第十三章(8)
心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖
「無有恐怖」も表面の訳が多い。
「~故に恐れが無い」などと訳すようだ。
それなら「無恐怖」で事足りる。
「有」の字が入っている意味を無視している。
何度もいう。
「無」を「無い」と訳すから意味が汲み取れないのだ。
「無」は「こだわらない・気にしない」と訳すのだ。
「こだわらない」と訳せれば「有」の字が活きる。
恐怖が無くなる、のではない。
恐怖が有っても大丈夫だぜ、と言ってくれている。
ブッちゃん(仏陀)は優しいんだ。
理屈で「無くなる」なんて強調しない。
生きている、というのは「恐れ」と共生しているのだ。
先が見えない(恐怖)から、この世で生物として存在しているのだ。
恐れの無い生物は存在できない。
無くなったら、この世にいる意味が無い。
肉体を持っている意味は、結構深いんだぜ。
そんな事は当たり前だろ。
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