alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

京都での濃い一日

2010年03月13日 |  カフェ的な場で考えたこと
 東京に行ったりする度 いいよなー東京は!!!と
うらやましがってしまうけど それですぐ
東京に帰りたい と思っちゃうけど
私一人がワクワクしても 旦那の仕事もあるわけで
彼は彼で 来年くらいからやっとやりたいことが
実現するかもと言い出してるから すぐに
東京に戻ろうというわけにもいかないわけであり
仕方がないので ここ 京都 で
どれくらい楽しく生きられるものかと思ってた。


 今日13日は京都でも面白そうなイベントが
バッテイングしてて 前から行きます!と
行っていたのがあったのだけど 一方で
「ふれあいの居場所普及サミット」というものもあり
そこではまちの縁側クニハウスの丹波さんや
以前に「日本型支援者養成会議」で話にきいた
新潟の「うちの実家」というとりくみを
している人の話がきけるというから
行きたいなあ!と思ってた。


 しかもその日は 私の行きつけの喫茶
けやきのおじさんも行くらしく
「君の分まで二人分聞いてくるよ!」と言ってはいたけど
いやー やっぱり 行ってみたい!ということで
こちらに参加させてもらうことにした。


 それなら一緒に車で行ったらいいわよと
奥さんに勧めてもらって 車に乗るまでの
一時間くらい 今日はカフェのお手伝い。
れんちゃんは早朝から旦那に預かってもらってたので
私ははじめてヨガやそのカフェに一人で行って
驚く事に一人でいると何でもできる!!
てきぱき動ける!なんだかパワーアップした気分♪


 というわけで何故かお店の前でお弁当を売る
担当になり 恥かしながらも大きな声で
「お弁当いかがですかー!」と売っていたら
嬉しい事に完売したのでお役御免。

 「よし!行くよ!」ということで
1時半の開演めがけておじさんは車を飛ばしてくれる。
「私の車はね ジェットコースターみたいって
いわれてるんですよ」と言っていたけど
どーいう意味?と思っていたら
駐車場をでた瞬間から加速がすごくて驚いた。
こ これ 同じ道、、、??!


 ある時は目が点になり ある時はどきどきし
だんだんと慣れていったけど 私が目にした
4回の黄信号は全て「加速で飛ばせ!」で驚いた。
でもそんなジェットコースターもなんだか
慣れると面白くって あー車に乗るのが
好きな人って こーいうことが面白いのかと
なんだか妙に納得がいく。


 そして我々はぴったり時間通りについて
サミットの話を聞いては私はとても感動し
あーやっぱり女の人ってすごい!と思い
主婦にもやっぱり力があるわ!と再び思い
(昨年夏に参加した「全国つどいの広場実践交流会」
でお話されていたWoman of the yearを受賞した
香川で母親支援をしてる方も もとは
旦那の転勤で見知らぬ土地で子育てをした
かなり孤独な専業主婦だったそうです)
やっぱりカフェだ 居場所なんだわと
再確認して きっと自分には何かするべき
大きな役割があるんじゃないかと勝手に認識したりした。


 それから今度はもともと行きたかった方の
イベントのあとの交流会に参加させてもらって
お会いしてみたかった我らがマイケルと
共に仕事をしていたというカレルさんという方に会い
なーんかいろいろ聞いてみたいけど
無理そうかなあ まあいっか、、、と思っていたら
たまたま場が切れたあとに席がとなりになって
目配せをしてるだけじゃしょうがないので
「どうして日本に住んでるんですか?」と
きいてみた ら そこから深い会話がはじまった。


 私の英語はあまりにたどたどしかったから
ここにはうまく書けないけれど カレルさんは
まさに今私が興味を持っている事に対する
答えを話してくれて 彼の口からも私が今朝
書いてしまった「教育は支配なんだ」という言葉も
出てきたし 私たちがとらわれていて
でもそのことに気がついていないマトリックスに
いかに気づくかが大切なんだと言っていた。
カフェや自由 感情を大事にするという事は
「時々 それもあればいい」というものではなくて
「支配」の側に 相対立してこそ
存在するというものでもなくて
今のこの私たちのとらわれている考え方が
なくなって も 人間はきちんと生きていける
自由であっても 大丈夫なのだと言っていた。
(たどたどしかったのでうまく言えないけど
かなりピンとはきたのです)


 そっかー ほんとかなー
そうなったらいいなとおもうけど
ほんとにそんなことできるのかなー

 と 思ってた事を カレルさんは
「できるんだよ!」と言っていて
私はなんだか嬉しくなった。
人が本来生まれ持ってる可能性
それをより発揮していける社会というもの
それがあってもいいじゃないか
歴史上 人々は支配されてきたけれど
私たちが今 支配されてしまってるのは
「誰か」の意図的な支配ではなく
私たちが気づかないでとらわれ続け
再生産してるシステムなのかもしれないな
(それをカレルさんはマトリックスとよんだのだろうか)


 もう少し 英語がうまくなったなら
もうちょっと まともに自分の意見を表明できたなら
もっと彼と話がしたい。日本には可能性があると思って
彼は日本に移り住むことにしたらしい。
そんな彼に日本をはじめて見せたのはあのマイケルなんだって!
そしてマイケルが大好きな私はカレルさんに日本の可能性の
話をちょっと聞いて それだけでワクワクしたりしたわけで
だってマイケルは自伝の序文に日本のよさについても
書いててくれているんだもん


