水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説幸福論・144」

2010-01-21 23:03:40 | Weblog



幸の項(こうのこう)

ワシは今まで勘違いしていた。
養生すれば、幸になると思っていた。
生命を大切にすれば、幸になると思っていた。
幸は御褒美だと思っていた。

生命即神。
生命への敬い。
生命への畏れ。
生命への祝福。
それらの御褒美だと思っていた。

そうだよなぁ・・・
不出来な人間だもの・・・
敬い、畏れ、祝福の対象はコロコロ変わる。
判断の間違いが特徴の人間だもの・・・
方向判断装置が先だよなぁ・・・

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・143」

2010-01-20 23:18:43 | Weblog



幸の項(こうのこう)

夢を追いかけるのはオマケでいい。
メインにすると本末転倒・・・
幸を追いかけるのも間違いだ。
そもそも、追いかければ逃げる・・・

幸は元々肉体に付いている。
出現するか、しないかだ。
出現したら、その方向。
その生き方をしてみる。

そうやって、生命を養う。
養生というのは、幸の方向なのだ。
そして、養生こそがメインとなる。
それだけが、与えられた責任でもある。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・142」

2010-01-19 23:28:38 | Weblog



幸の項(こうのこう)

ところが、そう甘くない。
とても未熟な人間だもの・・・
付けてくれた「幸」を求めだした。
追いかけだした。

幸だけを取り出したいのだ。
それが目的になった。
幸が何故あるのか、なんて考えてもみない。
宗教も幸を謳い文句にした。
幸の為に、我が宗教に入りたまえ・・・

どうせ求めるなら「夢」も・・・
夢はいつしか「欲」に変わる・・・
幸より具体的だし、そっちにするかぁ・・・
欲という名の「夢」を追いかける。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・141」

2010-01-18 22:58:01 | Weblog



幸の項(こうのこう)

せっかく任された肉体管理。
でも、マトモに出来ない人間。
つ、つい、終了を早めてしまう。
だって、人間だもの・・・

グレちゃん(創造主)は超優しい。
失敗しても叱らない。
もちろん、罰なんてするわけない。
ただ、ちょっとなぁ・・・
もったいないから、もう少し何とかしようぜ。

と、いうわけで「幸」をオマケした。
これで、気づけよなぁ・・・
幸が出たら、そっちの方向に進むだろう。
そうすれば、肉体生命を全うできる。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・140」

2010-01-17 22:50:02 | Weblog



幸の項(こうのこう)

早く肉体を壊してしまう。
早く肉体を衰弱する。
早く肉体を老いさせる。
これは可能だ。

早める事は可能だけど、本来じゃない。
自然でもない。
自然とは、他との調和だ。
早く肉体と別れるのは、調和が歪む。

多種多様な生命が一つの場にいる。
一種でも多々の生命が同時に存在する。
この世はそういう世界だ。
だから調和はマナーでもある。
早く肉体と別れるのは、マナーに反する。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・139」

2010-01-16 22:58:57 | Weblog



幸の項(こうのこう)

この世にいられる条件。
生きている肉体がある事。
いつかは卒業する。
それまでは、肉体に宿る。

ならば、答えは出ている。
肉体を維持する。
それが、この世にいる基本的条件。
管理は任されているのだ。

幸せを求め、ひたる世界ではない。
時間は限られているのだ。
いつ、その時間が来るのか予測できない。
早めてしまう事はできる。
管理は任されているのだ。

         
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「迷説幸福論・138」

2010-01-15 20:00:28 | Weblog



幸の項(こうのこう)

わざわざ自分から探しに行くモノではなかった。
最初からグレちゃんが付けてくれていた。
全ての生物に付けてくれていた。
個々に専用に付けてくれていた。

幸は探すモノではない。
追いかけるモノでもない。
得る為の条件もない。
目的でもなかったのだ。

全ては、生命の為。
よく考えれば、当たり前だ。
生きている事が重要なのだ。
それだけが、唯一大切にする事なのだ。

         
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「迷説幸福論・137」

2010-01-14 23:25:17 | Weblog



幸の項(こうのこう)

生まれたのは神様任せ。
死ぬのも神様任せ。
だが、その間は自分で管理する。
生きる管理は自分に任せられている。

不完全な生物だ。
管理もキチンと出来ない。
しょうがねぇなぁ・・・
グレちゃんは超優しい。
対策もしたのだ。

生命を宿す肉体に装置を付けた。
生命管理の方向が判断できる装置だ。
それが「幸」というヤツだ。
「幸」なら誰でも判断できるやろ。

         
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「迷説幸福論・136」

2010-01-13 22:04:41 | Weblog



幸の項(こうのこう)

何かを成す為に生まれた。
そんな言葉は薄情というものだ。
あるいは、思い上がりというものだ。
その台詞は自分が何かをしたからなのだ。
偉ぶって言ってる台詞だ。

一瞬で亡くなった人達。
志の途中で亡くなった人達。
満足して亡くなるのは一部。
生命が消えるのは、いつだかわからない。

この世を創ったグレちゃん。
そんな無理な生き方を押付けないぞ。
生きたなら、死ぬまで生きる。
それが生まれた意味と役割だ。
これなら、誰でも当てはまる。

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説幸福論・135」

2010-01-12 21:50:17 | Weblog



幸の項(こうのこう)

何かを成す為に生まれた。
よくいわれる言葉だ。
立派そうだし、そうかなぁと思いがちだ。
だが、大きな間違いだ。

いろいろな生き方がある。
何かを成す為に生きる場合もある。
成し遂げる人もいる。
途中で亡くなる人もいる。
何をするか見つからない場合もある。

それどころか、生まれてすぐ亡くなる場合もある。
様々の人生が、一瞬で消える場合がある。
広島や長崎のように・・・
一晩で大勢が亡くなった東京空爆のように・・・

         
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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