水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

佐渡先生・8

2005-05-22 22:18:38 | Weblog

佐渡先生は自然体だ。
自然体を「本能の赴くまま」と訳すと間違う。
自然は調和で成り立っている。
自分勝手でも他人任せでもない。
「自他の調和」が自然体というものだ。

この世は、自と他が混同、混合している。
だから調和度が増すほど、息が楽になる。
自然体は、自他が楽になる生き方だ。
自他の区別や摩擦や決り事は、
「ゆるやか」なほど、楽に生きられる。

とはいえ、人間は未完成品だ。
硬かったり、柔らかかったりして触れ合う。
(遠慮なく、意味深に受け取ってくれ)
「やわらぎ」というのは柔らかいことじゃない。
硬かったり、柔らかかったり、自由に出来ることだ。

だから、佐渡先生も時々は硬いセリフもある。
「百里の道を行くときは、九十九里をもって半ばとせよ」
もう少しで着ける、という時に言った言葉だ。
優しいなぁ・・・佐渡先生は・・・。

ワシはもっと冷たい。
「百里目に着いたら、百里だ」
到着しないと着かない。
当たり前なんだけど、当たり前が通用しないのが常識だ。
到着地が見えた(と思い込んでいる場合が多い)だけで、
アレコレ着いた感想を話す評論家が多い。

他人の感想をそのまま話す人も多い。
まぁ、それもいいけど・・・空っぽすぎないかぁ?
せっかく自分があるのに、もったいなくないかぁ?
完成されたエラソウな意見もいいけど、
未完成でもその人の言葉が魅力あると思うがなぁ。

佐渡先生や故御師匠様は独自だった。
個性溢れる言葉が素敵だった。
ワシは10以上年たった今でも活き活きと思い出す。
10年以上かかって、意味が光りだす。
生きている言葉は、素敵だ。
ワシも言葉に生命を吹き込んで書いている。
(上手くいく時もたまにはある・・・)

「個性」は生きている証拠だ。
ワシが佐渡先生や故御師匠様に惹かれたのは、
「個性」があり「自然体」だったからだな。
個性だけでは、アクになる。
自然体(調和)と合体で魅力となる。

さて、これから、何処まで近づけるか・・・
ワシは
佐渡先生のように、故御師匠様のように、
いいかげんで節操の無い人になりたい。

地球の未来を続ける為に出航したヤマトだ。
何とか間に合いそうに帰ってきた。
その時の沖田艦長の最後の言葉がある。
「佐渡先生・・・ありがとう」  


(本館は http://iiki.desu.jp/  「氣の空間・氣功療法院」
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