alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

負け犬の遠吠え

2010年03月17日 | 子育ての苦しさ
 今日は近所で開催されてる「ママのホッとサロン」という
イベントにれんちゃんと行き 最近仲良くさせてもらってる
おばさんたちも今日はそこに来ているはずで
どんなかなーと思っていたら 会自体はよかったのだけど
個人的にショックな出来事が待っていた。


 「今年度ももう最後ですからね。一年間やってきましたけど
どうでしたか?年度末だからこれがもう最後という人もいるでしょう
どれくらいいはりますかー?ちょっと手をあげてみてください」


 主催者のおばさんの声にあわせて 手をあげる人
あーあの人 保育園にいくんだってきいてたな、
と思っていたら あれ あれ あれ!?
あの人もこの人も!!えーこんなにごっそり抜けちゃうの!!?


 私の住んでる西京区 は かなり待機児童がたくさんいる区で
(京都で一番のファミリー世帯が住む区なのだ)保育園の
見学に行ってはみたものの 「ほとんど空きはありません」という
状況で れんちゃんの年の子は 入れても2人くらいと
いわれてたのに えー!!! まさか!!あの人まで!
ついこの間 一緒に遊んでいたというのに
きいてないよー!!!


 無理だと思ってあきらめて 申請書を出さないでいた
私ともう一人のお母さんは 児童館から帰るときに
こう言っていた。「なんか置いてきぼりになった気分、、、」
「なんていうか、、、 ショックだよね、、」
先日仲の良かった友達が働き始めたばかりで
それもあまりに急だったから ようやっとその
傷を癒せそうになってきたところだったというのに
なんだかとっても形容しがたい気持ちになった。
(みんな勉強してないっていっていたのに
自分だけテストの点が悪かったような気分 わかります?)



 そーなんだー みんな一歳で それ以下で 
もう預けちゃうんだ、、、 そして新しい
「保育園ママ」たちは仲よさげにメールアドレスを交換しあう。
なんだかいいよなー 「先を越された感じだよねー」


 主婦になった女性達は 友人が第二子を妊娠したと知ったときや
知人が家を購入したとき 同じような なんとも言えない
ショックを受けると聞いたけど 保育園と働きだすのも
そんな気持ちになるんだなー


 だけどさー いいのか一歳で!!?と思うけど
「3歳児神話」で検索してみると とくに発達に違いなんてないんだそうな
それにさ 両親が働いてたら 教育費だってかけられるから
いい大学にいける可能性も高くなる訳で
現に私の知ってる 0歳児から保育園に入っていた
人たちは みんないい大学に行っている。


 でもさー 母親は 母親はどうなの?
「本当に経済的理由であったら仕方ない」というのはよくわかるけど
たくさんのママと接しているから言うけど たいていのママたちは
「ストレスになるから保育園にいれたい」と言っていて
現に入れた人たちは「育児休暇のときが一番ストレスだった」とか
平気な顔していったりもする。そりゃさー だってさ
朝の8時から夜6時まで 預かってもらったら
そりゃ ほとんど子育てしてないじゃん!!と
私はいいたくなるのだけれど
大変だとはいったところで 子育て自体の関わりだったり
ストレスは 預かった人が感じているわけで
すました顔して「仕事と子育ての両立」なんて
決して言えないんじゃないか と私は思ってしまうけど、、、


 ま 負け犬の遠吠えなんだと言われてしまえばその通り


 なんだか私は 就職活動をして まわりの人が
大企業に内定をとっているのに自分はいっこうに
落ちてばっかりな そんな気分。


 だけどそんな時私を助けてくれていたのは
『知識人とは何か』であって 今の私が思うのは
そりゃね ボーヴォワールは子育てを馬鹿にしてたし
女性も男性同様戦ってなんぼだと思っていたし
その思想が圧勝したわけだけど
それってなんか とてもヨーロッパ的というか
「子供は邪魔者」な発想で
でも日本には かつて外国人から「子供の楽園」と
称されていた日本には もっと大人も子供も老人も
いっしょに楽しくゆったり生きていけてた
そんな何かがあったんじゃないかと思うのだけど、、、


