どちらも力が入っているなぁ・・・。
「集中」と思って「執着」になる。
最初は「集中」だったのに・・・
いつの間にか「執着」になる。
よくあるパターンだ。
「集中力」を高める。
「集中力」を強める。
無条件で「いいこと」だと思ってしまう。
ところが「集中力」が「力」だと思うと、
大抵は「執着」になるようだ。
「集中」する事は自分が主体だ。
対象の「氣」を自分側に集める。
自分の「氣」を対象に集める。
自分の心のコントロールができている状態だ。
コントロールは「やわらぎ」が土台になる。
「やわらぎ」が広いほど、
「やわらぎ」が深いほど、
「やわらぎ」が大きいほど、
コントロールは自由度を増す。
当たり前だよねぇ・・・
「集中」が「やわらぎ」次第だと気づいたのは、
ワシが「氣の世界」に入ってからだ。
(ワシの場合は「やわらぎ」っぱなしで集中が無いかも)
それまでは集中は「力」次第だと思っていたからなぁ・・・
「集中力」は「力を入れる事」だと思っていた・・・。
「力」が強まると、例え結果が出ても「質」が伴わない。
質を見抜けなくては、さ迷ってしまうものだ。
「集中」の目的は「本質」に近づく事なのに・・・。
結果に踊らされて、質を勘違いする・・・。
ワシも勘違いの連続だった・・・
「力」を「結果」に集中させていた。
「集中力」は「力を抜く事」だと気づけなかった。
「集中」に「時間」は関係しないと、気づけなかった。
故御師匠様が言っていた。
「一瞬で変わる。時間じゃない」
今は理解できる。
出来るが、簡単には出来ない。
その「一瞬」が行えるまで、時間がかかる。
ワシも求めるモノがある。
求める境地がある。
だから「集中」が必要だ。
だが、ワシの100時間は「集中」じゃない。
「集中」できるまでの「あがきの時間」だ。
「集中」は「一瞬」だけだ。
「力」は、使わないといってもいい。
「力」は、使わない事に気づく為にもある。
この世の仕組みはヒネクレている・・・
だから・・・集中は「やわらぎ」次第だ。
まだまだ、ワシは・・・硬い。
(い、いや、一部はかなり柔らかくなった・・・。
だが、そこが何処だかは詮索するなよ・・・)
桜が今、散っている最中です。そこで、一句。
舞い降りる 花びら札なら 嬉しいな♪
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」
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