水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

集中と執着・1

2005-05-02 19:27:17 | Weblog

どちらも力が入っているなぁ・・・。
「集中」と思って「執着」になる。
最初は「集中」だったのに・・・
いつの間にか「執着」になる。
よくあるパターンだ。

「集中力」を高める。
「集中力」を強める。
無条件で「いいこと」だと思ってしまう。
ところが「集中力」が「力」だと思うと、
大抵は「執着」になるようだ。

「集中」する事は自分が主体だ。
対象の「氣」を自分側に集める。
自分の「氣」を対象に集める。
自分の心のコントロールができている状態だ。
コントロールは「やわらぎ」が土台になる。

「やわらぎ」が広いほど、
「やわらぎ」が深いほど、
「やわらぎ」が大きいほど、
コントロールは自由度を増す。
当たり前だよねぇ・・・

「集中」が「やわらぎ」次第だと気づいたのは、
ワシが「氣の世界」に入ってからだ。
(ワシの場合は「やわらぎ」っぱなしで集中が無いかも)
それまでは集中は「力」次第だと思っていたからなぁ・・・
「集中力」は「力を入れる事」だと思っていた・・・。

「力」が強まると、例え結果が出ても「質」が伴わない。
質を見抜けなくては、さ迷ってしまうものだ。
「集中」の目的は「本質」に近づく事なのに・・・。
結果に踊らされて、質を勘違いする・・・。

ワシも勘違いの連続だった・・・
「力」を「結果」に集中させていた。
「集中力」は「力を抜く事」だと気づけなかった。
「集中」に「時間」は関係しないと、気づけなかった。

故御師匠様が言っていた。
「一瞬で変わる。時間じゃない」
今は理解できる。
出来るが、簡単には出来ない。
その「一瞬」が行えるまで、時間がかかる。

ワシも求めるモノがある。
求める境地がある。
だから「集中」が必要だ。
だが、ワシの100時間は「集中」じゃない。
「集中」できるまでの「あがきの時間」だ。

「集中」は「一瞬」だけだ。
「力」は、使わないといってもいい。
「力」は、使わない事に気づく為にもある。
この世の仕組みはヒネクレている・・・

だから・・・集中は「やわらぎ」次第だ。
まだまだ、ワシは・・・硬い。
(い、いや、一部はかなり柔らかくなった・・・。
だが、そこが何処だかは詮索するなよ・・・)



桜が今、散っている最中です。そこで、一句。

舞い降りる 花びら札なら 嬉しいな♪


(本館は http://iiki.desu.jp/  「氣の空間・氣功療法院」
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 立夏・小満 | トップ | 集中と執着・2 »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事