伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

三重県産の石榴石( ざくろいし )の産地についての回想

2023年10月23日 | 三重県下の鉱産地


堀坂山 ・ 雲母谷産の 「鉄礬石榴石」 ~ 結晶の最大直径は約1.5cm

堀坂山 ・ 雲母谷産の母岩付きの 「鉄礬石榴石」 ~ 母岩の最大幅約5cm

 石に興味をもった少年時代には、小学生の級友達と伊勢市(当時は宇治山田市 )内を自転車で走り回りながら、石採りに出かけていたが、1年程経った小学5年生の頃に、「石榴石」(ざくろいし)を初めて知った。 当時私鉄に勤務していた父親が、旧「東青山駅」直下の谷からクルミ大の真っ赤な結晶を、手のひら大の黒雲母の巨晶と共に拾って来て、石集めをしていた理科少年の私に見せてくれた。


近鉄大阪線の「旧東青山駅」 ~ 写真の右下が鉄礬石榴石の産した直下の谷川


 結晶鉱物と言えば、実物は購入したブック型の標本に入っていた水晶や方解石、黄鉄鉱、蛍石などしか見ていなかったので、図鑑でしか知らなかった「石榴石」の実物の結晶には目を見張ったものだ。 その後、何度か現地に採集に連れて行ってもらったが、東青山駅の駅下を潜る暗渠の土管から流れ落ちる大きな滝があって、その真下の谷には、黒雲母に富むペグマタイトの転石がゴロゴロとしており、その中に大・小の酒赤色の石榴石(鉄礬石榴石)が幾らでも入っていた。
 勝ち破ると結晶がきれいにはずれ、谷川の水流の砂利の中にも転がっていたのを幾つか拾った。
 これらの殆どは、その当時の級友達や小学校の先生にあげてしまった。
旧近鉄東青山駅直下の谷川産 「鉄礬石榴石」 ~ 直径約2cm

 ずっと後の高校時代になって、東青山産の「鉄礬石榴石」と同じ結晶が、白山鉱山(当時は一志郡白山町山田野)で多産するのを目の当たりにしたが、中学生になってからも石榴石の結晶には目がなく、県内の主な産地に着目をしたが、その殆どは北勢地方であり、中学時代にはとても行けなかった。
 小学6年生から中学時代にかけは、もっぱら近鉄電車の沿線の鉱産地を探したが、東青山産の結晶を凌駕する美晶には出会わなかった。
名張市長坂産の 「灰礬石榴石」 ~ 直径約2cm

 只一度だけ、小学校の理科の先生に連れられて、名張市の「赤目の滝」に行った帰りに立ち寄った、「長坂」の村落背後の段々畑の最上段の表面に散乱していた、方解石に富むスカルン・バラストの中に、サイコロ大の石榴石(灰礬石榴石)の結晶や結晶質小塊の破片などがたくさん入っていたのに遭遇し、先生が勝ち破った方解石塊の中から、橙色・不透明な斜方十二面体式のサイコロ大の美晶が現われ、その場で私に下さったのは感激であった。
名張市長坂産の母岩付きの 「灰礬石榴石」 ~ 母岩の横幅約3.3cm
 小学時代は、図鑑の影響もあって、何といっても水晶や紫水晶、瑪瑙、蛋白石、電気石などの美晶に憧れ、三重県下では殆ど産出を見ない鋼玉や黄玉、緑柱石、翡翠などは諦めていたが、「琥珀」だけはまだ石炭ストーブの時代であったので、燃料用の石炭の中に時折入り混じっているのを見つけ、米粒大ではあったが標本にしたものだ。
 特に、小学校のあった岡本町の一角には、原産地はわからなかったが、この燃料用の石炭が山積みされている置き場があって、学校の帰りに回り道りをして物色するのが日常であった。

青山町奥山権現付近産の 「鉄礬石榴石」 ~ 最大結晶の直径約1cm

 高校三年生の後半には、天気が良ければ休日ごとに県内の鉱産地に出向き、鉱物採集に明け暮れた。 その頃及びその後に採集した石榴石の産地は、以下の通りであるが、その殆どは珪・長石鉱山やそれらの鉱山跡であり、ペグマタイト鉱脈中の黒色っぽい鉄礬石榴石である。
海山町木津産の 「鉄礬石榴石」 ~ 直径約1cm

  ・ 名賀郡青山町東青山(鉄礬石榴石)
  ・ 名賀郡青山町奥鹿野、奥山谷(鉄礬石榴石)
  ・ 名賀郡青山町勝地、奥山愛宕神社付近の小谷(鉄礬石榴石)
  ・ 名張市長坂(灰礬石榴石)
  ・ 阿山郡大山田村真泥、山田マンガン鉱山(満礬石榴石)
  ・ 阿山郡大山田村三谷、大栄工業採石場(鉄礬石榴石)
  ・ 阿山郡大山田村広瀬(鉄礬石榴石)
  ・ 松阪市伊勢寺町、堀坂山雲母谷~その上方の鉱山跡(鉄礬石榴石)
  ・ 松阪市西野町山口、スス谷(鉄礬石榴石)
  ・ 松阪市阪内町、阪内不動滝横の谷川(鉄礬石榴石)
  ・ 一志郡美杉村竹原、竹原鉱山(鉄礬石榴石)
  ・ 一志郡美杉村竹原、美杉鉱山(鉄礬石榴石)
  ・ 一志郡白山町山田野、白山鉱山(鉄礬石榴石)
  ・ 一志郡白山町福田山、福田山鉱山(鉄礬石榴石)
  ・ 安芸郡美里村桂畑、石墨採掘坑跡付近(鉄礬石榴石)
  ・ 員弁郡北勢町新町、青川上流の広川原・他(灰鉄石榴石)
  ・ 員弁郡大安町石榑南、宇賀渓~砂山~水晶谷(鉄礬石榴石)
  ・ 四日市市宮妻町山之坊、宮妻峡~水晶山付近(鉄礬石榴石)
  ・ 安芸郡芸濃町宝並(灰鉄石榴石・灰礬石榴石)
  ・ 度会郡宮川村大杉、父ヶ谷(灰鉄石榴石・灰礬石榴石)
  ・ 度会郡度会町栗原、栗原鉱山跡(満礬石榴石)
  ・ 北牟婁郡海山町木津、魚飛系上方の橡山林道沿いの露頭(鉄礬石榴石)
  ・ 伊勢市円座町、大日本土木(株)円座採石場(灰鉄石榴石)
  ・ 鳥羽市菅島町、鶴田石材採石場(含クロム灰礬石榴石)


