alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

子供といる幸せ

2010年03月11日 | 子どもから学ぶ
 東京と京都をいったり来たりしていると
京都に帰れば家事は山ほど待ってるし
親類縁者は誰もいないし 東京の友達ほどに
仲良くできる友達だっていないから
「あーあ!!」と思う事が多いけど

 東京の生活をいったん離れて
それはそれ と思ってしまえば
ここでの暮らしも悪くはなくて
東京のような刺激はないけど
なんだか身体が気持ちいい。


 ゆったり のんびり という程に
自分を休めてはいられないけど
(息子さんが突然泣くから
そして昼寝の時間に研究しないと
研究を続ける事が不可能だから、、)
ここにはゆっくりとした時間が流れて
街行くひとものんびりしてるし
犬の散歩の人はわんさかいるし
おばあちゃんたちはあたたかい目で
れんちゃんのことを見てくれる。


 あー子供がいて幸せだなあと思ったのは
れんちゃんといい時を過ごしている時であり
それってどんな時かというと
横浜で雪が降って自分の子供と
ソリで遊んでみた時だとか
追いかけっこをしてみたりとか
かくれんぼみたいなのをしてみたりとか
結局のところ きちんと関わる 
それが大切なんだなあ。


 旦那さんにれんちゃんを一泊二日で
みてもらったあと 彼は私にこう言った。
「蓮太郎はね すごくいい子だったよ。
そんな悪い子じゃないよ。こっちが
ちゃんと構っていたらちゃんといい子に
してくれるんだよ」そうなのかー!


 家に居る と れんちゃんが泣いてばかりで
大変で どうしてみんな一日中家にいるとか
できるのだろう?と思ってたけど
(その答えの一つにテレビがあるというのは
あるらしい 我が家にはテレビがないのだ)
家にいると 私は家事やらやりたいことにも
追われてしまって れんちゃんをあまり構わない。
一緒に積み木とかほとんどすることないしなー

 そんな時間は お客さんが家にきて
夕飯をつくってる間にみてもらったりするときで
そんな時彼は嬉しそうにやっているけど
私と家にいるときは 基本的には
「ちょっと一人で遊んどいて!」という感じ


 だけどちゃんと遊んであげると やっぱり笑顔の
質が違って あーこの子 お母さんのこと
大好きなんだなー!と嬉しくなる。
あの笑顔は 素晴らしい。

 私の場合はそうなるときは 家事の合間か
1日2回の外出で 外に行ったら
私ももう仕方がないのでだいぶ遊べるようになってきた。
昨日も工事を見に行って
今日はちょっとかけっこしたり(そしてバーン!と転んだ)
フリスビーを投げにいったり そういう時間は
なんだか楽しい。


 今日はれんちゃんをあそばせようと
近所のショッピングセンターの前の広場に行って
その間に私は缶コーヒーでも飲んでようかと
自販機でカフェオレを購入したら
彼は「チャッチャ チャッチャ!(お茶)」といいはじめ
「じゃあチャッチャ飲む人はあそこのお椅子に
座って!」といったら本当に座って
結局二人でカフェオレを半分こすることになる
(一歳児なのにいいんだろうか、、、 よくないですね)


 そうして二人で何もない広場の前で並んで座って
「ハポッポ!(鳩のこと)カーカ!(カラス)」
と言ってると あー なんだかここはイタリアみたいだ。
イタリアの広場も何もなくて ただカフェやレストランの
椅子があり 目の前を人々が行き交っていて
真ん中に鳥たちがやってきている、、、
なんだかそんな風に見えてしまって幸せだった。
れんちゃんはとても幸せそうにカフェオレを飲み
こうやって となりに座った自分の息子と
そういう時間を堪能している 「もっと?もうダメ!」
「ヤヤ!!(やだ)」とか言い合いながらも
そんな時間を過ごしてる それがとっても幸せだった。


 れんちゃんと 真央ちゃんの真似をしながら
クルクルしたり マイケルの真似をしながら
帽子かぶったり そういう時間が何だか楽しい。


 お母さんになるってことは 子供を愛すことでもあるけど
子供から無条件に 愛をもらうことでもあって
その愛といったら絶大だから 子供をたくさん生むほどに
それだけ自分が愛してもらえる それって幸せなんだろうなあと
なんだか思うようになる。


 子育てはとても大変だけど
大変さ は 代表とかの大変さととても似ていて
苦しい分だけ 得るものがある ハイリスクだけど
ハイリターンなものだと思う。自分の子供は本当にかわいい。
れんちゃんにつられて 私はどこかに行くだけだけど
そういう時間も いや本当は そういう時間が
お母さんがぽっかりしている そんな時間が
きっと一番二人にとって  大事な時間なのかもしれない。


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