定年前に長年務めていた高等学校を早期退職し、丸2年経った三年程前に、高校時代の剣道部の後輩に紹介されて、鵜方(志摩市阿児町)の町街地はずれのマンションで、パソコン教室を開校しているT先生を訪問し、無理を言ってその教室に入校をさせて頂いた。無理を言ってと言うのは、当時、その教室は女性限定であり、しかもその先生は、若いきれいな女生徒しか入校させていなかった?・・・からであった。彼も又、同じ高校の二級下の後輩であった。
そして・・・、途切れ途切れではあるが、3年が経った。テキストも無く通う度に雑談をしながら、次々とパソコンの操作を教わった。現職の時、職場にパソコンが導入され、いとも簡単に使いこなす後進の先生らに恐る恐る教わりながら、聞きかじりで散々苦労しつつどうにか仕事はしていたが、退職してからは、もう触るのさえイヤ気がさし、パソコン・アレルギーもいい処であった。そんな我輩だったが、T先生のお陰で、ノートパソコンをどうにか生活の必需品道具として使用出来るまでになった。
教室では、家庭教師しかりのマンツーマン指導の学習形態であった。知りたい事ややりたい操作を学びとらせる、いわば生徒任せの質疑応答中心の指導で、一見ぶっきらぼうで、のんびり屋のように見受けられたヒゲ面の妙齢の先生ではあったが、この先生、パソコン技術の確かな出来る御仁で、腕達者な只者では無いなかなかの人物、「大先生」であった。あれやこれや同じ事を忘れては教わり、必要以上の時間を使ってしまったようだが、やっとパソコンでの商取引が出来るまでにして頂いた。飽きもせずによく通ったものである。先生には感謝の極みである。
だが・・・、不安は付きまとう。それは、予期せぬトラブルへの対処方法や、誤操作のやり直し手順とか、パソコンのアップデイトにメンテナンス、次々と送られて来る不必要な情報の見極めなど、判らない事だらけであり、あまりにも機械の機能が複雑ゆえ、少しだけ慣れたとは言え、自立への道は遥かに遠い。寿命が尽きてしまっても到達出来そうにない。しかし、ありがたい事に、大先生は終了後も、電話にてアフター・ケアのサービスをして下さる。合掌せずにはいられない。
そして、ふと近未来社会を考えると、通信や商取引、情報の操作ばかりで無く、経済活動すべてがパソコンで成され、人間の神経回路がこの機械と一体化して物事が進めば、人としての精神作用や遊び心はどうなって行くのだろうか。電脳化し続ける至便化社会システムと個人個人の生き様のギャップは、間もなくピークに至ろうとする地球文明の社会進化の中でも、確実に「適者生存」の生物進化同様の道を辿るに違いない。それは、少数生き残りが勝ちと言うよりは、不可逆的変化ゆえに、やがてはネット・システムの乱用から、パソコン操作による世界大戦に至るのかも知れない。そうなれば、日本などひとたまりもないだろうと・・・。
気がつけば、朝夕には秋風のそよぎ・・・。睡眠不足や気疲れもピークに達したのか、パソコンを離れて思いきり自然の中で遊びたい気持ちが蔓延し始めている。
神経回路がショートし爆発する前に、このジレンマを先生に相談すべきなのか、否か・・・。