![押し寄せる白波のきれいな「国府白浜」~ 2018.8.26 撮影 押し寄せる白波のきれいな「国府白浜」~ 2018.8.26 撮影](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/b0/d65236c435e4aee89e5ba0a4d23fd449.jpg)
今年の夏は、7月から8月にかけて猛暑日の連続で、8月最後の31日まで体に応える程の暑さに見舞われた。 夏バテと熱中症を避ける為に、夕方までは外出を控えた日々が多く、お盆前に参墓用のシキビ(シキミ)と榊を切りに度会の林道へ行ったぐらいである。
例年のように、何度も川歩きや志摩の海に行く事はなかった。
台風の影響で、涼しい日があったのはお盆明けの17日からの数日間で、朝から秋風のような西寄り~北寄りの冷やりとした肌寒さを覚えるような涼風が吹いていたものの、日が昇るに連れて真夏の青空と灼熱の太陽の熱射が暑さを呼び戻し、夏と秋が同居したような日々は下旬までは続かなかった。
台風一過の下旬半ばには、又暑さが倍増したかのようにぶり返し、このままでは今夏は川へも海へも行けずじまいに終わるのかと、焦燥感に見舞われたので、8月最後の日曜日の26日になって、朝から猛暑を押し切って志摩の海に出かけた。
別に目的はなかったが、夏になると毎年ドライブがてら遊びに行っていたので、志摩の海を見なくては、ひと夏を終えられないような気持ちもあった。
まず最初は、安乗の海岸まで直行した。 自宅から約45分で10時過ぎに着いた。 灯台にまでは行かず、安乗漁港のある的矢湾とは反対側の外海に面する海岸を少し歩いた。 ゴム草履が砂に食い込む度に、昼前だと言うのに熱砂の熱さが容赦なく足首にまて伝播し、夏の海辺を体感させた。 この浜には親子連れの行楽客が複数いた。
次に国府白浜に立ち寄った。 8月最後の日曜日とあって、ここもサーファーを含め、かなりの海水浴や肌焼きをしているの若者らがひしめきあっていた。 阿児の松原へと続く、寄せ波のきれいな弧状の海岸を暫し見渡しただけで、甲賀の城の崎へと車を走らせた。
甲賀漁港を仕切る防波堤下の突端の海岸は、大潮の引き潮時とあって岩礁がむき出しになっていたが、ここにも家族連れの行楽客と思われる人々が、遊びがてら磯ものを採集していた。 引き潮時の城の崎は、砂浜が無く、テチラポットもむき出しになり、満ち潮時の雄大な寄せ波の海景とは打って変って、意外と殺風景であった。
その後は、猫の額ほどしか無い海岸のスペースに、船着場程度の拵えの名田漁港に行って海女漁を見ようとしたが、昼時のせいか、海女船も海女も出ていなかった。 猛暑日の真昼だったので、さすがに当地には釣り人も外来者もいなかった。
最後立ち寄ったのは、いつもなら我輩貸切りの名田の大野浜である。
大野浜は、出鼻に囲まれた程よいスペースの、寄せ波の実にきれいな弧状の砂利浜である。 ここの漂礫の中には珍しい地層(葉層)や断層(層内断層)、時には褶曲模様や、階段状断層が示す「稲妻模様」の小石が混じっている。
他にも段丘堆積層由来の、我輩が名づけた「黄色玉石」(きいろだまいし)が打ちあがっていたりする。 数は少ないが、渚にぽつんと黄色い瑪瑙のような小石が見つかる。 中身はフリント質チャートであるが、潮かぶれのせいか、表面が瑪瑙や玉髄質、時には中身までオパール化したようなきれいなものまである。
以前に、このブログ(バックナンバー)に記しておいた。
午後1時を回った頃、適当に昼食をとり、帰りは伊勢道路の出口の浦田橋あたりが混雑する事を見込んで、少し遠回りになるが、鵜方から南下し浜島の手前で西進し、南伊勢町回りのサニーロードへと車を走らせた。 道はすいていてすいすいと走れた。 途中で停車する事も無く、鍛冶屋トンネルを抜け横輪口を過ぎてから、右折して上野町の市道に入った。
かなり暑い中ではあったが、いっぷくがてら雨渕川と横輪川の合流点の川原に下り、タオルを水流に濡らして汗を拭った。
ここには、現地性の方解石脈の貫入した蛇紋岩の礫や、曹長石脈入りの角閃岩(伊勢青石)がたくさんあり、横輪川の上流から流下して来た堆積岩類と共に、かなり佳い水石が見つかる事がある。 特に残存曹長石脈が示す紋様には、鑑賞に値する程の見事な「紋様石」となる形姿模様のものがある。
ふと気付くと、タオルを再度水洗したすぐ横に、脈幅3㎝程の曹長石脈の貫入したひと抱えもある青石が転がっていた。
最初はつまらないなと思ったが、方向を変えて眺めると「滝石」に見えないこともない。 裾を少しカットし台座をつくれば、それなりに鑑賞出来そうな気がした。 ダメ元でと思いながら、重い大礫をかかえて車に戻った。
家に着いたら、午後3時を少し回っていた。 予定より1時間程オーバーで、身体はかなりバテていた。