今回は、昭和から平成にかけて変貌した我が町、伊勢市岩渕界隈の風景について記述をしてみよう。
伊勢市の岩渕と言えば、外宮前を基点に倉田山(徴古館)を経て、内宮へと向かう幹線道路の「御幸道路」(県道37号線)が東西に延びている。
そして、その沿道には伊勢市役所や、伊勢シティプラザ、税務署、商工会議所、法務局、地方検察庁、公共職業安定所、地方裁判所(伊勢簡易裁判所)、複数の新聞社の支局、複数の銀行、伊勢郵便局、2つの寺院などがある。
又、街の中心部に近鉄宇治山田駅があり、その前には伊勢観光文化会館がある。 かつては、近鉄宇治山田線の終点であった西洋建築の横長のビルは、ローカル電鉄の駅舎としては雄大で、伊勢大神宮の門前駅としてのふさわしさを超越した程、破格のサイズで美しく、頑強な石材と化粧レンガ貼りの建造物である。
この駅舎の外観は、現在も昭和の当時とさほど変わってはいない。
岩渕の御幸道路やその裏に並行する市道に、JRの伊勢市駅前から市電(三重交通・神都線)が走っていた頃の、近鉄宇治山田駅の駅前は、岩渕の繁華街でもあり、観光文化会館横の箕曲社(みのやしろ・箕曲中松原神社)との間には、観光文化会館の裏へと続く明倫商店街があり、どの店も繁盛を極めていたし、その界隈には飲食店や旅館がたくさんあった。
外宮前から、宇治浦田町の猿田彦神社前と続く御木本道路(みきもとどうろ)が開通する以前は、参宮道路と言えば御幸道路と、岡本町から尾上町、倭町、古市町を経て、長峰の丘を中之町、桜木町、牛谷坂へと続く旧街道しかなかった。
そして、岩渕を貫通する御幸道路は、勢田川の錦水橋を経て、町のはずれから左へ分岐する二見街道(県道102号線)への入口でもあった。
戦後の復興が進んだ、昭和20年代後半から30年代にかけての我が町・岩渕は、まさに伊勢市の中心街であった。
我が家もずっと御幸道路に面した錦水橋の袂(たもと)にあるが、勢田川の改修と共に、今はこの橋も架け替えられて刷新している。
そのような中で、昔と変わらない風景を見つけて眺めることは、今となっては実に難しい。
当時の面影を残す、変わっていないものと言えば、既述の近鉄宇治山田駅の外観と、岩渕の真っ只中の箕曲社と、錦水橋を渡った左先の光明寺(臨済宗の著名な古刹)の山門や鐘楼、簀子橋(すのこばし・錦水橋のすぐ南の橋)から町外れの妙見堂に登る細い坂道ぐらいであろうか…。
昭和年代と比べて、特に変わってしまった主な風景等を並べてみると、
1.御幸道路等を走っていた、内宮・二見行きの市電(路面電車)が無くなった。
2.近鉄宇治山田駅が終着駅(終点)で無くなり、駅舎3階のホームから近鉄鳥羽線が延び、御幸道路を跨ぐ高架橋が架かった。
3.明倫商店街が寂(さび)れ、仕舞屋(しもたや)が増えて、名称も一時「明倫村」となった。
(最近又、「沢村榮治誕生の街・明倫商店街」に戻った)
4.勢田川が改修され、御幸道路の嵩上げと共に、錦水橋が新しく架け替えられた。
5.御幸道路の両サイドの歩道が改装され、街路樹が少なくなり、御影石の石灯籠の方が多くなってしまった。
6.光明寺の前に伊勢郵便局の移転があり、その背後の墓地(一誉坊・いちょぼう)の雑木林の藪が殆ど伐採された。
7.御幸道路の沿道等に、高層ビルが幾つか建った。
8.宇治山田駅前の古い伊勢会館が建て替えられて、近代的な伊勢観光文化会館となった。
岩渕の町中(まちなか)の道路や家並(やなみ)の風景は、道路の拡幅や立ち退きを除けば、徐々に変貌を遂げて来たものの、区画整理などは殆ど無く昔のままである。 しかし、町のあちらこちらにあった草むらの広場や畑、勢田川沿いの水田などは、ことごとく宅地に代わってしまったし、どこの家屋も世代交代で刷新され、新建材の造りで綺麗になっている。
昔のままの商店や飲食店などの店構えも、以前とは随分変わってしまい、古い木造住宅や老舗のままの店舗の姿を目にする事は、殆どなくなってしまった。
かつての伊勢の木造の家屋は、伊勢神宮の神明造りの社殿に配慮をし、切妻造りの玄関は「妻入り型」が殆どであった。 岩渕の御幸道路の沿道に残っている妻入りの旧家屋は、錦水橋の袂の我が家ぐらいであろうか…。
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