伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
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伊勢市内で 「 一番低い山 ~ 坊山 」 の話 !

2022年01月25日 | 伊勢


宇治山田駅から眺めた昭和28年頃の 「坊山」 ~ 外宮の高倉山手前の繁み

 先日、インターネットのニュース記事で見たのですが、西日本には「日本で一番低い山」が四国にあるらしい …。 その場所は、一つは徳島市の中心から南へ車で20分程の、同市方上町 ( かたのかみちょう ) で、田園地帯の中に緑の木々がこんもりと茂った小山がぽつんとあるとの事 …。
 そして、その場所には、「日本一低い山 弁天山 ( べんてんやま ) 標高 6.1m」の看板があって、「登り口」には「厳島神社」と書かれた赤い鳥居があり、「登山道」はコンクリートで舗装され、手すりが設けられている、とあった。

 この日本一低い山は、登山開始から約15秒で山頂に達し、山上には厳島神社の小さな社 ( やしろ )と、記所があって、案内板によると、この辺りはかつて海であり、海の守り神である弁財天が山頂の神社で祭られて来たと言う、由来が記されているそうである。
 神社の宮司さんによると、弁天山を「日本一低い山」として、本格的にPRを始めたのは、今から20年前で、国土地理院の地形図に記載された山のうち、大阪の天保山 ( 4.5m ) と、津波被害に遭う前の仙台の日和山 ( 当時 6.05m ) に次ぐ3番目の低さだったそうだが、この上位2つはどちらも人の手で盛った「人工の山」であるのに対し、「弁天山は自然によって造られた山です。だから、日本一ひくいんです。」とのコメントが付記されている。
 そして、お社の手前には、登頂証明書やお守りなどが収められたガラスケースが置いてあるそうで、入金箱に100円を入れると、記念の証明書一枚を頂けるとの事。

 さて、もう一つはと言うと、香川県東かがわ市松原の白鳥 ( しらとり ) 神社である。 当地は、日本武尊 ( やまとたけるのみこと ) が亡くなった後、その霊が白鳥になって舞い降りたと言う、由来を持つそうだ。
 その境内にある山も「日本一低い山」を称していると言う。標高は、弁天山の半分程の3.6mである。
 ここの宮司さんの話では、同神社は阪神甲子園球場3個分の約13ヘクタールの広さがあり、白砂清松100選の一つ「白鳥の松原」が広がっており、社務所を出て5分ほど平坦な松林の中を歩くと、樹齢200年ほどの松の大木のそばに、「御山 ( みやま ) 日本一低い山 3.6m」と刻まれた石碑が立っているとの事です。

 ちなみに、国土地理院によると、そもそも山の定義は決められておらず、「日本一低い山は公表していない」との付記が、このニュース記事を締めくくっていた。


昭和50年代中頃の 「坊山 」 ~ 中央右上の森( 伊勢市の航空写真 )


 前文が少し長くなってしまったが、それでは今回のブログのタイトルに記した「伊勢市内で一番低い山」は、いったいどこなのであろうか …。
 近年になって、近隣の町村の合併よって市域がかなり増大し、特に伊勢湾南岸の二見町が加わったので、沿岸部の樹木の茂った小山や、岩盤から突き出した海中の「離れ岩」なども、ある程度の高さがあれば「山」と見なせるのかも知れないが、今回は内陸部の旧伊勢市内の低い山に限って考えてみようと思う。


大正14年2月15日発行の 「伊勢参宮案内地図」 の中に記された 「坊山」 ~ 中央の下


 周知のように、伊勢市は市域背後の南方に、紀伊山地から東の方向へと続く、海抜100m~数100mの急峻な壮年期地形の山地が連なっており、その最高峰は「朝熊山」( 朝熊ヶ岳 ) の経ヶ峰 ( 海抜555m ) である。 そして、その北麓の市街地にも東西性の海抜100m前後の山々があり、低高度の山並みを見せている。
 西方から辿ると、三郷山、蓮随山、高倉山、高神山、世木寺山(瀧浪山)、八幡山、虎尾山( 松笠山 )、永代山、倉田山、貝吹山、昼河山 ( ひるごうやま ) 音無山など、三波川変成帯の結晶片岩や千枚岩からなる小高い山々である。