 子供を邪魔者にしていたら それで独身のころのように
黒いスーツの男性たちの中み混じって ひたすら
働いたりしていても もちろんお金は稼げるけれども
社会はあんまり変わらない と私は思ったりするのだけれど
「そりゃそうよ 社会を帰るために働くんじゃないのよ!」と
言われて終わりなのだろうけど 社会をもっと良くするためには
もっとたくさんの人や生物達も生きやすい社会にするには
これまでのように たいして必要でもないものを
必要そうにみせかけて 無理矢理売ってく そんなことを
続けていくのでいいのだろうか?
多様性というのなら(別にママたちはそんなこと言ってないけど)
多様性を共存させて お互いが本当に生きやすい
そんな場をつくっていかなくていいのだろうか?


 私のまわりのママたちは 「子育てばっかりなのがストレスだった」
「社会と関わりをもちたかった」「社会から切り離された感じ」
ということを たぶん一番重視していて
「やっぱり働いた方が」「お金もちょっとは手に入る し
それによって 自分の時間もちょっとは手にすることができる」と
言っていて どうしてもお金が必要でせっぱつまってというよりも
むしろ「自分が自分でありたい!」という 自己同一性を保つため に
働く事にする訳だ。


 それはものすごーくよくわかる し 私だって
中原先生に出会う前は 本当にそんな気持ちでいたけど
ここまで これほど 子育てがただの「ストレス」という
言説で 語られるだけでいいのだろうか?
誰かもっと 「子育ては大変なこともあるけど
自分がものすごく成長するの」とか「子供といる時間は
それまでは存在さえもしてなかったけど
人生の次のステージにいくにあたって 本当に
大事な時間になる」とか 母になった人にとって
子育てがもっとプラスなはずじゃないかと
どうして言ってくれないのだろう?


 こんなにも 根源的な営みなのなら
きっとストレスなだけじゃない。
ストレスは 社会的 精神的に生み出されてる。
今までの人生との比較とか 今日の私のように
働いている人との比較とか だけど だれか
「子供は宝だ」「社会の宝だ」と
だからみんなで育てようとか
もっと言ってはくれないかなあ?


 あまりにも母達は 母になった女達は
とらわれすぎているようで 私自身もそうだけど
子育てをして そのあと自分がどうなっていくか
想像もつかずに怖じ気づいてる。
戻りたい 怖い こんなんじゃいやだ!
いつまでこれが続くんだろう
時間を無駄にしている感じ、、、
そんなマイナスな感情は 非常に今の時代と相反してて
だから母達は必死になって 乳飲み子をかかえて
保育園を見学にいく。


 でも それで いいのかな??


 このままじゃ 0歳児から 80代のおばあちゃんまで
保育園やら介護施設やら 「施設」が人をみる時代になるけど
そこには本当の地域での交流や行き来なんかが欠けていて
働き盛りの人たちは 地域のことは見向きする余裕さえなく
朝から電車で働きにいく。社会には2つの種類が存在している。
「会社」中心の「社会」とほっぽりだされた「地域社会」。
かつて人は 地域で生きていたんじゃないのかな
こんなに社会が二分され 地域社会で生きてる人が
置いてきぼりをくらったような そんな気持ちになっているのは
とても最近な気がしてて それってなんだかおかしいような
そんな気がするわけだけど


 マトリックスは 人々に無意識に複製されてく
でもそれで本当にいいのだろうか?
まずはそれがマトリックスだと気がついて 
指をさしてみることなんだって。
子供を産んだ女性たちが「何か」を再び手にするために
「保育園に預けて働きたい!!」と思うのは
大学3年生が必死になって大企業に就活している
そんな状況に 似ているように思うのだけど
それはマトリックスじゃあないのかな?
自分の人生も子供の人生も
何のためにうまれてきたのか
子育ても就活もそれをもう一度よく考える
いい機会になっているとは思うのだけど、、、




フランスに行くなら

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