平成26年(2014年)の正月も、小寒かったものの穏やかなまま晴天の「三が日」が過ぎ、年末から年始にかけての連休も終わって仕事始めとなった。松の内が過ぎても、伊勢神宮は御遷宮の翌年と言う事もあって、県内外からの初詣の参拝客で連日大賑わいである。 我輩も、暮れには参道を歩いたが、内宮の参集殿の売店は人だかりでいっぱいであった。ここでは、式年遷宮の記念グッズは1~2種類しかなく、タイピンなどはあまり人気がなさそうで、もっぱら干支のストラップや素焼きの鈴(五十鈴)のついたキーホルダー、新年の絵馬などを買い求める人々が、入れかわり立ちかわり列を成していた。 我輩も例年通りに、伊勢神宮崇敬会発行のプレート絵馬を一体求めた。今年の図柄は、駆け行く神馬が一頭のシンプルなエッチングで、きれいではあるが、目栄えがしなくてさっ気ない。誰がデザインを決めたのかは知らないが、それでも神様から授受の新年の縁起ものである。 馬と言えば、昨今はまず「競走馬」を思い浮かべるが、時代劇では必ずと言ってよいぐらい登場するのが騎乗馬である。今も神社の神事の流鏑馬(やぶさめ)などには神馬が駈けるし、各地に乗馬クラブや厩舎もある。さらに、北海道などには馬牧場もあるが、かつて生活の身近にいた「荷役馬」(馬車馬や農耕馬など)にしろ、旧日本軍の「軍馬」にしろ、「馬力」に頼ってしていた人馬一体となった生活形態は、もはや過去のものである。
又、西部劇の「駅馬車」なども強烈なほど記憶に刻まれており、馬の話となると、懐メロの「急げ幌馬車」(歌手:松平 晃)や「あこがれの郵便馬車」(歌手:岡本敦郎)、「峠の幌馬車」(歌:スリー・グレイセス)なども懐かしい。この曲はその後、来日公演もしたビリーボーン楽団のアレンジと演奏によって、空前の大ヒットとなった。
少し考えて見ると、「馬」の字は、漢字の偏などとなって生活の中に浸透している。一例を挙げれば、「駅」や「騒ぐ」「驚く」のほか、駐車の「駐」、駄賃の「駄」、駆使の「駆」、実験の「験」、沸騰の「騰」等々。これらは古来、歴史の中で長い年月にわたり、馬は社会に無くてはならない家畜であったからだろう。農家では農耕の働き手として、きわめて大事に扱われたものだ。
特に東北地方などでは、家族並みの手厚い庇護を受け、冠婚葬祭の風習をみても、郷土玩具や民芸品を見ても「馬ッコ」が主役を演じている。とりわけ、鈴を付けたきれいな衣装を纏った、岩手県の「チャグチャグ馬ッコ」の風習は、愛馬への感謝が籠められていて有名であり、民芸品をはじめ、数々の観光土産にもなっている。 馬に関する諺や格言、馬の付く地名の数多さを見ても、洋の東西を問わず、馬がいかに人間社会に密接に関わって来たかがよくわかる。諺を調べれば、 「馬の耳に念仏」「馬耳東風」「天高く馬肥える秋」「馬脚を現わす」「馬が合う」「馬の鼻向け」「馬には乗って見よ 人には添うて見よ」「敵将を射止めんとすれば、まずその馬を射よ」などがあげられる。 