 以上に記載の産地は、いずれも当時の行政区画で記しました。 なお、「含水石榴石」や「灰礬石榴石」等、優白質の脈性石榴石の産地は除外を致しました。


宮川村父ヶ谷産の晶洞中に群晶を成す 「灰鉄石榴石」 ~ 写真の横幅約5cm


 最後に、 高校卒後に進学をした大学時代になってから、堀坂山の雲母谷の珪長石試掘坑跡のズリの土砂のパンニングを思いつき、金ザルで試みた処、茨城県の真壁産の鉄礬石榴石の結晶に匹敵する程の、偏菱形24面体式のサイコロ大の酒赤色の美晶(完面体)を幾つか発見しました。
 その後、長年にわたって調査をした三重県内各地のペグマタイトの産地で、幾つかの鉄礬石榴石の結晶を採集しましたが、上述の東青山産や白山鉱山産をも凌駕する程の最高級の結晶は、冒頭に写真を掲載をした、堀坂山の雲母谷産のものであった事を付記しておきます。


北勢町青川上流産の 「灰鉄石榴石」 ~ 母岩の左右幅約5cm

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日本国内の石の工芸品と、余技製作の 「 石細工品 」

2023年09月29日 | 石のはなし


紫雲石に伴う石灰岩を加工した 「菊花の紋石」 ~ 左右幅約7cm

 今夏は、初夏の豪雨の後、雨天と好天が暫く繰り返し、地球全体が温暖化したせいか、7月の半ばを過ぎてから酷暑の日々にみまわれ、太陽光線も異常な程の強烈な日射となって降り注ぎ、お盆を過ぎてからも全く秋の気配が漂わず、その後も残暑が続き9月も月末となった。
 今月は中旬に発生し、日本海に延びていた停滞前線が本州を横切り、太平洋の東北沖に抜けてもまだ残暑が続いて、ずっと蒸し暑かったものの、23日の彼岸を境に、伊勢地方にもようやく秋の気流が流れ込み、朝夕はひんやりとした秋風と共に、天空には巻雲(すじ雲)や巻積雲(うろこ雲)が広がり、ようやく秋らしくなった。


 今夏は、趣味の水石探しには殆ど出向かずに過ごし、氾濫後の五十鈴川の川原と二見浦の海浜に行き、何度か見回ったきりで、あっと言う間に3ヶ月が経った。
 その間にしていた事と言えば、所蔵の水石の再吟味と、余技作品として手がけた幾つかの「石細工品」の製作である。


梅林石をスライス・カットして加工した 「飾り物石」 ~ 上下幅約5.5cm


 日本国内の全国各地には、地方色豊かな石細工や石の工芸品などが色々と見られ、かつてそれらの生産地を訪ねた事があり、各地の各々の石製品についてはブログにも何度か書かせて頂いてきた。
 三重県では、熊野地方で多産する「那智黒石」(黒色珪質頁岩や粘板岩)の加工が、昔から原産地で盛んに行われ来ているが、三重県下で工芸品用の石材として採石されているのは、この「那智黒石」だけである。
 他には、度会郡の七保村(現在は大紀町永会)辺りで産する「七華石」(縞状の混色石灰岩)を研磨した水石や美石が、昭和の半ば頃に一時的に出回り、タイピンやカフスボタン、帯留めなどに試・製作されたことがあったが、昭和の水石ブームの終焉と共に消えて行った。


加工研磨した 「紫雲石の置物石」 ~ 右側の石の上下幅約9cm


 石製品のルーツと言えば、人類の祖先が最初に使用した道具としての古代の石器類に行きつくが、その後の文明の開花に至ってからは、古墳時代の勾玉や管玉など各種の鉱物・岩石を加工研磨した装飾品があげられる。 そしてその原産地では、地場産業の一つとして、今も石細工が続けられている。
 その主な生産地をあげると、北海道各地の瑪瑙・玉髄と、十勝地方の黒曜石。 青森県津軽地方の錦石(瑪瑙・玉髄・蛋白石・碧玉・赤玉石など)。 岩手県久慈市の琥珀。 福島県宝坂の蛋白石。 新潟県糸魚川市の翡翠と、佐渡の赤玉石・その他。 山梨県の水晶・その他。 福井県小浜の瑪瑙(現在は外来の原石を加工)。 島根県玉造の碧玉(青玉石)と、隠岐の黒曜石。 香川県屋島付近のカンカン石(磬石 ~ 安山岩の一種)等が列挙される。

観光鍾乳洞の一般的な 「鍾乳石のみやげ物品」 ~ 台座石の左右幅約8.5cm


 以上の他、全国各地の観光鍾乳洞では、みやげ物品に必ずと言ってよい程、鍾乳石や大理石、石灰岩を使った石の工芸品や置き物などの調度品が製作され、みやげ物店の店頭に並べられている。 これらの原石は、付近の無名の鍾乳洞などからの採掘品であると思って間違いがないが、無尽蔵ではないので、外来の原石もかなり使用されていると思われる。

五十鈴川産の転石を加工した 「朝熊石の提げ物」 ~ 石の上下幅約8cm
 

 最後になってしまったが、今夏に製作を試みた余技製作の石細工品を、幾つか掲載して本稿を締め括ろう。 使用した岩石は水石の切断端石のスライス・カット片や、形状良いの手頃なサイズの転石などである。
 この作業も、熱中すると時間を忘れ、ハマってしまう程楽しいし、出来栄えによっては座右に飾っておいたり、販売してみたい気分になってしまう。


紫雲石( 左側 ~ 上下幅約9cm )と 珪質岩( 右側 )を加工した 「瓢箪石」

二見浦海岸産の漂礫を加工した 「緑色岩の蛇の彫り物石」 ~ 上下幅約8cm

紫雲石を加工した「ペーパー ・ ウエイト用の置物石」 ~ 底面の直径約6cm

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伊勢市・二見浦海岸の「 漂 礫 」について

2023年08月27日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

立ち昇る旭に神々しく輝く二見浦東端の 「 神前岬 」 ~ 2023年8月26日に撮影

 伊勢湾の南岸に位置する、伊勢市二見町の二見浦(ふたみがうら)の海岸は、立石崎を境に、西方には緩やかな弧状を成す遠浅の砂浜海岸が延々と4km程続き、その先端は五十鈴川の河口で、今一色の突堤が突き出し、対岸は大湊の三角州となっている。 この砂浜海岸の原地形は、立石崎から西方に突き出した波状の高まりを有する砂州 ( 砂嘴 ) であり、完新統の時代を通して南方から北方へと低湿地として成長を続け、昭和40年代までは防風林の松林の続く比高数mの海岸砂丘となっていた。


