alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

自分の道

2011年06月21日 | フランスへの道

 もうすぐ3ヶ月が経とうとしてて
もうすぐに 日本に発とうとしてるのだけど

 私何しに来たのかなあとか
どうしてパリだったのかなあとか
いろいろと思う処はあったけど

 今日今回の滞在ではじめて行った
モンパルナスのカフェに座って
私のブログを読んでくれていた日本人で
地震のあとで子供を連れてこっちにきた人とお話させてもらって

 やっぱり私は 女性に関して
女である そして母になってしまった
そんな自分が身をもって体験した経験の違いやら
違和感やら それからそれらを補う知識を獲得しながら
何かを書いていくべきなのかなあと
なんだかそんな気持になった。


 パリにきて ブログを書いている人は山ほどいるけど
彼女によれば私の視点はなんだかちょっと違うんだそうな
そういえば 京都のニュータウンにいたときに
ちょっと日常のものごとを違う視点から捕らえて
そんな視点の話ができたとき 私は本当に嬉しかったな
何が違って 何が違和感のもとなのかとか
じゃあ何がどうなったらもっと素敵になるのかだとか
私にはまだよくわからないけれど

 だけど彼女も言っていた。パリはやっぱり
日本にくらべて子育てしやすい。ここで出会った
もう一人の日本人ママも言っていたけど
ここはママになっても「ママだけ」の自分に
ならないですむ。例えお金がなくっても
例え子供を保育園に預けることも
乳母に預けることさえできなくっても
ここでは日本と同じ「ママとして子育てをしている自分」
であっても なんだか機会が開かれている。
それは社会的な インフォーマルパブリックプレイスや
インフォーマルパブリックライフで満ちているから
なのかもしれない。


 私はここで 3ヶ月 保育園にも預けられなかったし
ベビーシッターも たぶん全部で10回くらいしか
お願いできてなかっただろう それ以外は
仕事だって 子供を事務所に週に3回連れて行き
「わかったね?ここでは蓮太郎はねんねがお仕事!」と
言い聞かせ そうしてなんとか仕事をしていた
だから日本の状況に比べたら よっぽど大変だったわけだけど
それでも私には「ママと子供!」という閉ざされた
時間と関係だけでなく 人間らしく 大人らしく?
楽しめる機会が存在していた。例えお金がなくっても。


 例えばカフェのカウンターに息子と行ってみるとする。
カウンターからの眺めはなかなか素敵でエスプレッソは
美味しくて もう眠くてどうにもならない!という時には
とてもいい場所なんだけど 息子を足元でちょろちょろさせて
5分くらいちょっといい気分を堪能できて それで
会計は1ユーロ。それが私にはたまらなかった。

 それにパリの公園は もともとたぶん大人のために
つくられていて 緑や木陰が本当に気持いい。
しかもしょっちゅういろんな種類の花々が植え替えられていて
それをタダで眺めて匂いをかいで うーんなんだか
いい気分。私たちがいた5月はバラの最盛期で
事務所の隣の公園は本当にきれいだったし今はラベンダーが満開だ。


 昨日はビュット・ショーモンという公園で
イベントがあるらしいというので行ってみたら
なんと一番の高台から(この公園だけはパリでも
高低差がある、ちょっと丘とかがあって日本人には
ほっとする公園だと思う)ケーブルをつたって
一気に下まで滑りおりるというイベントを
やっていたのだけれど それも参加費無料で
誰でもそこに来た人なら参加可能というイベントだった。
街角でオペラを歌う人もいるし マルシェで
歌を歌う人もいるし 日仏交流会みたいなのに
きていた日本人の人はショパンを楽譜なしで弾いてくれるし
ここは才能の溢れる人が それを格安もしくは
タダで提供してくれたりすることが かなり頻繁にあるようで
そういう機会が道行く人にも開かれている
それが私にはとても嬉しいことだった。


 例え美術館に行けなくっても
ここにはギャラリーがいっぱいあって
オープンギャラリーイベントみたいなのも
通りすがりにやっていたから 酔っぱらったついでに
そこにも子連れで入ってみたりして そういう
社会の中で楽しめる機会に満ちている
それが私にはやっぱり嬉しい。
(不思議なことにタダでワインが飲める機会も
私には一杯あった)


 だから私は ここで子供と2人だったけど
それでもなんとかやってこれたのかなあ
ママだけど ママなだけじゃない! 私はずっと
そう思ってた いいママを演じようとするのはつらかった
でもパリにはあんまりいいママらしい人なんて
見かける機会もないようで(日本人ママを見ると
わーすごいなあ よくやれるよなあと
私は関心してしまうけど)まあいっか
ちょっと夜遊びしてみても まあいっか
ちょっと子供とカフェでご飯を食べてみたって
そんなことをしてみると なんだかまわりの人も優しく
蓮太郎もまた嬉しそうなのがなんだか不思議。


 私はもっと 本当は
自分をがんじがらめに縛ってきた
苦しい価値観から解放されたい
それがきっと 私だけでなく 誰かを少し
解放することにつながるのだろう
私が苦しいということで 声を発してみることで
苦しいことにも気づけなかった そんな人が
私だってほんとは泣きたかったと気がつくことがあるのだろう
ずっと我慢と思っていたけど その先に何があるのか
その先には何もないのか それとも穏やかな未来が待っているのか
私にはわからないけれど 私に道があるのなら
それはきっと もうすこしリベラルな方向に向かう道なのだろう


 今日は偶然にもその人と一緒にモンパルナスの墓地に行き
入ってすぐにボーボワールのお墓を見つけてお祈りできた。
私にも道ややるべきことがあるのだろうか
どうであれ なるべくちゃんと 書き続けよう。

フランスに行くなら

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