第十三章(2)
菩提薩多 依般若波羅蜜多故
菩薩が「幸せに向かうモノ」で生命体全てだ。
ならば如来とは何か?
簡単だ。
「幸せになってしまったモノ」だ。
当然、生命体を超えてしまっている。
悟ったら人間ではいられない、という意味はここにある。
超えたら、生命体でいる理由が無い。
つまり、
人間でいて「私は悟りを開いた」というのは無理なのだ。
そういう人は、嘘か詐欺か勘違いなのだよ。
ツマラン宗教にひっかからないでね。
ブッちゃん(仏陀)は気づいたのだ。
悟りを得るのは自然にまかせる。
人でいる間は、生きる事を大切にする。
だから衆生やケモノや妖怪に優しい。
だから生あるモノ達に「慈悲」という言葉を使った。
悲しみも苦しさも含め、認めての方法だ。
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