二見町の昭和年代の地形図 ( 国土地理院発行 5万分の1より )


 この砂丘群の最大の高まりは、最西端の今一色にあった「二見砂丘」であり、付近には波食により頂角のやや丸まった「三稜石」がかなり見られたが、今は防波堤等の護岸工事で原地形が消滅し、見る影も無くなっている。
 一方、伊勢神宮の海の玄関口にあたる「夫婦岩」のある立石崎から東方は、鳥羽市の池の浦湾までリアス式の岩石海岸となり、砂礫の海浜と荒磯が神前岬 ( こうざき ) まで続いている。 神前岬には注連縄の掛け飾られた「海食洞門」(「潜り島」と称する ) があり、直前に「アレサキヒメ」を祀る小さな祠がある。
 二見地方では、古来「立石」とのセットで、それぞれが男性神・女性神として崇拝されて来ている。 この事は、以前にブログに記述をしているので、今回は地形や地質、伝承等の詳述は控えさせて頂く。


二見浦 ・ 江海岸の突堤から眺めた夫婦岩のある 「 立石崎 」 ~ 2023年8月26日に撮影


 さて、この二見町の立石崎より東方の「江の川」を挟む海岸の漂礫であるが、海食崖や海食台、離れ岩、岩礁等を形成する岩盤は、全て中央構造線直南の外帯「三波川変成帯」の広域変成岩であり、緑色片岩が卓越する中に、千枚岩や石英片岩、砂岩片岩等が介在し、それぞれが現地性の漂礫となって砂利浜を断続的に形成している。


二見浦 ・ 神前岬手前の荒磯から眺めた 「 江海岸 」 ~ 2023年8月26日に撮影


 漂礫はよく淘汰され、殆どがこぶし大以下の亜円礫であるが、神前岬の手前には角礫や亜角礫も散在している。 普通に考えれば、結晶片岩や千枚岩の漂礫は、偏平な片ペラ石になり勝ちで、含有鉱物も限定され面白みに欠けるので、これまでは殆ど見回ることが無かった。
 しかし、今夏は遠出をせずに、水石の探石も小石( 岩石・鉱物 )の採集も伊勢市内限定にしているので、退屈凌ぎ程度に2回に分けて立石崎より東方の海浜を歩いてみた。


二見浦 ・ 神前岬手前の荒磯の小狭い 「 砂利浜 」 ~ 2023年8月26日に撮影


 思っていたより、多くの堆積岩の浜砂利が見られ、これらはかなり昔に、五十鈴川の上流から運ばれて来たと思われる珪質岩 ( チャート )や砂質岩、泥質岩、輝緑凝灰岩などであり、現地性の結晶片岩類の漂礫と共に、石英脈由来の白色の「白石玉小石」( 石英礫 ) もかなりの頻度で混じり、赤石や赤玉石の漂礫と相まって、狭いながらも神前岬付近の砂利浜はきれいな感じであった。
 立石崎から神前岬まで続く当地の海浜は、およそ2km程度の距離であるが、漂礫の種類は思っていた程単調では無く、珍奇な奇形礫 ( キノコ石 ・ 穴あき石 ・ 波食皿石など ) も見つかり、結構楽しめた2日間であった。
二見浦海岸産 「 きれいな結晶片岩のカット小片 」 ~ 左右幅約4cm
今夏採集の二見浦希産の砂岩片岩の 「 波食皿石 」 ~ 左右幅約5cm

 帰宅後に、思い立って「二見浦海岸の石」( 9種類 )のミニ標本を試作してみました。 この中には、長年唯一保存をしていた「二見砂丘」直前の海浜から産出の那智黒石の「三稜石」を組み入れました。( このミニ標本は、ヤフオクに出品を致しました処、即落札されました。)


今夏に試作のミニ標本 「二見浦海岸の石」 ( 漂礫等9種類  )
唯一保存していた二見砂丘直前の海浜産、那智黒石の 「 三稜石 」( 絶産標本 )

二見浦・神前岬の砂利浜産 「 緑石英のカット石」( ルース )

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7月中旬の3連休の最終日の休日(7月17日)に、再度五十鈴川に出向く。

2023年07月18日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク


堰堤の右岸から眺めた御側橋下の川原 ~ 2023年7月17日に撮影

 7月の中旬になって、梅雨前線が日本海へと北上し、伊勢市はこの3連休共にカンカン照りの真夏日となった。 昼前になると外気の温度が30度を越え、風が殆ど無いので炎天下では10分と身体がもたない。 高校野球の球児たちの炎天下での元気いっぱいのプレーを思うと、つくづくと後期高齢者になった我が身の衰えを感受せずにはいられない。

 郊外に出ようにも、1週間程前に故障した車の修理が遅れているので、もっぱら近くへの外出は徒歩と自転車で、少し遠くの量販店などへの買い物はバスとタクシーの利用である。 伊勢市から初めて戴いた「お出かけ乗車券」( 100円券の40枚綴り )があるので、大変助かっているし、脱自家用車の生活は不便であるが、健康の為にはこの方が良いかも知れない。
 加齢を除けば、昭和30年代の生活にフィードバックしたような感じである。

 連休の最終日となった7月17日は、酷暑の中をバスで五十鈴川に出向く事にした。 河川の氾濫後に行くのは、見に行っただけの日も含めて4度目である。
 幸い自宅が宇治山田駅まで徒歩3分程度の至近距離にあり、外宮から内宮へと向かうメイン道路の「御幸道路」が、我が家の真ん前を走っているので、自宅先の2つのバス停 ( 岩渕と前田古市口 ) へも100m程度の距離である。

 この日は、最小限の携行荷物をウェスト・ホルダーバックに入れて、宇治山田駅前に行き、8時29分発の「宿浦」行のバスに乗った。 五十鈴公園最寄りの「浦田町」のバス停までは、このバスが一番早く便利である。 片道の運賃は330円なので、「お出かけ乗車券」3枚と30円を支払った。 始発駅からのバスの乗客は3人だけで、2人の若者達は「皇学館大学前」で下車をしたので、後は路線途中のバス停に全く人影は無く、信号ストップだけで、冷房の効いた車内は貸し切りの直行便となった。
 所要時間は休日で道路の混雑も無く、約15分で着いた。 バス停の時刻表よりも5分以上早く着いたと思う。 このバスは乗客がカラのままで、伊勢道路へと走って行った。


