度会町には、幾つかの珍変な地名が点在しているが、宮川の支流の一つである一之瀬川を、左岸の県道沿いに遡って行くと、町境の能見坂峠までのほぼ中間に、「火打石」 という名前の付いた村落がある。 この地名の由来は、当地の東の彦山川の奥に、さらに支流の谷川が分岐し、この谷間から、古来、発火道具として使用されて来た岩塊 ( 露岩 ・ 転石 ) が産し、それらが 「燧石」( ひうちいし ) として使用されて来た事によると言われている。
幾つかある露岩の中の一つが、明治期より 「天然記念物」 として世に広められた次第であるが、度会郡内に点在する縄文遺跡などからも、同質の岩石が石鏃やナイフ型石器類として、数多く出土している事から見て、はるかな古代より石材に使用されていた事が伺える。
さらに、明治期初期までは、いつの頃からかこの岩塊を破り採り、桝に入れて伊勢神宮に献納していたいきさつがある。
「燧石」 となっている当地の石質 ( 岩石 ) は、中央構造線の南方に分布する秩父層群の珪質岩 ( フリント質 ~ 玉髄質 ~ ガラス質のチャート ) である。
現在、三重県指定の天然記念物となっている 「燧石」 の岩塊は、火打石の村落の東方約2kmの山奥で、彦山川の支流谷を登りつめた源流付近にある。 サイズは概ね 2m × 2m × 2m 程度のおむすび形であり、色は白黒チャートに属し、灰白色半透明 ~ 灰黒色不透明、並びに淡緑色で、内部に白色結晶質の分泌石英脈や、緑泥石と思われる黒色鉱物の筋模様を雑えている。
筆者が現地へ行ったのは、昭和53年前後に2回しか無く、その後は現在に至るまで再探訪の機会を逸している。 その当時は、道標などは全く無く、山働きの地元民に尋ねながら、未舗装の林道奥からの分岐路より先は杣道となり、途中で草分け道が立消えていたり、行く手をブッシュに囲まれ、手探りでかなり迷いながら優に1時間は歩いた記憶がある。
現在は、火打石林道も仮舗装が成され、「燧石」 への道標や分岐路 ( 山道 ) も、かなり整備が成されているようであるが、現地の様子や 「燧石」 の近況はつい判らず仕舞いである。 以上をお断りしての記述である。