必要ない。
病名も必要ない。
する事は同じだ。
ただ気を受ける。
それだけだ。

だが、回復するには本人の気づきが必用だ。
気づきが必用としない回復は病院で充分だ。
薬を飲めばいい。
手術をすればいい。
それで治る。
本人の気づきや生き方など関係なく治る。

難病、奇病、どうしても治らない病。
それらは本人の参加が必用となる。
本人が変わる。
本人が治そうとする。
他人任せでは治らない。


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「迷想中・迷走中・559」

2022-07-15 21:49:35 | Weblog



ある気功師・165

インチキ霊能者がよく使う方法ではない。
あらかじめ調べた情報ではないのだ。
後に私も体験するから判る。
こういう事は何度も起こるのだ。

相手が初めての依頼者でも私が口から出る言葉がある。
勝手に私の口から出るので、私自身も初耳だ。
もちろん、その時には私の意識も普通にある。
だから自分ながら何故そんな事を言うのかわからない。
その内容に見当もつかないのだ。
ただ、私の口から出ているだけ・・・

相手の心を読むわけではない。
そんな事は出来ない。
それに、病に関係した事しか言葉に出ない。
それが「この氣」を扱う副産物なのかわからない。
他の気功師もそういう事があるのかもわからない。
いずれにしても、何か他人事なので深く追求する気も無い。


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「迷想中・迷走中・558」

2022-07-14 21:46:30 | Weblog



ある気功師・164

この講座、故師匠通称会長が不在のまま開かれた。
不在ではあるが、常に会長の存在があった。
矛盾した言い方だが、全員がそう感じていた。
だから特別変わっていない、ともいえる。

不在ではあるが、毎日指示がある。
それも、一人一人の参加者に対してだ。
ファックスなどで参加者の情報は送っていた。
とはいえ、表面的な情報だ。
それなのに、もっと深い指示が返ってくるのだ。

私などはもう不思議とは思わなかったが、常識外ではある。
これは第一回の一年前にもあった。
参加者の一人が本人も話さなかった病の原因を故師匠は指摘した。
もちろん、その本人はビックリしていた。
まるで、千里眼・・・古いか・・・


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「迷想中・迷走中・557」

2022-07-13 22:22:04 | Weblog



ある気功師・163

1995年、五月。
三回目の奈良県、生駒山。
一年前はただのオッサン。
そのオッサンが気功師になった。
それから様々な怒涛の変化。
それでも、たった一年しか経っていない。

世の中はオウム真理教狂団のニュースばかり。
凶悪な事件を立て続けに起こした。
その本部の山梨県一色村に警察や機動隊が突入。
幹部が次々と逮捕されていた。
だが、狂祖の麻原彰晃は見つかっていない。

生駒研修所ではテレビ、ラジオ、新聞は無い。
そういった事柄から一切を遮断して病と向き合う。
そういうプログラムだった。
昨年は参加者側。
今回は裏方のスタッフ側。
とても大きな経験となった。


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「迷想中・迷走中・556」

2022-07-12 22:34:49 | Weblog



ある気功師・162

この四月の段階で五月の生駒気功講座を開催すると決まった。
もちろん故師匠はまだ入院中だ。
この講座は故師匠がメインのものだ。
多くの難病、重病、奇病の人達が藁をもすがる思いで来る。
その肝心の故師匠がいないまま開催するという。

この時でないと故師匠に恩返しできない、と私は思った。
何らかの役に立ちたい。
そこで、ボランティアスタッフに立候補したのだ。
前回のリーダー役をしていたおかげで、私の事は知れていた。
他の多くのスタッフとは顔見知りになっていた。
研修所の管理人夫妻とも仲がよかった。

龍村師匠も常任講師として出席する。
いや、龍村師匠の責任はとても大きい。
ある意味、龍村師匠が代理として背負う講座だ。
ここでも私は第一期生として龍村師匠と共に活動できる。
私は、生駒講座もHHC講座も第一期生だ。


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