水量の減り始めた五十鈴川 ~ 2023年7月17日・浦田橋より川下を撮影


 浦田橋を渡りかけ、橋上から川下を眺めると、少しだけ川原が中州状に見え、増水した水が引き始めていた。 橋を渡り、五十鈴公園横の右岸の土手の道路を100mほど歩き、河川敷の市営駐車場のスペ-スに降りて「御側橋」手前の堰堤まで行き、地均しされ埋高くなった川原に降りた。
 

御側橋すぐ川上の五十鈴川の堰堤 ~ 2023年7月17日に撮影

流木の集積する、御側橋すぐ川上の堰堤の下 ~ 2023年7月17日に撮影


 最初に堰堤下の水溜りの流木の集積場を見回ったが、目ぼしいものは無く、御側橋の真下の日影まで川原を歩き回った。 この川原では、どうにかミニサイズの砂岩礫の「三稜石」を1個だけ拾っただけで、「神足石」は皆無であった。
2023年7月17日に採集をした、唯一のミニサイズの砂岩礫の 「三稜石」

 だだっ広い炎天下の川原での採集なので、照り返しの眩しさと共に、集中力が緩慢になるのはやむおえないにしても、前回のようには見つからなかった。


地均しされた御側橋下の川原 ~ 2023年7月17日に撮影


 右岸の土手上の道路に戻り「御側橋」を渡って、初回に収穫のあったすぐ川下の川原に降りた。 照り返しの眩しい中、汗の吹き出し始めた身体に鞭打って川原の末端まで歩き、この間に周囲の夥しい堆積礫を見落とさないように「神足石」と「三稜石」の転石に目を凝らした。 形状の良い風食面のよく判る「三稜石」礫は全く無かったが、「神足石」は間もなくこぶし大の緑色岩を1個見つけ、さらにミニサイズのきれいなハート形の緑色岩の小礫と、ミニサイズの典型的な足形の形状をした輝緑凝灰岩の小礫を見つけ、全部で3個採集し得た。
 この間の川原での採集に消費した時間は、約30分であった。
2023年7月17日に採集をした、握りこぶし大の 「緑色岩の神足石」
2023年7月17日に採集をした、ミニサイズの 「神足石」 ~ 左側のサイズは縦幅約4.5cm

 帰りは、昼の買い物をすべく、楠部町の「イオン伊勢店」まで、1.5kmほどの道のりを汗だくになりながら歩き、ひと息ついてから買い物を済ませた。
 帰路は、待つこと約5分で、「イオン伊勢店」発10時9分の「大倉うぐいす台」( 松尾観音経由 )行のバスに乗ったが、このバスも乗客は小生1人だけであり、途中停車は「伊勢病院前」だけで、乗車客は誰もいないままにスタートし、往路と同様に最速の直行便となり、「前田古市口」のバス停までの所要時間は10分ほどで、実に快適な乗車であった。
 バス料金は210円で、「お出かけ乗車券」2枚と10円硬貨1枚だけを支払い、往復運賃の出費は現金40円だけの交通費で済んだ。
 自宅には午前10時半過ぎに戻り、予定していた午前11時 ~ 12時を大幅に早まった次第であった。


転石礫が60㎝程新たに堆積し、盛り上がった御側橋川下の川原の末端 ~ 2023年7月17日に撮影

上載写真のアップです ~ 2023年7月17日に撮影

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河川の氾濫で、濁流の引いた「 五十鈴川の川原 」を見回る

2023年06月27日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

御側橋から眺めた氾濫後の 「五十鈴川の川原」 ~ 2023年6月25日撮影

 今月の上旬に、伊勢市を襲った線状降水帯による断続的な集中豪雨で、五十鈴川や横輪川が氾濫し、伊勢市内も低地は水浸しとなった。 幸いにも自宅裏の勢田川は、昨年に嵩上げをした護岸のコンクリート壁まで、目いっぱい増水し急流と化したものの、溢れる事はなく、過去のような洪水による水害には至らなかった。

 しかし、五十鈴川は、豪雨や台風の度に何度も氾濫を繰り返し、普段とは一変した「暴れ川」となってしまうので、水流の引いた濁流後の河床は堆積物が浚われ、雑草に覆われた夏場の川原は、背高に生え繁る植生が一掃され、転石礫も刷新された広々としたサラ地と化す。
 川の両岸には夥しい流木の山が出来、土砂やごろた石が土手の芝草をなぎ倒して、所々に盛土や地盤が剥き出しになっている。


氾濫の痕跡の残る五十鈴川左岸土手下の草むら ~ 2023年6月25日撮影


 氾濫後の川原は、古木や石の趣味者にとっては、又と無い絶好の探索を兼ねた遊び場なのである。 今月は、その後も晴天と雨天が繰り返していたので、ずっと気にはなりながらも、6月18日の日曜日の晴天までは見回りを控えていた。
 今月の18日は、朝から眩しい程の夏陽のふり注ぐ、真夏さながらの快晴であった。
 五十鈴川の「御側橋」へと、午前9時に家を出た。 車を走らせ約15分で目的地に着く。 既に護岸の流木は殆ど片付けられ、五十鈴公園に隣接の河川敷の市営駐車場も、普段通りにきれいに整備されていた。


氾濫で雑草が一掃された、御側橋すぐ川下の五十鈴川の川原 ~ 2023年6月25日撮影


 先月まで雑草に覆われていた御側橋すぐ川下の川原は、真新しい転石の広々としたサラ地さながらであり、左岸土手下のコンクリート舗装の小道からの川原への段差も、川原を覆った新たな堆積礫で半分程度に低まり、このチャンスにとゴム草履のまま楽々と川原に飛び降りた。
 隣接の県営陸上スタジアムから、競技をしているのか喧噪なスピーカーの大声や、観客群衆の声援が聴こえてくるものの、川原には誰ひとり見当たらなかった。

6月18日採集の緑色岩の 「神足石」 ~ 長さ約10.5㎝


6月18日採集の砂岩の 「神足石」  ~ 長さ約6.5㎝


 とにかく川下方向の川原の先端まで行き、折り返しジグザグに探石を開始すると、間もなく幸先よく労をせずに、ひと握りの典型的な「神足石」を見つけた。 その後は砂岩のこぶし大程の「神足石」を得たものの、川原の半分程歩いた所でへたばってしまった。 シャツも汗だくでどうしようもなく、このままでは熱中症になってしまいそうだったので、残り半分程の川原は翌日にでもと思いながら車に戻った。
 それでもとっくに1時間は経過し、車の時計は11時少し前になっていた。 気が付けば、ポケットにはこぶし大の「含マンガン赤鉄鉱」の転石が一つ入っていた。
 この日の収穫は、この3石だけである。
6月18日採集の 「含マンガン赤鉄鉱」 の転石 ~ 横幅約7.5㎝
6月18日採集の 「含マンガン赤鉄鉱」 の転石 ~ 上載写真の裏面です