 他の自然地形の小高い山としては、第三紀層を基盤として形成された残丘を成す「秋葉山」( 徳川山 )や大仏山 ( 小俣町 )、さらに、中~高位段丘堆積層より成る段丘地形の「白石山」「妙見山」「金刀比羅山」、そして古市町から桜木町へと続く台地状の「長峰」( ながみね ) などがあるが、丘と山 ( 丘陵地と山地 ) との区別も、地形としてはかなり曖昧である。


大正7年6月30日発行・2万分の1地形図の 「坊山」 ~ 中央の小判形の等高線


 もっと低い山は無いものかと思って、少年時代の遊び場だった小山などの記憶を手繰ってみると、伊勢市岡本の南の田畑の真ん中に「丸山」( 神社の森 )がポツンとあり、現在も昔時のままであるが、この小山は古墳であり、自然地形の低い山とは言いがたい。
 他にも、世木寺のすぐ南に「白子山」という赤茶けた小山があって、よく登って遊んだ場所であるが、今は世木寺の周囲一帯が宅地化してしまい、民家となっているので、その場所は何処だったのか全くわからなくなっている。


完全に切削された 「坊山」 跡に建つ現在の 「カトリック教会」 ~ 2022年1月24日撮影


 そう言えば、もう一つ消滅した市街地の遊び場だった自然の小山に、確か「坊山」( ぼうやま・ぼやま )と言う名前の山があったのを思い出した。
 小学生の頃であるが、外宮の勾玉池から旧道を隔てた真向いに、千枚岩や石英片岩の岩盤が裾地から山上にかけて露出し、樹木の蔽い茂った数m程度の低い自然の山があり、丁度その山続きの隣接地に友人宅の民家があって、よく探検気分で登って遊んだものである。
 この北側には御幸道路があり、その間の沿道には小さなカトリック教会があった。 そして、その背後には半分程削られ高台になった小広い広場があり、この空き地でもよく野球をして遊んだものである。
 

現在は 「マリアこども園」 になっている 「坊山」 跡南半の一部 ~  2022年1月24日撮影


 その後、この「坊山」は次第に削られてしまい、北半は建て替えられた立派なカトリック教会になっているし、南側もサラ地化し、現在は「マリアこども園」となっている。
 伊勢市の市街地の真っただ中にあった、この「坊山」の事を知っている人は、今ではごく僅かであろう。
 古い市内地図を見ると、確かに「坊山」と記されているので、おそらくこの山が伊勢市内では一番低かった、樹木の茂った「自然の山」だったのではないだろうか。
 「マリアこども園」に隣接している友人宅裏の横壁には、今でも当時の岩盤( 石英片岩を介在する千枚岩 )が突き出しており、「坊山のなごり」を見る事が出来る。


「坊山」 跡南半の保育園隣接の友人宅に露出する 「千枚岩の岩盤」


基盤を成す 「坊山」 の岩盤 ( 上載写真のアップ )


 他に、一番低いと断言出来る程の、該当するような独立した「小山」が市内に見当たらない限り、伊勢市内で「一番低い山」を記すならば、かつての独立標高峰だった、この「坊山」としておくべきだろうと思う次第である。
 ちなみに、明治初期の「坊山」の北端には、小川 ( 豊川 ) が中央構造線のリニアメントに沿って流れ、勢田川に合流していた事が古地図から読み取れる。
 西南日本最大の活断層でもある「中央構造線」は、その一部が宇治山田高校の直下から、外宮前 ~ 伊勢市役所の真下辺りを通り、黒瀬町を経て二見町の今一色付近へと続いていると推測されている。



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