語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】ガレキに含まれる「死の棘」 ~アスベスト禍と放射能禍~

2012年10月31日 | 震災・原発事故
 (1)阪神・淡路大震災(1995年)から17年。順調に復興したかに見える神戸で、肺の奥に突き刺さった微細な繊維、アスベスト(石綿)が牙をむき始めている。ガレキ処理に関わった人が相次いで、アスベストに起因する癌、中皮腫を発症しているのだ。
 吸引後、十数年から40年たって発症するのがアスベストのリスクだ。

 (2)2008年3月、震災時の解体作業でアスベストを吸ったため中皮腫になった、と訴えた兵庫県内の男性(30代)を姫路労働基準監督署が労災認定された。震災時作業による労災認定の初ケースだった。
 2009年5月、芦屋市の男性(80)が労災認定された。中皮腫と診断されたのは2007年。彼は、1995年10~11月、解体作業で現場監督を務めた。
 2012年8月、宝塚市の男性(故人)も労災認定された。彼は、1995年2月から2ヵ月、工務店でアルバイトし、解体工事に携わった。2011年1月、中皮腫と診断され、同年10月に物故した。享年65。
 同じ月、兵庫県内の男性(70代)も神戸東労基署から労災認定されたことが判明した。3年近くガレキ処理に携わった、という。
 2012年5月、明石市環境部の男性(48)は、県立がんセンターで中皮腫の診断を受けた。2011年の暮れ、下腹部にしこりができ、見る間に大きくなった、という。ゴミ収集が仕事だが、震災当時、ガレキの処理業務に奔走した。
 労災認定などで表面化する被害だけで5人。その背後で、解体、ガレキ収集、運搬、処理などの復旧・復興に関わった数多くの労働者が、次々とアスベスト禍に倒れている。

 (3)阪神・淡路大震災発生1ヵ月後から夏ぐらいまでにかけて一斉解体が始まった。無数の業者が神戸・阪神間に集まり、神戸だけでも100件、兵庫県内で200~300件の解体が同時進行した。
 アスベストの有無を確認する方法さえ、現場では確立されていなかった。
 公費による解体が決まったのは2月下旬。それが浸透したのは、4月頃だ。アスベストを除去しながらの解体は、通常の倍程度の費用がかかる上に、工期は2~3ヵ月ずれる。「一日を争う生活安定に向けた取り組みの中で、どんどん大量解体が進んだ」
 兵庫県や神戸市が解体工事に関する指針を出したのは4~5月だ。その頃にはすでに5~6割方、解体が終わっていた。「住民への注意喚起、情報提供、現場での飛散対策など、根幹となる課題は積み残されたまま解体は収束した」
 「アスベスト対策は最初から大きくつまづき、問題の困難さが浮き彫りになった」「震災に伴う各種の環境問題の中で、最も社会問題化したのはアスベスト対策である」【元神戸市環境保全部長の論文、1998年】

 (4)アスベストの有害性は戦前に認識され、戦後も1970年代に国際機関が発癌性を指摘した。
 ところが、日本は規制が決定的に遅れ、使用が原則禁止されたのは2004年になってからだ。利便性と価格の安さに加え、潜伏期間が長いため、問題がなかなか表面化しなかったのだ。国や経済界は「管理して使えば安全」と使用を推奨し、1,000万トンを消費した。
 アスベストの安全神話は原発の安全神話と同じ構図だ。被害の様子も放射能とアスベストは似ている。チェルノブイリ原発事故では、26年経った今でも子どもを中心に甲状腺癌が多発している。

 以上、加藤正文(神戸新聞経済部次長)「がれきに含まれる「死の棘」」(「世界」2012年11月号)に拠る。

 【参考】
【震災】東北沿岸の化学汚染 ~カドミウム・ヒ素・シアン化合物・六値クロム・ダイオキシン~
【震災】もう一つの海洋汚染 ~PCBとダイオキシン~
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