 残りの川原は、翌日にと思っていた処、又天気が崩れ曇天と雨天が続いたので、翌週25日の日曜日まで出向けなかった。 この日は薄雲が広がるものの鈍い陽射しもあり、景色はくっきりしない日であったが、先週程の暑さはなく、午前中ずっと川原を探索することが出来た。

6月25日 採集の 「神足石」 の類似礫2個です
6月25日 採集のミニサイズの 「神足石」 ~ 右の3個は緑色岩

 しかし、前回 ( 18日 ) のような見事な「神足石」には出会えず、類似礫2個と、ミニ標本用の小形の「神足石」を数個採集しただけであるが、帰りに立ち寄った御側橋真下のブルドーザーで整地された右岸の川原を歩き、すぐ前の堰堤まで流木を見に行った処、冠雪を載せたような座り抜群の「遠山石」を見つけた。
 この石は緑色岩 ( 角閃岩 ) の風化岩であり、残存曹長石脈の一部が程よく「冠雪」を呈しており、少し手入れをすればちょっとした名石になるかも知れないと思い、持ち帰った次第である。
 今回揚石をした水石は、唯一この石だけである。


6月25日揚石の 「冠雪を載せた遠山石」 ~ 左右幅約13㎝

 
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「 形象石 」( 姿 石 ) の楽しみ

2023年05月31日 | 石のはなし


藤川産 ・ 赤鎧石の 「座人形の姿石」 ~ 高さ約15cm

 形象石は、「姿石」とも言い、石全体の形状があたかも人物や動物 ( その一部や古生物、カッパなどの架空のものも含む ) 、乗り物、建物、地物、野菜、果実、履物、道具(釣鐘や瓢箪など)、創造物(仏像や雪ダルマなど)等、様々な姿や形を呈する自然石です。 数多くの水石の中でも、自然界の営力 ( 風化作用、溶食作用、地質的作用 ~ 変質・変形 等 ) によって、全く偶然に生じた奇形の自然石 ( 化け石の部類 ) と言えます。

宮川産 ・ 珪質岩の形象石 「銘 ・ 河童」 ~ 高さ約16cm


 探石行でも滅多に出会えず、偶然の遭遇でしか揚石し難い水石です。 どちらかと言えば、風化や溶食を受けやすい堆積岩類に偏よりがちですが、その限りでは無く、時には火成岩や変成岩にも見られます。

 筆者も幾つかの形象石を所蔵していますが、名石として書物に紹介されるものの多くは、観音像や達磨、亀 ( 亀甲石 ) 、鳥類、魚類、船形、茅舎、灯篭、キノコ、冠、武者鎧等です。 著名な銘石の「鎧石」は、殆どが珪質岩 ( チャート ) と他の堆積岩類との互層岩で、本来は形象石になりますが、その多くは「段石」( 山水景石 ) として扱われています。

 伊勢市で著名な形象石と言えば、まず五十鈴川原産の人の足形をした奇形の河床礫である「神足石」 ( しんそくせき ) があげられ、志摩地方の海浜では海水の差別的な溶食作用によって生じた漂礫の「キノコ石」があり、その他、鵜方地方の海成段丘堆積層から多産する「高師小僧」は、鉱物になりますが、正に特殊な形象石と言えます。

志摩市大王町名田 ・ 大野浜産 「漂礫のキノコ石」 ~ 長さ約10cm
鵜方産 ・ 竹刀のような形状の 「高師小僧」 ~ 長さ約7cm
 一旦「形象石」に凝りだすと、なぜか「干支の12種類」を集めてみたくなる傾向にあります。 自ら揚石をしたり、購入して得た形象石は、自然石の絶妙の「名石」となると、所有者はまず手放さないと思いますので、何年かかけてもなかなか思うような絶品は得られません。

 今月も梅雨入りと共に月末となりましたが、筆者の所蔵品の中から、妙形の「形象石」を2~3紹介をしたいと思います。

藤川産 ・ 七華石の 「観音像」 ~ 高さ約18cm

  1.七華石の「観音像」
 藤川産の色彩石である横長の鰹節形の七華石を立ててみた処、「観音像」のように見えましたので、台座を彫り込み据えてみました。 高さは約18cmです。

一之瀬川産 ・ 狸の置物のような 「姿石」 ~ 高さ約12cm

  2.狸の置物風の「姿石」
 一之瀬川産の珪質岩の風化岩ですが、その中に取り込まれたような軟弱な泥質岩の箇所が腐食し、溶失の結果、狸の置物のような形状になった転石です。 高さは約12cmです。

小萩川産 ・石灰岩の 「ヘビ石」 ~ 横幅約12cm
上載写真の 「ヘビの頭」 の角度変えの部分アップです


  3.とぐろを巻いたような石灰岩の蛇の頭形の「姿石」
 この石は、小萩川で数年前に見つけたものですが、何気なく石灰岩の転石をひっくりかえしてみた処、まるで造形美のような蛇の頭が乗っかった様に突出していました。偶然に生じた自然の溶食作用には、ただ驚愕するばかりです。左右の横幅は約12cmです。
藤川産の 「イチジク石」( 右 )と、五十鈴川産の 「松茸石」 です
  4.藤川産の「イチジク形」と、五十鈴川産の朝熊石の「松茸形」の形象石
 いずれも握れば隠れる程の、長さ10cm ( イチジク ) と長さ8cm ( 松茸 ) 程度の小形の転石ですが、自然の妙形には驚かされます。2石共に軽く研磨を致しました。 気長に探石を続けておれば、時にはこのような珍石に出会います。




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春暖の4月もラストとなり、今月も中 ~ 大型の「水石の再吟味」で終了

2023年04月30日 | 石のはなし

栗原鉱山跡産のバラ輝石を含む 「桜マンガン石」( 研磨水石 ~ 横幅約8cm )

