alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

母親という存在

2010年03月18日 | 子育て
 昨日ブログに書いた事を考えながら
今日一日れんちゃんと一緒に過ごしてて
やっぱりれんちゃんは沢山の時間に
私に甘え 膝の上にだっこされてご飯を食べたり
いっしょにじゃれあって遊んだり
抱っこ 抱っこ!といってきたり
雨の降る中おんぶをしながら
色んな言葉の発音練習をしたりして


 やっぱりなー まだお母さんが必要なんだよなー
と改めて認識したりする。
だって 甘えたがってるもん。
甘えたいとき 必要なとき そこにお母さんが
いるということ そのとき見せる彼の笑顔は
とってもよくて本当に幸せそうだ。


 「お母さんだってお母さんであるまえに
一人の人間なんだ」と自由な女は思うけど(もちろん私も)
でも子供にとってはお母さんはお母さんという
絶対的な存在で まだ独身だったとき
道ばたでお母さんに抱っこされてる子供をみかけて
なんだかお母さんはとまり木みたいだと思ってしまったことがある。

 だけど子供をうんでみて 実際お母さんは
子供にとってとまり木にすぎない存在なのかもと思う事が
けっこうあって なんというか そこにいて当たり前 で
自分が実は重いとか 実は抱っこはしんどいんだとか
そんなことは子供は考えた事もなくって
親というのは絶対的にそこにあり
自分が望んだときにはすぐ来てくれる そんな存在なんじゃないかと
沢山の子達をみてて思う。
お母さんは いて当たり前 構ってくれて当たり前
お腹がへったらご飯をつくってくれて当たり前
お母さんの都合なんて僕にとってはおかまいなしさ
だってお母さんだから!! そんな感じに思えてしまう。


 そんなこと言われたって!と一人の個人としては思うけど
私自身も自分の母をそんな風に思ってて
母というのは魔法使いのような存在だった。
自分が布団をかぶってこっそりと泣いているとき
いつも母はそおっとドアをあけて様子を見に来てくれた。
どうしてお母さんはわかるんだろう?それが不思議で仕方なかった。
怖くて眠れない夜は 勇気を出して母の布団を
たずねていったら一緒に眠らせてもらえたりした。
今だって 私が本当に落ち込んだとき 電話をすると
何も言わなくっても母は「どうしたの?何かあったの?」と
いってくれ 超能力者のような気がする
(歯磨きをしながらしゃべっても理解してくれるけど
旦那は全くわかってくれない)


 そんな風に お母さんは自分の意志を全部わかっちゃう
そんな存在でいてほしい 言わなくってもわかってしまう
ツーカーな存在でいてほしい 子供ってお母さんに
そんな期待を抱くものではないのかな。
子供とずっと接しているお母さんは 他人や父親からみたら
まるで魔法使いのように 子供の話す 意味の通じなさそうな
単語で言葉を理解して だから旦那に「れんちゃんの
言ってる事 翻訳してよ」といわれたときに
私はなんだかうれしくなった。
子供とずっと接していたら それはわかってくるもので
母性本能だからとか 母親だからというわけではなく
それは接した時間の問題で 子供は自分を理解して
自分とちゃんと遊んでくれる そんな人を好きになるらしい。


 フランスのキャリアウーマンが書いた『スーパーウーマンは
こんなに大変』を読んでると 子供2人に「お母さんと
シッターさんとどっちが好き?」ときいてみる と
「シッターの方!!」と喜んで答えられてへこんでしまうと
書かれてたけど シッターの方にいわせたら
そりゃそうだろう 私が子育てもして家事してるんだと
言えるものならいいたいことだろう。
(ちなみに「子育て先進国」フランスでは小さい子供は
保育園の集団保育よりもベビーシッターをつけるという方が
主流らしいです。それで彼女達が家事もしてくれてるから
母親は働いていても教育熱心でスキンシップの時間も
ちゃんととれるのでは、、、?日本とは実はだいぶ事情が違いそう)


 3歳までの小さな子供にとっては母親でなかったとしても
誰か一人の人物が その子にきちんと寄り添っている
それがどうやら大切らしい。だから乳母でもシッターさんでも
おばあちゃんでもいいのだけれど 保育園の先生は
0歳児でも先生一人で3人をみてる状況で
それっていったい どうなのかなあ?
もちろん先生達は できる限りの努力をしてくれているわけだけど。


 私が見学にいった保育園の園長先生は
しょっぱなにこう言っていた。「どうしても経済的な状況で
働かないといけないのであれば仕方がありません。
でも小さいうちから保育園にいれることは正直
あまりいいものではありません。保育園では
子供達は疲れてしまいます。それに私はこれまで
何人も入院する子をみてきました。
それでもどうしても経済的に仕方ないのであれば、、、」


