alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

ファーストプレイスの大切な時期

2010年03月24日 | 子育て
相も変わらず 3月も末頃になり 身近な人が
これでもか またこれでもか!というほどに
「うちも保育園いくことになってなー」という
言葉を発し ああ、、、とため息がもれる一方で
批判的な気にもなるけど
「3歳児神話も完全崩壊!」な潮流の今
保育園組にもれてしまった 母達の気持ちはもどかしい。


 そんなさー そんなちっちゃいのに もう
保育園にいれていいわけ??と思うけど
1歳になるまで育て終わって よくわかるけど
1歳になるまでって本当に大変で 子供はまだ
自分の足でしっかりとは立てないし
何をするにも親が必要で 親はひたすら
子供の召使いみたいな状態になるだけで
教育なんて どころじゃなくって 親はヘトヘトになるだけで
だけどその動物としてとても未熟な1歳を過ぎてきてから
大変だけども醍醐味だってあるのだろうに
それを途中でやめてしまう。


 それ知らなくっていいのかなー?と思うんだけど
私だってさ 横浜で預けたことは何度もあるけど
「保育園組のお母さん!大丈夫。
コミュニケーションは量より質です!」といわれても
帰ってからのたった何時間かのコミュニケーションでなんて
「お母さん」にとってみたら そりゃあ大事で
息抜きできて あー子供がいてよかった この笑顔ったらないわと
思える瞬間だけど だけど子育てごっこをしているみたいだと
私はとても恐ろしくなった。だってなんてうそくさい!!
うそくさい と 思いませんか?
私はそう実感したけど。。朝から晩まで外に出ていて
何事もなかったかのように独身の人や男性たちと働いて
それで帰って いきなりママのように振る舞ってるけど
ママ というより 同居しているおばさんだったり
兄弟に近いような だって外にでて「私も子育てしてて、、、」って
言うけれど 私の場合は 外にでるのは ちょっとだけで
たいていは子育てしてるから 自信をもって(?)そういえるけど
例えば私みたいな人が 日中も自分の仕事をしてて
夜や休日も仕事関係の集まりがあって そんなところで
子育てについて語っていても うそくさいと思いませんか?
誰がいつ 子育てしてるんじゃ?とその子を預かっている
側からしたらいいたくなると思いませんか


 「だけどね 美樹の場合は仕事じゃなくって
お茶するために預かってもらってるだけでしょ?」と
言われたこともあるけど だけどさ 本当に仕方ない人も
そりゃあいるけど 保育園に子供を預けて 平日に
ヨガに通って 保育園の話をしている人もいる。
私なんかからしてみたら はあー?優雅で結構ですこと!と思ったけれど
(私はその時京都ではヨガの時間以外れんちゃんと
離れたことがなく とてもストレスフルだった)

 実家の近くで 生まれ育った場所で暮らしながらも
友達だって みんなそこにいる人なのにもかかわらず
私と同じようにため息をつき「本当に毎日大変よね!!もう!」と
いう人なんて あとをたたない。
そうしてみんな 話はじめる。「保育園に預けたいなあ、、、」

 
 そこで誰も 反対意見を言わないのかなと思うけど
たとえばそれが旦那だったら「そうだよなあ
子供もかわいいけどお前の人生も大切だよな
それにそんな辛そうな顔ばっかりされてたら俺だってしんどいよ
うちもそんなに裕福じゃないし、、、 保育園に預けて働いてみたら?」
となるのだろう。


 ではおばあちゃんは?おばあちゃんは一歳で預けることに
反対しないの!?と思うけど

 昔自分も早くから保育園に預けてた人はだいたいこういう。
「偉いわねー!子育ては大変でしょう!
保育園に預けちゃえばいいじゃない?どうして預けないの?」
(けっこうWhy not?という感じでいわれる)

 一方で そんなに早く預けるのはちょっと、、、と
思っている人たちは若い女性に一発で反対されるのだろう。
「そうねえ でももうちょっと大きくなるまでみてみたら?
3歳までが一番大変だけと一番かわいいのよ!」
「そうですねえ、、、 でもうちもお金がないんです
私もちょっと働かないと、、、」
「そう、、、 じゃあ仕方ないわねえ」


 お金ないんです って どれくらいあれば足りるのだろう?
私に言われたくないかもだけど 女の欲望は本当に
きりがなくって 私はここで 子育てのストレスだとか
自分だってやりたいことが!と書いてきたけど
それに対して「まったくこいつは!」と思う人もいるだろうけど
世の中の女性たちは けっこうどっこいどっこいどころか
私が驚くくらいの人たちだっているんです。

 だって考えてもみてください!誰が母になると思います?
あなたの隣にいる その女の子達ですよ?!
飲み会で隣に座ってる 電車で隣に座ってる
もしくは自分の家に一緒に住んでる その子がある日
母になるだけなんです。子供をうみおとしただけ で
何もかもなんて変わらないから だから今から
考えておく必要だってあると思って書いているんです
本当にそれでいいのかって
産んでからじゃ遅いんです。だって彼女達は
「取り残された!!」と思い始めて
ひたすら働くことを夢見るように なるのだから、、
(そして私は脱落者)