 桜のシーズンが瞬く間に終わり、春暖の4月もラストとなってしまった。 今月も何処へも出かけずじまいのままに過ぎてしまった。 月末の連休には、天気が良ければ久しぶりに志摩の海岸に行こうと思っていた処、29日と30日の土曜・日曜ともにあいにくの雨天であった。
 この4月に自宅で成した事と言えば、販売用のミニサイズの鉱物標本の製作と、先月に続いての中~大型の観賞用の水石の再吟味である。
 以下に掲載の画像3点は、先月のブログの続きになります。
栗原鉱山跡産 「桜マンガン石」( 中型の原石 ~ 殆どが菱マンガン鉱 )

1.栗原鉱山跡産の「桜マンガン石」 左右の最長幅約17cm、重さ約1.9kg

 数年前に現地で採集し、その後保存していた「菱マンガン鉱」の大塊を勝ち破って整形し、観賞用に研磨をしようとしていた原石です。 結局磨かずじまいのままに、桜のシーズンが過ぎてしまい、来年までの課題として保存する事にしました。 今春研磨したこの種の原石は、冒頭に掲載したような小形水石ばかりで、観賞用の「置物石」として10個程製作をし、全て出荷を致しました。
彦山川産の中型の 「紫雲石の遠山石」
2.山水景を呈する横長の「紫雲石の遠山石」 左右の最長幅約25cm、重さ約1.34kg

 長期間ダンボール箱に仕舞い込んでいた彦山川 ( 度会郡度会町火打石 ) 産の荒石ですが、底面を程良くカットし、表面の風化被殻を削ぎ落として、原形のまま艶消し研磨をし、仮台に据えてみました。 前面の中央左寄りにくびれ気味の大きな穿ちがあり、右サイドにも枯れ滝風の穿ちがあって、時間をかけて艶出し研磨をすれば、鑑賞用の名石になるかと思います。
藤川産の大型の鎧石系珪質岩の 「山水景石」( 岩山形の遠山石 )

3.藤川上流支流産の鎧石系珪質岩の「横長の岩山形の山水景石」 左右の最長幅約33cm、重さ約3.2kg

 平成年代の半ば頃に、藤川 ( 度会郡大紀町藤 ~ 木屋 ) の探石行で、上流支流の谷川にて揚石をし、そのままずっとダンボール箱に仕舞い込んでいた現地性の大型水石です。 殆ど未風化のゴツゴツとした鎧石系の珪質岩 ( 主に白チャート・表面は茶褐色に変質・変色 )ですが、節理群の一部には方解石の細脈が程よく貫入し、ほぼ定高性の「遠山石」( 岩山形 ) となっています。 風化の進行によっては「伊勢古谷石」にもなる良質石です。
 底面を程良くカットし、自然石 ( 転石 ) のまま仮台に据えてみました処、かなりの名石になりました。

 これから先も、蒐集した鑑賞用の所蔵水石の中から、見応えのある佳石を再吟味し、画像にて幾つか紹介をしたいと思います。


  
 
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続・長年仕舞い込んでいた 「 水 石 」の再吟味

2023年03月26日 | 石のはなし


彦山川産 「紫雲石の山水景石」 ~ 左右幅約30cm ~ 左右幅約10cm

 先月は、長年仕舞い込み放ったらかしにしていた荒石の中から、標準サイズの手ごろな水石を幾つか取り出し、再吟味をしてみましたが、彼岸が過ぎ桜のシーズンを迎えた今月も、いつの間にか下旬となった。伊勢の街路にも桜が開花し、春らしくなったものの雨天が続き、今月も引き籠もりに終始し、どこへも出ずじまいの内に、このまま4月を迎えそうである。

 例年なら温暖な志摩の海辺行き、春の日射しのもとで海浜を歩くのだが、高沸した車のガソリン代の高止まりと共に、加齢のせいもあってか、体がおっくうになっているみたいである。仕方がないので、もう少し暖かくなるまで、蒐集した水石の再吟味を続ける事にした。

 今回は、少し大型の水石を幾つか紹介しよう。大型の水石となると普通は60cm以上であるが、土間に積まれているのはせいぜい20cmから60cm程度のものであり、それ以上のサイズの石は「庭石」として扱われるので、いくら名石でも保管場所に困る次第である。

 大型の水石で誰しもが思い浮かべるのは、自然石なら自然美の凝縮された「山水景石」であろう。詳しく見れば、遠山石、滝石、土坡、段石、溜り石、雨宿り石、洞窟・洞門石などであるが、この他、ピカピカに研磨された色彩石や紋様石、自然石のままの形象石や化け石( 奇石・オブジェ石 ) にも見事な秀石がある。それに加え鉱物の大きな群晶なども、「美石」として鑑賞の対象となるケースが少なくない。
 水石ブームの昭和年代の半ば頃には、旅館やホテルのロビーには大型の銘石が幾つか飾られ、座敷の床の間にも立派な水石が置かれていたものである。

 伊勢志摩から奥伊勢や奥志摩地方にかけての水石としては、これまでに数々の鑑賞石が世に紹介されているが、銘石としての筆頭は、何と言っても「伊勢古谷石」と「鎧石」の自然石であろう。それらと共に、奥伊勢産の研磨された大型の「七華石」の美しさも格別である。
 残念ながら大型の「七華石」は手元には無いが、手つかずのままにしていた幾つかの当地方の「大型水石」の中から、鑑賞に値するレベルのものを取り出し、再吟味がてらそれらを紹介させて頂こう。

小萩川産の 「伊勢古谷石」 ~ 左右幅約24cm~ 左右幅約10cm


1.伊勢古谷石の 「遠山石」
 この石は、小萩川上流の沢谷より揚石した芯出し状の自然石で、左右幅は約24cmです。底面をカットし、仮台をあてがった処、深山・仙境を彷彿とする嶺峰の「遠山石」になりました。

彦山川産 「紫雲石の滝石」 ~ 左右幅約25cm


2.紫雲石の 「滝石」
 この石は、彦山川の上流にて揚石した現地性の転石で、左右幅は約25cmです。貫入した一条の方解石脈が中央に程よく懸垂し、趣きのある山水景を呈し、「滝石」としての景観は絶景です。底面をカットし、仮台に据えてみました。

伊勢路川上流産 「黒鎧石の山水景石」 ~ 左右幅約30cm


3.黒鎧石の 「山水景石」
 この石は、伊勢市南方のサニー・ロードの鍛冶屋トンネルの南口を出たすぐ下の谷川 ( 伊勢路川上流 )の産で、谷川岸の互層岩の露頭から破り出した岩盤の一部です。左右幅は約30cmです。
 節理や割れ目を充填する複数の方解石の白脈が、黒鎧石を形成する珪質岩 ( チャート ) と輝緑凝灰岩の互層岩の表面に、程良い差別溶食を受けて露われ、あたかも岩山から滴る滝流れのような景観となり、見飽きる事がない程見事な「自然美」を呈しています。
 右側の破断面と底面のみ少し擦ってあります。 仮台の台板は、欅の輪切り材を加工した市販の化粧板です。