又、思いつくままに、「馬」の字の付いた地名(馬に関わりのある漢字を含む)を書き出してみると、「馬籠」(まごめ・岐阜県)、白馬(はくば・長野県)、群馬市(ぐんまし・群馬県)、対馬(つしま・長崎県)、相馬(そうま・福島県)、馬込(まごめ・東京都大田区)、駒形(こまがた・東京都台東区)、練馬(ねりま・東京都練馬区)、高田馬場(たかだのばば・東京都新宿区)、馬事公苑(ばじこうえん・東京都世田谷区)、小伝馬町(こでんまちょう・東京都中央区)、馬喰町(うまくいちょう・東京都中央区)・馬淵川(まべちがわ・青森県八戸市)、馬教湯(うまおしえゆ・福島県石川郡)、馬曲温泉(まぐせおんせん・長野県下高井郡)、但馬(たじま・兵庫県)、馬潟(まかた・島根県松江市)、馬木(まぎ・島根県出雲市)小馬木(こまぎ・島根県仁多郡)、馬馳(まばせ・島根県仁多郡))、耶馬溪(やばけい・大分県、他)、三厩(みんまや・青森県東津軽郡)、厩橋(うまやばし・東京都台東区~墨田区)、栗駒山(くりこまやま・宮城県~岩手県~秋田県)、駒ノ湯(こまのゆ・宮城県)、駒ヶ根(こまがね・長野県)、駒ヶ岳(こまがだけ・長野県、秋田県、北海道、他)、真駒内(まこまない・北海道札幌市)などがある。 その他、馬場(ばば)、馬坂(うまさか)、馬返(うまがえし)、伝馬(でんま)、馬山(うまやま)、馬島(うましま)、馬谷(うまたに)、馬田(うまだ)、馬淵(まぶち)、馬上(うまあげ、ばじょう)、中馬(ちゅうま)、馬下(まおろし)、馬家(うまや)、馬橋(うまばし)、駒野(こまの)などは、全国各地の旧街道や旧道筋の町名や字名(あざめい)、鉄道の駅名などを細かく見れば、幾らでも点在しているはずである。 ちなみに三重県には、熊野古道に「馬越峠」(まごせとうげ・尾鷲市と紀北町海山区の境)があり、馬道(うまみち・桑名市)や午起(うまおこし・四日市市)の他、地図を細かく見てみると、江馬(えま・多気郡大台町)、馬瀬(うまぜ・紀北町海山区)、馬野(ばの・伊賀市青山町)、馬背杣(うまのせそま・伊賀市青山町)、馬之上(うまのうえ・多気郡明和町)、馬見里(うまみのり・四日市市)、馬家郷(うまやのごう・亀山市関町、松阪市、鳥羽市、他)、駒ケ野(こまがの・度会郡度会町)等がある。地名辞典や語源辞典を調べれば、まだ他に沢山あると思われる。
ついでに付記すると、我輩の住む伊勢市には、「馬瀬」(まぜ)と言う町名、並びに「馬渕橋」(まぶちばし・津村町)があるし、名物餅に明野の「へんば餅」がある。
この「へんば」(返馬)の語源は、昔、参宮街道の「宮川の渡し」や「磯の渡し」で、ここまで来た旅客馬をかえした(引き帰らせた)史実に由来する。
ところで、十二支の「午」(うま)であるが、この午は「生まれ年の干支」のほかに、時刻や方位も意味している。江戸時代には、時刻を表すのに「子(ね)の刻」とか、「丑(うし)三つ(時)」とか、「亥(い)の刻(詣り)」などと言っていたが、これは、その時に「太陽の位置する方角」を表わしており、昔の磁石や運勢暦などにはこの方位が用いられている。 子(ね)は北で、東周りに進むと東が「卯(う)」となり、午は南を表している。そして西は「酉(とり)」となる。それゆえ、太陽が正しく真南に来た時が、一日の内で「正午」であり、午の位置に来る前が「午前」、来た後が「午後」なのである。正午の真反対の時刻は「夜半」であり、太陽が見えないから「正子」(しょうね)などとは言わない。 地学では、正午は平均太陽の南中時(なんちゅうじ)であり、夜半は平均太陽の北中時(ほくちゅうじ)の事である。
注)平均太陽 ・・・ 日周運動の周期が毎日異なる視太陽とは別に、天の赤 道上を規則正しく日周運動をする仮想の太陽のこと。