水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
康の項(こうのこう)
とりあえず落ち着くのを小康状態という。
良くなりそうだ、という場合も小康状態という。
小さくても、安心できそうな「康」だ。
吉兆字の一つだろう。
そういえば「家康」というオッサンがいたなぁ。
家(徳川家)を安心させる為、何でもしたなぁ。
犠牲になった方は「康」じゃなかったけど・・・
安定の時代(江戸時代)が長かったのは事実だ。
たのしい、という意味があるのもいい。
幸はたのしい(楽しい・愉しい)が付きモノだ。
安心より、愉しいを目指すタイプがいる。
ワシもその一人だ。
落ち着かなくても愉しければいい。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
康の項(こうのこう)
この字は意味深いぞ。
やすらか。
たのしい。
おおきい。
五方に通じる大きな道。
そして、むなしい。
幸の指標になりそうな意味が多い。
まず、やすらか。
これは「健康」の康だ。
身体は「健やか」に。
心は「康らか」に。
落ち着いている状態。
静かで、楽な状態。
安定している状態。
やわらかく、温かい状態。
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好の項(こうのこう)
好み。
何故だかわからないが、いい。
何となく、いい。
好き、は固定されてない。
だから、好き同士も別れる。
気分で変わるのだ。
それが、いい。
幸は固定されないところに有るようだ。
好きは増やせる。
固定されないから、増やせる。
一夫一婦制じゃないのだ。
縛られないから、幸になる。
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好の項(こうのこう)
好きを増やす。
多分、幸の方向だろう。
だが、嫌いも増えたらメンドウだ。
好き、嫌いがハッキリしている。
そういうのは、結構不便だ。
好きが増えるのはいい。
好きは、生きていると、勝手に増えるようだ。
嫌いを濃くすると、嫌いも勝手に増える。
心は焦点を当てると増え、広がるようにできている。
ならば、コツは簡単だ。
嫌いを薄めればいい。
苦手を薄めればいい。
無くそうとは思わなくていい。
この世にあるものだもの。
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好の項(こうのこう)
ワシは節操の無い方だ。
更に節操の無い生き方を目指している。
だから嫌いなモノが少ない。
好きなモノは多いし増えている。
嫌いを無くそう。
それが正しい生き方だ、なんて思ってない。
正しい生き方は・・・苦手な方だ。
正誤にこだわると、自他共に不自由になる。
ワシは根性が無い。
嫌いがあると、克服なんてしない。
避ける。
すると、その分、自由になれない。
だから節操の無い生き方になる。
嫌いを克服するのではなく、薄くする。
まぁ、いいかぁ。
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好の項(こうのこう)
ついでに嫌いという字も考(こう)する。
嫌いは、女を兼ねると書く。
この場合の「兼ねる」は「合わせもつ」ではない。
推しはかる、という意味だ。
女を推しはかる。
・・・解らない、推測不能・・・
女は推測不能の生物なのだ。
女は生命とダイレクトに繋がっているからだ。
生命は(人間の段階では)推測不能。
解らないモノに対する感情。
まぁ、性格によるけど・・・
そこに嫌いという感情が生まれる。
理解できないモノは嫌い。
そういう人達は結構多いぜ。
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好の項
好き。
女の子が好き。
ワシの趣味ではないぞ。
漢字をバラすと、女と子になるのだ。
(注:ワシはオナゴは敬うし好きだが、
女の子はワシ的にはオナゴじゃない。
オンナと女の子は差があるのだ)
好きという段階。
オンナではなく、女(オンナ)の子。
未だ成熟していない。
軽い段階の惚れ。
楽な段階の感情や方向。
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消極的なモノはノリが悪い。
同じ方法でも消極的にしなければいい。
堂々と努力しない。
でも、気まぐれで、時々する。
好きな事には根性出す。
たまには、頑張る。
考える事も、持続しない。
考えから空想へ。
更に妄想へ。
ゆったり夢想へ。
脳があるなら、考も愉しもうぜ。
コツは「こだわらない」だ。
考える、って、愉しみの一つだ。
ということで、考も幸。
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いろいろな「こう」の文字。
それで「幸」の道標にする。
まぁ、それが今回の指令だ。
(指令だったのかぁ・・・)
考える。
おっ!これも「こう」だ。
だが、何を考えるかが問題だ。
ワシは、考える。
如何に楽をして愉しく生きられるか。
消極的な選択がある。
努力しない。
根性出さない。
頑張らない。
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幸に生きたい。
だけど、幸ってアイマイすぎる。
範囲が広すぎる。
個の感覚や考えで違うかも・・・
もっと判りやすい「幸」があるだろう。
日本語は同音に同意味の文字を用意している。
音が同じなら、意味も同じところに根ざす。
例えば、神と上と守。
火と日と陽。
幸も同じ意味や方向の文字があるだろう。
もし無くても、デッチ上げればいい。
どうせワシは口から出任せで書いている。
言葉遊びも人生の愉しみの一つだ。
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