4.紫雲石の 「山水景石」
 本稿の冒頭に掲載した写真のこの石は、彦山川の上流にて揚石した現地性の転石で、左右幅は約30cmです。嶺峰を成すチョコレート色の紫雲石 ( 輝緑凝灰岩 )のみの一枚岩ですが、貫入した複数の方解石脈が前面に3列の白滝となり、遠山形の山水景を呈しています。底面のみカットをし、仮台に据えてみました。

小萩川産 「小萩青石の滝石」 ~ 左右幅約20cm


5.小萩青石の 「滝石」
 この石は、小萩川に広く見られる緑色准片岩の薄型の転石で、 左右幅は約20cmです。「小萩青石」は仮名です。石質は剥離破れしやすく脆弱で、鑑賞石として良質とは言えませんが、割れ目や節理を充填する大小の純白の方解石脈が豊富に貫入しており、この筋脈が差別溶食によってきれいな「滝石」を形成しています。
 殆どが「鉢巻滝」ながら、小萩川は当地方きっての「滝石」の多産地であり、時には惚れ惚れする程のきれいな名石レベルの「滝石」も揚がります。
 この石の台座は、平石に合わせた彫込みの仮台で、荒石のまま据えてあります。

彦山川産 「珪質岩 ~ 珪質石灰岩の滝石」 ~ 左右幅約20cm


6.伊勢古谷石系の「山水景石」
 この石は、彦山川にて揚石をしました。左右幅は約20cmです。おむすび形の頂峰の前面中央の右寄りに、一条の小滝が程良く中腹まで流れ落ち、孤峰を成す山体の形状も佳いので、台座を彫り込み荒石のまま据えてみました。石質は、風化が進行すれば「伊勢古谷石」となる良質の珪質岩 ~ 珪質石灰岩で、方解石脈を伴うこのタイプの転石には、遠山形の名石が少なくありません。


 以下に掲載の写真は、展示用の花崗岩ペグマタイトの晶洞の一部で、昭和40年代に、岐阜県恵那郡蛭川村田原の採石場にて採集をさせて頂いて来ました。煙水晶や長石類の群晶を、「美石」として鑑賞出来ると思います。


岐阜県産の美石「観賞用ペグマタイトの晶洞」 左右幅約20cm

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2月は自宅に引き籠もり、長年仕舞い込んでいた「 水 石 」の再吟味

2023年02月22日 | 石のはなし

志摩市大王町名田・大野浜産の 「鉄丸石」 ~ 左右幅約10cm

 今年の冬は、伊勢の町も冷たい寒風に晒される日々が多く、パソコンを見る事以外には何をするでもなく、自宅に引き籠もりがちのままに2月も下旬となった。 この間に成した事と言えば、玄関続きの土間の片づけぐらいである。
 2畳半ほどのスペースに、運び込んでから手つかずのままの大型水石がごろごろと転がり、幾つかのダンボール箱には封じ込めた未手入れの中型~小型の水石やら、長年にわたって採集をして来た鉱石を含む大・小の鉱物、そして標本の整理で生じた数多くの標本小箱やケース箱などが無造作に詰め込まれ、山積みされている。
 山積みの間隙には、採集用具とディスクグラインダーが数個、さらに工具などの道具箱が所狭しとひしめき、置きっぱなしになっている。

 毎日少しずつ片付けても、丸2ヶ月はかかりそうである。 この土間を片付けるべく、2月に入ってから箱を開け、その中から手頃な水石を幾つか引っ張り出してみた。
 昭和年代からずっと当地方で揚石をして来た良石ばかりなので、丹念に芯出しをし、底面の切断も含め研磨をすれば、結構感じの良い水石になるレベルのものである。
 どれもこれも手間暇がかかる荒石なので、長年放っておいたダンボール箱の中から、昭和年代以降は殆ど知られていない当地方( 伊勢志摩 ~ 奥伊勢 )の水石を幾つか選んで、何とか観賞用に仕上げてみた。


藤川産のやや風化した 「七華石の芯出し研磨石」 ~ 左右幅約10cm


1.風化した「七華石」の芯出し研磨石
 既に何度も紹介をして来た、奥伊勢・藤川産の銘石であるが、昭和30年代の半ば頃から世に出始めた石灰岩質の「色彩石」である。 かつての度会郡七保村永会( 現 大紀町 )付近を原産とする、縞帯模様など多彩な色模様の大変きれいな片状岩( 研磨石 )である。
 少し風化した表面の粗雑な薄汚いような転石でも、丹念に研磨をし、手入れや見立て、台座等の工夫によっては、かなりの絶品となる。 上載写真の赤味がかった「七華石」は、時間をかけての芯出し研磨と、底面の程良いカットによって、仙境を彷彿とする山水景のちょっとした名石となりました。
奥伊勢産の 「神代石」 ( 昭和年代の呼称 ・ 形状は 「伊勢古谷石」 ~ 左右幅約16cm )

2.昭和年代に「神代石」として紹介された、輝緑凝灰岩の風化芯出し石
 この石は、最初は五十鈴川上流の高麗広が原産地だったと思われるが、薄い藤色系の輝緑凝灰岩の風化岩で、穿ちや皺( しゅん )に富み、風化した表面は白っぽい肌色 ~ 黄白色で、山水景石( 主に遠山石、滝石、土坡 等 )や奇形石( 化け石 )を形成する土中石( 山石 )である。
 五十鈴川に流下した転石は、母岩を覆っていた表面の風化残渣土や表層皮殻が水流によって自然に拭われ、そのまま見事な鑑賞用の水石として紹介されたが、原産地は伊勢神宮の宮域なので、高麗広に住む現地住民の方々以外には、揚石はもとより、表立っては持ち出せなかった名石である。 今にして思う事は、当地の山野は一般人には立入禁止の宮域ゆえにか、目にしていたのは希代の絶品ばかりであった。
 その後は、伊勢市の矢持町・横輪町の界隈から度会郡内( 度会町の火打石や小萩 )にかけても、同様の石質の水石が産し、チョコレート色系の銘石「伊勢古谷石」( 石質は輝緑凝灰岩、及び泥質石灰岩 ~ 珪質石灰岩 )と同一視され、水石趣味者の激減もあってか 「神代石」の名前は殆ど聞かれなくなり、石質の共通性から「伊勢古谷石」に吸収されたのではないかと考えられる。
 上載写真の石は、かつて度会町火打石の彦山川で揚石をした川流れの転石で、ダンボール箱の中から荒石を引っ張り出し、底面のみカットをした同質の風化岩です。

