第十一章(5)
無苦集滅道
「集諦(じったい)」は「苦」の原因。
「苦」は執着で発生する、という真理(諦)。
真理は限りなく有るから、それも一つだと思う。
だけど・・・執着が無くても「苦」は有る。
ここからはワシの体験も含めてだ。
「苦」は「本人の苦」でなくても伝わる。
元は執着から生まれたモノかもしれない。
だが、「苦」という「氣」は独立する。
本人の執着でなくても「苦」は有る。
同じく本人の「快・喜・幸」でなくても伝わる。
この世は、他とつながりあっているのだ。
「生老病死」
誰も避けられない、この世の存在とセットだ。
ならば「苦諦」としたら矛盾するだろ。
存在が「集諦」なら、この世は地獄かぁ?
そこから抜き出るには「八正道」が必要?
(宗教組織としてはオイシイ解説だ)
そんな事ぁ、ブッちゃんは言わないだろ。
八正道を実行できる人がいるかぁ?
(八正道は四諦とセットで解説される)
無理を迷える衆生に押し付けるわけ無い。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)