 はっきりいって見学にきた私たちは 「どうしても経済的に
仕方ない」という程じゃなかった。「もう少し
自由になるお金がほしいよね 月にあと3万円くらい
あったらいいね!」そんなところで同意していた。
そしてその時一緒にいた友達は 子供を預けて
アルバイトをしはじめることになったのだけど


 なんであのとき 一番はじめに 園長先生は
そう言っていたのだろう と 彼女が働くようになって
わかったことは それまでは雨の日なんて
ほとんど外に出なかった専業主婦の彼女でも
雨だろうが雪だろうが吹雪だろうが 仕事には
いかなきゃいけなくなったわけ で
子供もその中で連れ出され 保育園に行く訳だ。
それで一ヶ月もたたないうちに彼女の子供は
熱を出したり風邪をひいたりしたらしいけど
そうなったところで仕事は休めるわけじゃないから
それでも彼女は連れて行く。

 そして子供は集団がいる小さな部屋で
しんどくっても過ごすわけ で
そのうち誰かに簡単にうつる。
そしてうつり うつされの繰り返し。
だってそうだ 子供が調子悪いときなんて
一週間くらいぐずぐずするのに
いちいち仕事は休めない。
だから無理を承知で連れて行き
あとで先生から電話がかかって
「戻ってきてください!!」と言われることになる。

 それで?どうするのかというと、、、
そのあと病院にいくんだそうな
病院にいったら熱ってなおるの??
解熱剤を飲ませればいいの?
なんだかそんな話をきいてると
どうして保育園が予防接種必須なのかがよくわかる。
そしてどうして園長先生が「どうしても仕方なければ、、」と
言ったのか が よくわかる。

 子供は楽しいことももちろんあるけど
一度しんどくなったとき に
ちゃんと面倒もみれなかったら 深刻になってしまうこともある。
そんな時 に お母さん!!と思っているとき
しんどいときに お母さんがいなかったなら
今の私だって嫌だと思うけど、、、

 子供は元気な時だけじゃない
調子の悪いときもある 機嫌の悪いときもある
すごく甘えたいときもある し 友達と遊びたいときもある
言う事をきいてもいいとき 聞きたくないとき
一人がいいとき お母さんと一緒がいいとき
いろんな気分が共存していて 一面だけでは全然ない。

 お母さん!!と叫びたいとき とっても苦しい時もある。
そんな時に そばにいれない その時に
自分がいったいどう思えるか だからあの先生は
「本当に経済的な理由なら」と言ったのだろう
そして保育園というものは そんなにいいものではないけれど
そういった理由で仕方なく預かってもらわなければならない人たちのために
設立されたものであり 「私が私であるために」とか
「ちょっとは自由になりたいから」という 
そんな人のためのものではないのだろう


 保育園待機児童もいいけれど
もっと他の選択肢だって 考えてみたらいいのにな
私が私でありたいのなら ベビーシッターや
一時保育を もっともっと充実させたら
それだけで待機児童はぐんと減る と 私は思う
保育園は 3歳すぎて 元気になったらいいとこだけど
まだ弱っちい 1歳児や0歳児にも 本当にいいのだろうか
しんどいのなら もっと他の人の手を
一対一で 借りる事はできないのかな
本当に経済的な理由というけど
お金もないのに 6人の子を育て上げた
高森家は お金がなくても子供は育つ
そんな実例だと思うのだけど


 結局のところ 私たち は
たくさんの不安にかこまれて 強迫観念を抱いてて
それだけのことかもしれない
お金がないと結婚できない
お金がないと教育できない
お金がないと子供をうめない
会社で働いてないと社会の一員ではないんじゃないか
子育てなんて意味のない再生産なんじゃないだろうか
自己実現したと思った 私は彼方に去ってしまった


 本当に そうなのだろうか?


 もっと沢山の人の意見を聞いて
もっと沢山の人の生きてる姿をそばで見てたら
こんな強迫観念なんて 消えてしまうかもしれないの に
密室で育児をしながら 頭でたくさんのことにとらわれ
2歳になったら 3歳になったら 子供が
どんな風に変化するかも 何もかもしらないままで
社会から 取り残された その焦りだけが一人歩きする
焦り 不安 強迫観念 そんなものたちに支配されてる?
それらはどこから来たのだろう

 「保育園に子供を預けて自分はもとの人生にすかさず戻る」
それが女達の主流な生き方になっているけど
それだけ じゃ ないんじゃないか
もっと違う 子育てと 自己実現を
自分の使命に向き合うことも できるんじゃないかと思うのだけど
保育園が適している働き方の人もいるけど
それだけが答えなわけじゃない。
答えを探そうとしたときに 違う答えもあるんじゃないか
私は私の子供とともに 第三の道を探りたい。


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