伊勢市南方産 「赤肌石」 ( 右側は芯出し研磨石 ~ 左右幅約9cm )   

3.伊勢市南方の鍛冶屋トンネル付近産の「赤肌石」( 仮名 )
 この石は、珪質岩 ~ 珪質石灰岩の土中石( 山石 )ですが、芯出しをすると結構良い感じの赤身を帯びた肌色や、淡橙色 ~ 薄桃色の色彩石となります。 石質も良く、中には表面が「伊勢古谷石」類似の山水景を呈する風化岩も見られますし、方解石の細脈等の貫入もあり、きれいな「滝石」を呈するもあります。
 カットをした断面は、ハムやベーコンのような感じで、同じ珪質岩 ( チャート ) の「伊勢赤石」のそれとは明らかに異なります。今では全く知られていませんが、鍛冶屋トンネルの南出口下の林道沿いが原産地です。
志摩町片田・麦崎産のミニサイズの 「鉄丸石」 ~ 左右の長径約5㎝

4.志摩の海岸産の「鉄丸石」
 静岡県の安部川や富士川、三重県の東紀州から和歌山県の南紀海岸などに産する「鉄丸石」は、球形の泥質岩等のノジュール( 団塊 )である事が殆どで、表面が川泥等に含まれる水酸化鉄の浸潤で茶褐色 ~ 黒褐色に変色・変質し、外面を覆う褐鉄鉱質の薄い被殻と、緻密な内部の泥質岩の芯から出来ている。 鑑賞石としての「鉄丸石」には、外皮が半分程削り取られ、程よく芯のむき出した半くずれのものが珍重されている。
 サイズは、ソフトボール大程のものが大半であり、中には内部の芯まで完全に水酸化鉄( 褐鉄鉱 )や、時には硫化鉄鉱( 黄鉄鉱 )に置換した鉱物質のものも見られる。
 さて、志摩地方各地の海岸に産する「鉄丸石」は、表面が二酸化マンガン鉱に置き換わった、麦崎( 志摩町片田 )の泥質岩中のノジュールやコンクリーション( 結核 )を除けば、他のものは全て表面のみ変色をした現地性の漂礫( 亜角礫 ~ 亜円礫 )である。
 ぐるりが水酸化鉄等に置換し、変質した皮膜や皮殻を持つものは滅多に無く、しかも角ばったものの方が多くて、水石としての「鉄丸石」の形状には程遠く、「…丸石」と称するのは少し可笑しな気がしないでもない。 さりとて「鉄角石」とも呼びがたいので、あえて「鉄丸石」とした次第である。
 冒頭に掲載した写真の「鉄丸石」は、大王町名田の大野浜産の類似礫( 珪質頁岩 )を、程良く研磨してみたものです。



   

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新年最初の見回りは、浚渫工事中の五十鈴川の川原

2023年01月29日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

浚渫工事中の 「御側橋」 下の五十鈴川の川原 ~ 2023年1月29日撮影

 今年の新年は、断続的な寒波にみまわれ、伊勢市の市街地にも雪が積もった。 1月20日の「大寒」は過ぎたものの、今が真冬の真っ只中なので、多少の寒さは仕方がないが、それにしても今冬は寒冷すぎる。 先週から続いている強烈な寒波による外気の異常低温も、完全に収まった訳ではないので、上天気の日々もずっと自宅に引きこもりがちのままに、1月も月末となった。
 しかし、自宅で暖をとっていても、気になっている事があるのは精神的に良くないので、風の凪いだ1月29日の昼前に、買い物に出たついでに、嫌がる身体に鞭を打ち、昨年末に一度眺めて来ただけの、浚渫工事中の御側橋( おそばはし )橋下の五十鈴川の川原( 伊勢市中村町 )に立ち寄った。


「御側橋」 川下の干上がった五十鈴川の川原 ~ 2023年1月29日撮影


「御側橋」 川下の雑草の枯れた五十鈴川の川原 ~ 2023年1月29日撮影


 時期的に少なくなった流水路は狭まり、川原を覆っていた雑草もすっかり枯れて、むき出しになった河床の転石が日射を受けて、だだっ広く広がっている。 市街地でこのような場所へ車を横付けにし、石拾いの出来るのはここだけであろう。

残存曹長石脈の白い紋様石 ~ 左右幅約9cm ・1月29日に揚石

 五十鈴川は、中央構造線以南の外帯を横切るように流下する清流で、中 ~ 上流は伊勢神宮の内宮の神域やその背後の宮域林であり、中 ~ 下流域の乏しい河川である。 転石に花崗岩や片麻岩類は全く見られないが、殆どの堆積岩や塩基性火成岩類、緑色岩を主とする変成岩など、良質の水石を形成する岩石の種類は豊富である。

残存曹長石脈の白い紋様石 ~ 高さ約9cm ・1月29日に揚石

 石質の良さに加え、奇石( 奇形石 )や紋様石、形象石などもいろいろと産するし、「異剥石」の巨晶など転石中の鉱物も見逃せない。 この日は約1時間見回っただけなので、大した収穫はなかったが、一応目にしてきた水石となる岩石と鉱物を列記しておこう。

神足石( 中央 ・ 長さ約8cm )とその類似礫 ~ 1月29日に採集

朝熊石の 「三稜石」( 横幅約12cm )~ 1月29日に採集

 ◆ 水石となる岩石 朝熊石(蛇紋岩等の風化岩)、伊勢青石(角閃岩)、伊勢赤石(赤チャート)、紫雲石(輝緑凝灰岩)
 ◆ 奇石(奇形石) 神足石、三稜石
 ◆ 紋様石(緑色岩に伴う残存曹長石脈)
 ◆ 鉱物 石英(水晶 ~ チャート中の分泌石英脈中)、二酸化マンガン鉱、含マンガン赤鉄鉱、鉄石英(赤玉石)、
   磁鉄鉱(塩基性岩中)、曹長石、方解石、緑簾石、異剥石(塩基性岩中)

斑糲岩の転石中の 「異剥石」( 約2cm )~ 2023年1月29日に採集

 
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