 日本は本当に変わり始めてる
たくさんの素晴らしい動きがおこりはじめてる
今日のサミットでは「みなさんが本来もっている
やさしさをもっと素直にだしてみたらどうでしょう?」という
ことばがあった。本来持ってる優しさや愛情や遊ぶ楽しさ
れんちゃんが私に教えてくれた沢山の 私が忘れてしまってたこと
大切な きらきら光っているものを これ以上
台無しに おしつぶしてしまうのではなく
より魅力を発揮させて 他の人たちも幸せにしていくように
そんな社会になっていける 日本が見本になったらいい。

卒業

2010年03月13日 |  カフェ的な場で考えたこと
 今朝何気なくラジオをつけたら
尾崎の「卒業」が流れてて
あー懐かしいなあ 友達が歌っていたなあ
さてどんな歌だっけ と聴いてみる と
なんだかかなり激しい歌だ。


 これは中学を卒業する歌なのだろうか
高校なのかはわからないけど どうも
中学っぽい気がしてて 昨日は旦那の
中学の卒業式で 校区に住んでる私はいつも
学校帰りにたむろしている彼らを目にして
一人の主婦の視点としては
「そんなとこたむろすんなよー」と
なんとなくやな感じ と 思ってしまう。


 けれども旦那にいわせると 彼は意外と
理解があるのか 「そういう時間も大事なんだ」
ということで 中学生たちは基本的には学校で
授業を受けて そのあとは部活があって
友達としっかり話をする時間なんて休み時間や
放課後の(塾に行くまでの?)ちょっとした
時間しかないらしい。


 そうかー 大事な時間なんだな
そういえばサードプレイスの話でもオルデンバーグは
「アメリカの近代の都市開発者たちはあえて
そういったたまり場になるスペースを消していったけれど
それは間違いだ!!」と言っていた。
なんでたまり場を消したんだろう?と思っていたけど
主婦モードの私のように「なーにあいつら、、
何だか怪しい」と不審な目で
見てしまう人が多かったからなのだろう。


 だけどそんなこと言ってちゃいけない
なにせ私は「カフェ文化研究家」なのだから、、、
とちょっと反省。


 最近は子供の遊び 教育 そしてカフェについて考えていて
先日吉野に言った際に 「大人の遊びや学び」について研究
している先生方に話を聞いてみたのだけれど
そのとき何かがわかった気がした。
先生達は カフェを面白がってくれてはいたけど
教育とカフェって かなり別な存在で
場合によっては 相対立するものかもしれない
だから教育をカフェにしようというのは
間違ってはいないのかもしれないけれど
かなりおかしな考えなんだなあと思った。


 何故なら教育は支配だからだ!基本的には、、、


 先生は「教育工学というのはある到達点に
達するために いかに効率的にそれを実現するかを考える事」と
言っていた(と思う) そして教育とはある国家の思想の
おしつけで(これは私の考えだけど)結局は
国に役立つ人々を育成するために教育が提供さてれるわけで
それは上の人たちがいかに庶民を支配するかという形の
あらわれでもあるわけだ。


 と すると 「なんで学校なんていかなきゃいけないんだ!
なんなんだこの校則は!先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか?」
といわれても 尾崎が歌っているように 「支配のルール」に
のっとるための教育ならば 先生達は「イエス」というしか
ないのかも。


 教育 は 変わろうとしているのかなあと思っていたから
面白そうな気がしてたけど 実際のところどうなんだろう?
まだ変わらない 今ある近所の中学校では 家出もあれば
学校への不法侵入事件もあったりするわけで
「なんでそんなことするんだ!」と問われてみたら
尾崎ほど強い思いを持った子なんて もういないのかも
しれないけれど そういう思いもあるわけで
子供が子供心を持って 大切なものを大事にしたくて
そのまま大人になろうとしたら 「支配のルール」に
ぶつかって かれらは怒り なげき わめいているしかないわけで
「反抗」はするけれど 結局怒られ親も呼び出されて
飼いならされていく訳で そう 飼いならされて
やがて沢山のことをけろっと忘れて大人になってく
なんだかそんな気がしませんか?


 それっていったいどうなのかなあ


 そんな時に THEたまり場 の サードプレイスのカフェ
というのは 格好の反抗の場になるわけだ。
そう考えるとカフェと公のルールの場は
かなり対立項な気がするな。


 反抗は悪いことなのか
大人になると 子供のときに
何を思っていたかどんどん忘れていくけれど
子供の心を持ったまま で 大人になるのは
そんなにいけないことなのだろうか
カフェに集った「天才」たちは
結局のところ そんな社会と相容れなくて
子供心を大切にしてた人たちで
「まじめくさった大人」の一人になるくらいなら
精神病にかかった方がましだというくらいの人たちだった


 「そんなのはくそくらえなんだ!」
尾崎もくそくらえといっていて
そういう言葉が懐かしかった。
ベビーカーをひいて団地を通ると
私は社会維持側の主婦の一人になってしまうけど
私のしている研究は 実はもっと激しいような
実はかなり 危険なような
でもそこに 醍醐味が見え隠れしているような
なんだかそんな気がしはじめた。

 もう一度シュールレアリスムを勉強しよう!



フランスに行くなら

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