水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説般若心経・166」

2008-01-19 18:37:20 | Weblog



  第十三章(6)
  心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖

心無罫礙 無罫礙故が同じ意味なら・・・
「心無罫礙故」の一節でいい。
どこが違うか?
一目瞭然。
前節に「心」があり、後節にはない。

つまり「無罫礙故」の網や石は心の事じゃない。
心でなければ、身体だ。
身体の網は病の事だ。
石は怪我の事だ。
(この訳は多分、日本でもワシ一人だと思う)

ゲンちゃんは、わざわざ心と身体を区別して書いたのだ。
この世界では、心も肉体も同等に重要なのだ。
つい、心や精神を重要視しがちだが、それは間違いやすい点だ。
同等だが、むしろ肉体が優先する世界だぜ。
精神世界スキスキ人間は、ここで必ず間違える・・・。

                     
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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