 こんな気持ちを 誰もわかってくれそうになんかなかったから
唯一わかってくれるかもしれなさそうな
旦那のおかあさんに電話をしたら 案の上彼女は
のってきてくれて 「昔はねー 女の人も働いてるって
いってもね よべば来てくれるくらいのところで働いてたのよ」とか
「私たちの時代(30年前)は、タイル工場の近くにいたから
女の人たちも働いてたけど 保育所にいれるのは普通は3歳からだった」
「それ以前にいれるのは相当貧しい家だけだった」と言っていた。

 「なんで3歳まではお母さんがみるんですか?」と聞いてみる と
「必ずしも母親でなくてもいいけど 3歳まではマンツーマンの
コミュニケーションが必要なのよ!」とのことだった。
情緒面でしっかりとした根っこをつくっておくことで
あとがしっかり育っていくようになるんだそうな。
自分のことをしっかりとわかってくれる人がいる
いつでも帰れる場所がある 自分はしっかり愛されている
いるだけで それでいいんだと思えるような そんな
安心感って とっても必要なんだと思う。


 なんでこんなに 今になって「居場所居場所!!」と
叫ばれてるのかわからないけど そこまで
強く叫ばれてみると そんなに居場所がないのかよー!と
こっちが叫びたくなってくる。家庭は?第一の居場所の家庭は?
いったいどうなってるんだろう?
家庭は?家庭教育は?そんなのあるわけないじゃんか
崩壊してて当たり前だよ と私は言いたくなるけれど

 家庭にも 地域にも 人がいなくて 家だけは沢山あるのに
その家のために みんな一生かけて働いてるのに
その家の中は空っぽで 美しいインテリアだけは存在するけど
子供も大人もみーんないなくて
彼らは別のハコの中。なんだか変な話だな


 第二の場所だけが重要になり 家庭をみんな飛び出して
朝早くから 親は職場に 子供は保育園と学校にいく
だけど第二の場所というのは 規律が厳しく
自分の望む ほっとするものや安心感は与えてくれない
そんなの定説だと思うけど


 だから「居場所」を求めてる。
サードプレイスもいいけどさ 家庭や地域社会があっての
サードプレイスなんじゃないのかな?
家庭でやるべきだったこと をみんな外注しだしたら
いくらお金を稼いでみたって 足りるわけなんかないというのに
より一層 お金がかかる そんなスパイラルになっていくのに
そしてそれを止められるのは きっと一番初期値の大事な
自分が子供を育て始めて そしてどう振る舞っていくかの時期なのに


 だあれもそれを教えてくれない
そしてみんなは不安にかられて
今 手元にあるお金を少し増やそうとして
ひきかえせない けっこう大きな決断をする。
でもそれが 将来のその家にとって どんな結果になるのかなんて
誰もわからないわけであり その選択に
どれほどの意味があるのかも その時点ではわからない。
だから私みたいに「あの人が働くんなら私も働こうかな」だとか
「先をこされた!!くそー私だって!」とか
そんな馬鹿みたいな気持ちで保育園に走っていくと
短期的にはいいのだろうけど どこかでしっぺがえしがくるのだろう
だってそこには ポリシーなんて全然ないから。


 何もかも 外注してく 何もかもが分業になる。
「世の中には子育てが得意なひとがいるからいいではないか?」
「お互いがそれをいかしあえばいいのではないか?」
そう 僕の国はワインを生産することにするから
君の国では工業製品をつくってくれたまえ
そして分業が 貿易がはじまったけど 効用は高そうにみえたのだけど
その裏には疎外があった やってもやっても
なんだか違う なにかが欠けてる お金をたくさん払っても
何かが欠けてる気になってしまう それは一体何だろう?
おそらく手間や愛ではないか?


 世の中に は 交換可能なものもある
だけど交換を続けることで 気づかずに失っていくものもある
母親という存在は 子供にとって 交換可能じゃないと思う。
そう考えると 本当は その家族とか 子供とか
はたまたその後の教育にとってさえ 
子供がまだ小さいうちに ちょっとのお金を稼ぐために
保育園に預けるという選択は 不安にかられた母親や
強気な娘にいいかえせないおばあちゃんや
「なんで私ばっかり!」と愚痴をもらしてる奥さんに
優しいことばをかけてみるしかない旦那さんが考えてるより
もっともっと 深い意味をもっているのかもしれない。


 誰もそんなこと議論しないし
誰も本音を言わないけれど
みんなおかあさんに同情しているふりをするけど
本当にそれでいいのだろうか?
私にはまだわからない。我が子はまだ2歳にもなっていないから
だけど私は 朝から夜までのこの子と一緒のコミュニケーションは
「質で解決すればいい」なんて そんな言い方をされてしまうと
かなりムッとしてしまう。
かけがえのない時は もう二度と帰ってこない
少なくとも 私にとって れんちゃんの笑顔は重要で
れんちゃんにとってもママは大切
それだけが今の私にある答え。


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